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編集にまつわる、あれこれ(2)

 日本語版オリジナルの詩選集のつくり方は、大まかにいって2つの方法があります。1つは、韓国で出版された詩集毎に時系列で詩を並べる方法。例えば、クオンから出版されている『ラクダに乗って 申庚林シンギョンニム詩選集』や『耳を葬る 許炯萬ホヒョンマン詩選集』(ともに吉川凪訳)は、2人の代表的な詩集数冊から吉川凪さんや金承福キムスンボクさんが粒ぞろいの詩を選び、詩集毎に時系列で配しています。こうすると、詩人の歩みを時代の変遷とともにたどることができます。2つめは、カテゴリーやテーマをつくって詩を並べる方法です。
 張硯詩選集は後者の方法でつくっています。張硯さんの詩集を読んで「病んだ時代への治療薬のようだ」と絶賛した承福さんが詩を選び、訳者の戸田さんが森、宇宙、ふるさと、海、社会参与詩と5つのカテゴリーに分けました。
 
 戸田さんは翻訳するにあたり、詩人のぱくきょんみさんのアドバイスを参考にしたそうです。ぱくきょんみさんは、「ジェノヴァ国際詩祭」(イタリア)、「ストゥルーガ 詩の夕べ」(マケドニア)、「リーガ 詩の日々」(ラトヴィア)、「詩の門」(ルーマニア)など国際的な詩祭にも招聘されている詩人です。戸田さんとぱくさんは、口承されてきた韓国民謡を伽倻琴カヤグム演奏用の楽譜として整理した『ソリの道を探して』という本づくりをいっしょに行っています。
 このような戸田さんが翻訳した詩は、繊細な心配りがなされていてリズムもあり、私をあっという間に張碩さんの世界へ、統営の海へ、宇宙のはるか彼方へと導いてくれました。冒頭の「序詩」からして味わい深い詩です。宇宙的な広がりと生命の明るさを感じます。やわらかな余白もあり、読者は自分の心をその余白にゆったり漂わせることができます。
 
  からだいっぱい坐っている 岩
 
  全身満ち満ちてまあるい 月
 
  身を捧げ尽くした 赤い花
 
  とぼけている 石仏
 
  そして愛は
 
  この世にようやくいま 生まれたばかり
                   (「序詩」全文)
 
 自然を素材にした詩が多く、なかでも海の詩は養殖業をしている張硯さんならではの視点があります。彼はイワシやアンコウ、牡蠣、ウミネコなどから言葉を聞き取って詩にし、大海原でつながる命、母への愛や、あるいは社会の非情さへの怒りを詠いました。
 読み進めた私は、このままでも詩集として成り立っているのでは? つい、こんなことを考えてしまったのですが、2回目以降は冷静になり距離を保ちつつ読みます。すると、気になるところが見えてきました。

 私が訳者という立場だったとき、編集者さんがWordの原稿に作品の感想や、訳文のわかりにくいところなどさまざまにコメントを書いてくださったのがとても嬉しかったことを思い出し、私もコメントを書いていきました。
 どのようなコメントか少しだけご紹介します。
 朴槿恵の罷免を知って書かれた詩「ロウソクの炎」に次のような一節がありました。
 
  森のぬれた地面に/壁を伝いおりる 陽ざしに
  숲의 젖은 바닥에게/담을 내려오는 햇볕에게
 
 これに対して次のようにコメントしました。

 日本語は韓国語と異なり連体形と終止形が同じですね。そのため、次の語を修飾する連体形の後ろにスペースがあると、そこで文が終わり、途切れてしまうように感じました。「森のぬれた地面に/壁を伝いおりる陽ざしに」とした方が、この詩では一気に読めていいような気がしますが、いかがでしょうか。ほかの連も同じように感じましたが、ただ、これが戸田さんの呼吸だとも思いますし、スペースが入ることで、強いリズムが生まれている部分もあると思います。

 読点やスペースはその文章を書いた人の呼吸の現れでもあるので、勝手にいじることははばかられます。戸田さんと私の呼吸が合っていないだけなのかもしれません。それで、このようなコメントをいくつか入れたのですが、戸田さんはすぐに修正してくださいました。
 
 承福さんからは、あの戸田さんがこんな誤訳をしていたと、そういうこともnoteに書きなさいと注文があったのですが、仮に誤訳があったとしても、そんなことできるわけがありません! たとえ、承福さんに「죽을래チュグルレ(しばくよ)」とドヤされたとしても……。その代わり、素晴らしい訳に感激し、自分の心の辞書に書き留めた言葉がありましたので、そちらを挙げることにします。
 「草刈り」という詩にある一節「공기에 스며/오늘 우리의 숨을 이루어」の訳「空気に馴染み/今日のわれらの息となり」に書いた私のコメントがこちら。
 
 わ~、この訳いいなぁ、真似したいと思いました。編集者の視点じゃなくてすみません!
「스미다」「스며들다」の訳、みなさんほぼ「染みこむ」「沁みこむ」としていて、うーんなんか違うんだけどな、「溶けこむ」という感じじゃないかなと思うことが多いんですけど、「馴染むか~、そうそう!」って膝を打ちました。
 
 そのほか、表記を統一したり、ルビを入稿ルールに沿って入れたり、原稿の整理を進めました。表記の統一といっても、詩は1編1編にそれぞれの世界がありますので、がんじがらめに統一する必要はないと考え、戸田さんといろいろ相談しました。それから、詩の掲載順を変更したり、章毎のタイトルを決めたり。このあたりのことは、張碩さんの詩の最も繊細な読者であり理解者である戸田さんに主に決めていただきました。 

 こうして整理した原稿がちょうど先週、初校ゲラになって届きました。戸田さんがどのように校正をされるのか楽しみにしているところです。(五十嵐真希)

張碩さんとは?
1957年生まれ。1980年に朝鮮日報の新春文芸で詩人としてデビューを果たした。その後40年の沈黙を経て、2020年に初詩集を刊行し、2023年に4作目となる詩集を発表した。この4冊の中から61編を選び、日本語版オリジナルの詩選集を制作中。2024年9月末頃刊行予定。

ヘッダー写真:張碩さんが営む水産物会社のInstagramより
@singsings_official


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