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韓国文学の読書トーク#08『美しさが僕をさげすむ』

「新しい韓国の文学」シリーズをテーマ本にした、読書会形式の連載です。語ってくれるのは「100年残る本と本屋」を目指す双子のライオン堂の店主・竹田信弥さんと読書会仲間の田中佳祐さん。お二人と一緒に、韓国文学を気軽に楽しんでみませんか?

竹田:みなさんこんにちは。今月も本屋さんの片隅から、僕たち二人の読書会の様子をお届けしたいと思います。
田中:竹田さん、今回紹介する本の表紙、なんの絵か分かりました?
竹田:貝ですね。でも、なんで貝なんだろう?出てきたっけ?
田中:表題作をよーく思い出してください。直接描写はないけど、あるキーアイテムに関係ありますよ。
竹田:ああ!そういうことね。
田中:というわけで、今回紹介するのは「新しいの韓国文学」シリーズの8冊目『美しさが僕をさげすむ』(ウン・ヒギョン著、呉永雅訳)です。

著者 ウン・ヒギョンさん。
2014年に福岡で行われた中島京子さんとのトークショーにて。

竹田:短編集の紹介って、いつも迷うんですよね。
田中:それいつも言ってますよ。
竹田:今回はどうしたらいいか考えたんですけど、いくつかの作品のあらすじをしっかり紹介するのも面白いかなって。
田中:いいですねえ。じゃあ6つの物語の中から、特に僕たちが好きだった2作品をとりあげてみましょう!!

「疑いのススメ」

「ひょっとして、わたしに会いにいらしたのではないんですか?」
 男は顔を上げて、しばしぼうっとした表情でユジンを見上げていた。腕時計をちらっと見てから男が言った。
「十分早くいらっしゃいましたね」
「なんだか悪いことをしたみたいに言われるんですね」
「そうじゃありません。時間ぴったりに来なかったので、僕が気が付かなかったという意味です」
「それなら十分経って、私に気が付くまでほかの席で待ちます。知らない者同士、向かい合っている理由もないでしょうから」
 男はゆったりとした態度でかすかに頷いた。
「イ・ユジンさんのおっしゃる通りです。僕たちは互いに知らない者同士です」
「知らない人がどうしてわたしの名前を知っているんですか? それに、十分後にここで約束があることも?」
「兄に聞いたんです」
「そちらとは十分後にならないと知り合いになれないのに、お兄さんですって?」
「イ・ユジンさんが会いに来たのは、僕の兄ですよ」
 男が続けた。
「僕は双子の弟です」

「疑いのススメ」P12~14

竹田:じゃあ、まず僕が1作目のあらすじを紹介します。
「疑いのススメ」は、主人公のイ・ユジンは偶然本屋で出会い、間違った荷物の受け取り主である男と待ち合わせをしているところから始まります。すると男の双子の弟だと名乗る男が待っていた。
しかも、兄と出会ったことは偶然ではなく仕組まれたもので、さらに兄は悪魔で、自分に成りすましているという話をされる。ユジンはそれを簡単には信じない。双子のどっちが嘘をついているのか、いや、この男はそもそも双子なのか、真実とはなにか、運命の出会いとはなにか。そういった問いを読者に投げかける短編小説です。
田中:運命の人とはなにかを議論する部分は、読んだあとに持論を誰かに話したくなりますね。
竹田:議論するところは面白く読みましたが、主人公と同じ名前の人が出てきたり、その人が双子だったり、頭の中でいま誰がしゃべっているのか整理する必要がありました。
田中:テーマは「運命の出会いなんてないよ」っていう残酷な話であり、かつ「運命の出会いなんてないのは承知で、人生を楽しむんでしょ」って話でもある。
竹田:手品にはタネがあって、それを知った上で楽しんでいる人に「それタネも仕掛けもありますよ」って言っても、「そんなこと知ってますよ」って冷静に返されちゃう感じ?
田中:そうそう。そんな二人は意見が折り合わないわけ。
竹田:田中さんは、偶然の出会いとか楽しめそうですけど。
田中:どうなんですかね。予定は立てるけど、ちゃんと決めといて、そこから脱線して出会う偶然が好きですね。
竹田:なるほどね。僕は一切何も決めないで、何かに出会いたい欲望がありますね。目を瞑って本を選ぶみたいな。
田中:同じ「偶然の出会い」でも、楽しみ方が違うんですね。

「美しさは僕をさげすむ」

竹田:次は田中さんの気になった作品の紹介にいってみましょうか。
田中:僕からは表題作の「美しさが僕をさげすむ」のあらすじを紹介します。
竹田:あ、僕もこの小説好きでした。
田中:少年期「ビーナス」に夢中になった男が、主人公の小説です。34歳になった彼の元に、病院から、長らく会っていない父の手術を告げる電話がかかってきます。その日から主人公は、なぜかダイエットを始めるのでした。糖質制限をして、炭水化物をできるだけとらない生活を母親は気に入らない様子です。しきりに、お米や甘いおかずを勧めてきます。長年クッパブ屋を営んできた母親は、お米はとても優れた健康食だと信じているのです。会社の同僚であるBも彼のダイエットに興味を持つのですが、主人公の脂肪を蓄積する遺伝子を否定する話に不快感を示します。Bは「しかたなく生まれてきた人生」について、軽やかに、しかしながら痛烈に批判するのでした。
主人公がダイエットを終えた後、とある場所で自分が置いてきたものと再会し、物語は幕を閉じます。

