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幼少期に私の自己否定感が生まれたきっかけ

こんにちは。
廣田左希子のhistoryにようこそ!
このマガジンでは、幼少期から異常に周囲に気を遣い、過度に遠慮をし、自分に全く自信がなかった私が、なぜコーチの仕事をさせていただくようにまでなったかを隠さずお話ししていくマガジンです。
私の思考が出来上がった原因で、一番影響しているのは実の母の存在です。
ポジティブマインド育成サロンでは、”してはいけない教育”を根本から変え、自尊心と自己肯定感を持つ子供たちを一人でも多く育てるための、
大人のための学びのコミュニティです。

そのためコーチである私自身が全て正直に自伝をお伝えしなければ、
全く意味のないコミュニティになってしまいます。
それゆえ、私が一番影響力を受けた実母について、私なりの意見を正直に書いています。
読まれる方によっては、実母を責めている、悪口を言っていると不快に感じられる方もおられると思います。

しかし、決して母を恨んでいるわけでも、責めているわけでもありません。
むしろ、私も自分の家族を持ったことで、母のすごさ、愛情の深さが身に染みて分かりました。
ポジティブマインド育成サロンを運営するにあたり、私と同じような環境で育ち、自己否定感を持った状態で大人になり、子育てをする親になった立場の方々のお役に立てる記事を書くことが、大切だと考えています。

私の想いを受け取っていただけましたら、とても嬉しく思います。

私が育った家族

私が育った家族は、保険代理店を営む父、ピアノの先生の母、2つ年上の姉の4人家族でした。
父は、日本史や地理に詳しく勉強好きな人、母はピアノが第一、そして世間体を気にするタイプで、我が子を完璧に育て上げたいとの思いが強く、教育熱心な人でした。

母は、私と姉にもの心が付く前からピアノを習わせていて、将来は娘2人をピアニストにするつもりでとても熱心にピアノ教育をしていました。
母はリーダーシップを取ることが得意で、様々なシーンでてきぱきと物事をこなし、決め事なども自分の意見を明確にしどんどん決めていくタイプでした。
また、自宅でたくさんの生徒さん達にピアノを教えていて、朝から晩まで一日中生徒さん達が入れ替わり立ち代わり自宅に来られていました。
夜も、21時位まで生徒さんのピアノ指導をし、週の半分位は母が夕方に作ってくれた夕食を、電子レンジで温めて姉と2人で食べる、そのような生活でした。
当時、母方の祖父母が私の家の近くに住んでいて、祖父母の夕食も一緒に作り、母は毎日祖父母宅まで夕食を届けていました。

家族のために動き続ける母の凄さ


一日中仕事をし、家族と両親の食事を作り、母は自分の時間が無いほど本当に毎日忙しかったことと思います。
私も大人になり、自分の家庭を持ってから初めて気づく、家族のために動き続けていた母の強さ。
本当に頭が下がります。

心に残っている、母からの言葉

そんな、いわゆる「キャリアウーマン」の母は、自分の理想通りに私と姉を育てることに夢中になっていました。
私が幼少期、母から言われて強く覚えている言葉が3つあります。
・お母さんの言うことを聞きなさい
・下品なことをするのはやめなさい
・食事の仕方で育ちの良さ悪さが出るので、行儀よく食べなさい

どの言葉も、子供を苦しめるためではなく子供のためを思って発している言葉です。
しかし、あらゆることに制限をにおわす口調で話しかけられ、私が自発的に行動したことに対して褒めてくれたり、喜んでくれることはなく「ここが出来ていない」「それよりこっちをして欲しかった」などと言われ続けた結果、私はいつしか何をするにも、何を買うのも、「母はどう思うだろうか」と真っ先に思うようになってしまったのです。

母は基本的に「しなさい」と命令口調の話し方でした。
小学生の頃私の友人に、お母さんと友達のように話し、冗談を言い合ったりお互いの近況を報告しあったりしている親子がいました。
私はそんなお母さんとの関係が羨まして羨ましくてたまりませんでした。
私はその頃から、母へ話す話題は、母が喜びそうなことや母の機嫌を損なわないこと、母に反対されなさそうなことなど、かなり選んで話すようにしていました。
なので、何でも言い合い、しかもそれに対して母親から反対されたり否定されたりしない関係性がとても羨ましく、「自分もお母さんとそんな関係になりたいなあ」と思い、ある日ついに母に伝えてみたのです。

私も、〇〇ちゃんのお家のように、お母さんと友達のようになりたいなぁ。

そこで返ってきた母からの言葉は、私の自尊心や自己肯定感を徹底的に打ち崩すものでした。

お母さんはあんたと友達じゃないわよ。


母親は絶対的な存在だとインストールされた瞬間

この言葉は、さすがにショックでした。
そもそも、母に話しをする時は話かけるタイミングや内容に気を遣いながら話していましたから、自分から母に対して「リクエストする」形の言葉をかけることには、子供時代の私にとってものすごく勇気がいることでした。

母から言われた「友達ではない」との言葉。
もちろん、親子関係なので友達ではありません。
それは、もっともな話です。

しかし、私は本当に母と友達になりたかったわけではなく、
「何でも気兼ねなく話せて、お互いに受け入れ合う間柄」になりたかったのです。

この出来事に関して、私がコーチになった時に気が付いたことがあります。
「伝える側の言葉足らず」
伝える側も、伝えられる側も、表面の言葉だけで自分なりの解釈をすることが、コミュニケーションのズレの一番の原因だと気が付きました。

次回のマガジンもお楽しみに!

さて、母は絶対的な存在なんだ・・・と潜在意識にインストールしてしまった私は、どうなっていくのでしょうか?

お話しはまだまだ続きます。
次回のマガジンもお楽しみに!

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