マガジンのカバー画像

文学からみる100年前の韓国の食べ物

11
文学に綴られてきた「韓国の食」が、100年の時を経て、コリアン・フード・コラムニスト八田靖史によって生き生きと蘇る。 さぁ100年前の「食の文学紀行」へ出かけよう。
運営しているクリエイター

#韓国文学

四季の名物 平壌冷麺/金昭姐

春  心地よい春風の吹く3、4月。眠っていた牡丹台(平壌の牡丹峰に位置する楼閣)では、木々が芽吹き、枝々に花が咲く。長くなった日についつい浮かれ、疲れた足を大同門(平壌城内城の東門)前の2階建て冷麺店へと向ける。大同江(平壌市内を流れる川)の清流に一日の疲れを流し、なみなみとした一杯の冷麺で空腹を癒す! (平壌の大同江) 夏   大陸の影響から夏の熱気にむせ返る平壌。とりわけ暑さの厳しい日に、こぶし大の氷と、ぐるぐる巻きの麺を、真っ白な平鉢に放り込む。氷で暑さを退け、カラ

愛の餅、風流の餅 延白インジョルミ/長寿山人

 その名声は幼い子どもたちの間にも深く浸透している。インジョルミ(きな粉餅)は数ある餅の中でも、もっとも身近で、もっとも美味しい。  春はヨモギ、端午はヤマボクチ、夏はゴマ、秋はササゲやナツメ、冬は黒豆のインジョルミを作る。  どれひとつとて美味しくないものはない。  しかし、こうした季節の品々を飛び越えて、我が国でもっとも名高いのは黄海道(ファンヘド)の「延白(ヨンベク)インジョルミ」だ。延白地方のインジョルミは、原料となるもち米の品質に優れているだけでなく、餅のつき

天下の珍味 開城ピョンス/秦学圃著『別乾坤』1929.12

 食べたことのない人に文章で料理の味を説明することは、行ったことのない人に景勝地の話をするよりも、はるかに難しく漠然としている。  開城式餃子のピョンスは作り手ごとによってまちまちで、その味はすべてが同じではない。味の良し悪しを決めるのは、言うまでもなく具の材料にある。  開城ピョンスの中でも貧相な店で適当に作ったもの、それこそ食べたという気分だけを味わうようなものは、ソウルの鍾路あたりで大皿にひとつずつ出てくる1個20銭のマンドゥ(一般的な餃子)にすら及ばないかもしれな

無視するべからず ソウルのソルロンタン/牛耳生著『別乾坤』1929.12

 ソルロンタン(牛骨や牛肉を煮込んだスープ)と聞いただけでも、かぐわしい香りが鼻をくすぐり、腹の底から食欲がわいてくるようだ。無粋な人たちは、においがどうとか、店や食器の清潔さがなんだとか、つべこべ言う。  だが、それは本当のソルロンタンを知らない不幸な人だ。  試しに1度、ソルロンタンからガツンとした香りを抜き、トゥッペギ(素焼きの器)ではなく真鍮器や陶磁器に盛り付け、刻みネギを凝った薬味に置き換え、粗塩と粗びきの唐辛子を濃口醤油と細かくひいた粉唐辛子に変更して食べたと

慶尚道名物 晋州ビビンバ/飛鳳山人著『別乾坤』1929.12

 美味しくて、値段も安い晋州(チンジュ)ビビンバは、ソウルで見るビビンバのように肉を大きく切って載せたり、10センチにもなる大豆モヤシをドサ盛りにしたものとは、到底同列に扱うことはできません。  まず、真っ白なごはんの上に、色合いの調和を考えながら、それぞれの具材をぐるりと配していきます。青々とした野菜の横にワラビのナムル、その隣には淡い黄色をした緑豆モヤシのナムルといった具合。  次に、肉を細かく叩いて煮込んだ醤油味のスープを少量、食べるときに混ぜやすくなる程度にほどよ

忠清道名物 鎮川メミルムク/朴瓚煕著『別乾坤』1929.12

 みんなそれぞれの料理自慢が出たところで、忠清道が誇るメミルムク(そば寒天)の話でも披露してみようか。  我が国のどこであれ、多彩なムク(ドングリや緑豆、そばなどのでんぷんを寒天状に煮固めた食品)を食べないところはない。だが、忠清道のメミルムクを食べてしまうと、他地域のものが、  「あれもムクと呼ぶのか?」  とかわいそうに思える。  木枕かと言わんばかりに大きく切って、薬味ダレをべっとり塗って、ごはんのおかずにひとつふたつもつまめばもう充分。そんなものでもムクを食べ

全州名物 タッペギクッ/多佳亭人著『別乾坤』1927.3

 平壌のオボクチャンクッ(牛寄せ鍋)、ソウルのソルロンタン(牛スープ)が名物ならば、全州名物はタッペギクッ(豆モヤシのスープ)であろう。  名物というと何か特別な珍味のようにも思えるが、実のところそうではない。オボクチャンクッやソルロンタンと同様に、身分の上下なく誰からも愛され、値段も手ごろ。それでいて味は素晴らしく、酔い覚ましにも効果があるのだから、他地域の名物と肩を並べるだけの資格は充分だ。  むしろある面では、オボクチャンクッやソルロンタンの上を行くと言えなくもない

珍品中の珍品 神仙炉/牛歩生著『別乾坤』1929.12

 料理もいろいろである。 考えただけで生唾ごっくんのウマウマ料理があれば、希少価値の高さで思い浮かぶもの、ガッツリ食べたいときにふさわしいもの、珍奇さゆえに高価なもの、季節を楽しむ旬のものなど様々だが、こと神仙炉(シンソルロ)に限ってはそのいずれでもない。 いずれでもないが絶品である。 木枯らしの吹き始める昨今の食卓において、馥郁たる香りを漂わせながらぐつぐつ煮える神仙炉は、我が前にあってこそしかるべきご馳走と断言したい。  宴席で杯を回しながら、よもやま話に花を咲か