竹田:この小説は、家族関係の緊張感が書かれた作品でした。
田中:家族って生まれたときに、すでに決まっている関係性だし、簡単に切り離すことはできない。
竹田:それなのに、あらゆることが偶然で決まってしまいますよね。この作品の中でも「偶然」がとても重要なキーワードになっていますね。
田中:家族からのプレッシャー、美とルッキズムなど現代的な問題について、レイヤーを重ねるようにして書いてあるので読み応えがあります。
例えば、ダイエットというテーマひとつをとっても、外見に対する偏見やコンプレックス、普遍的な美について描くだけでなく、食や生殖など人間に必須な生物的本能に抗うことの葛藤も含まれています。
竹田:それに関係した描写だと、友人のBが、ダイエットを皮肉るところ、複雑な思いが伝わってきて印象的でしたね。
田中:その後の、遺伝子について語るシーンも真に迫っています。
Bが生まれてくる前に、彼の姉は赤ちゃんの頃に亡くなってしまう。Bの誕生には生命の奇跡とも言える偶然があり、家族の身勝手な判断もある。Bはそれを「死をすぐさま生と引き換えにした非情な取引き、そのすべてがおぞましかった」と言います。
竹田:読んでいて、ツライかったけど、すごく大切な言葉だったなぁ。

 自分を心底かわいがってくれ、女の子は育てがいがないと考えていた祖父から、まかり間違えば大事になるところだったと、この話を聞かされた時の衝撃を、Bは忘れることができないと言った。道をふさがれた父の生殖器の中で、三日以上も生き残り、ついにBとしてこの世に出てくることに成功した、すさまじく執拗な精子への驚愕は、どちらかというと一番最後だった。生まれて百日でか弱い生を終えて、結果的に家族のみんなに満足をもたらした幼い姉。意図したにせよ、しなかったにせよ、共謀して生まれて間もない姉を死なせた身勝手で残忍な血族を守ろうとした本能と、死をすぐさま生と引き換えにした非常な取引き、そのすべてがおぞましかった。

(「美しさが僕をさげすむ」P146)

田中:Bの家族への思いは、主人公の行動と関連していて、理性をもって偶然に抗うことの是非を考えさせられます。生命への責任と言えばいいのか、自分で人生を選択することの困難と言えばいいのか、適切な言葉が見つかりませんが、一筋縄ではいかない課題について考えようとしていると感じました。

登場人物の「名前」

竹田:本編のテーマとはズレるけど、登場人物の名前を固有名にしないで、BとかSとかにしてるのって面白いですよね。
田中:海外文学では結構ある手法ですが、近現代の日本文学に読み慣れていると珍しいかもね。
竹田:安部公房とか星新一とか、最近だと佐川恭一『ダムヤーク」など、一応ありますね。
田中:竹田さんはそういう小説好きですか?
竹田:僕は「竹田」とか「田中」とか出てくると、一瞬自分の知ってるその名前の人が浮かんじゃうので、フラットに読めていいかなと思う。イニシャルにすることで、想像の余地を残すというね。
田中:僕は友達とかを思い出すことはないけど、キャラがある名前だと気になるかな、歴史の人物とかね。僕は、単純に名前がないと記憶しづらいなって思う。
竹田:確かに、誰の話をしているか捉えづらいよね。
田中:あえて読者を物語に正面から導かないようにしているのかもしれない。
竹田:名前には思っている以上に情報量が含まれているから、それを排除してというのもありそう。

田中:他にも紹介したい作品あるんですよね。
竹田:僕もありますね。
田中:「天気予報」は、僕たちの思い出ともちょっと関わってくる作品だったからそれとからめて紹介したい。
竹田:あ!! 文学全集が出てきますもんね。
田中:詳しくは、みなさんに読んでもらいましょう。

田中:そういえば、竹田さんって兄弟いましたっけ?
竹田:ん?どういうことですか?
竹田:ああ、双子のライオン堂だから、双子がいるんじゃないかって?
竹田:いや僕は双子じゃないですよ。
田中:あれ?僕、夢を見てるのかな、目の前に竹田さんが3人いますけど…。
(このあと、三人の竹田がいっせいにカフカについてしゃべりだすのであった)

◆BOOK INFORMATION

新しい韓国の文学」シリーズ08
美しさが僕をさげすむ』ウン・ヒギョン著/呉永雅訳
ベストセラー作家のウン・ヒギョンが、現代人の孤独を軽快かつクールに描いた6作を収めた短編集。ウン・ヒギョンが新たな境地を拓いたと高く評価され、後に東仁文学賞を受賞。従来の韓国文学にはなかったアイロニーとユーモアを持ち味とする作品は、ドライな感覚で現代社会の過酷な人生をあぶり出している。
ためし読みはこちらから

◆PROFILE

田中佳祐
『街灯りとしての本屋』執筆担当。東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。たくさんの本を読むために2013年から書店等で読書会を企画。共著に『読書会の教室』(晶文社)、企画編集協力に文芸誌「しししし」(双子のライオン堂)。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。

竹田信弥
東京赤坂の書店「双子のライオン堂」店主。東京生まれ。文芸誌「しししし」発行人兼編集長。「街灯りとしての本屋」構成担当。単著『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著『読書会の教室』(晶文社)、『これからの本屋』(書誌汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)など。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J・D・サリンジャー。
双子のライオン堂 公式サイト https://liondo.jp/

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