無視するべからず ソウルのソルロンタン/牛耳生著『別乾坤』1929.12
ソルロンタン(牛骨や牛肉を煮込んだスープ)と聞いただけでも、かぐわしい香りが鼻をくすぐり、腹の底から食欲がわいてくるようだ。無粋な人たちは、においがどうとか、店や食器の清潔さがなんだとか、つべこべ言う。
だが、それは本当のソルロンタンを知らない不幸な人だ。
試しに1度、ソルロンタンからガツンとした香りを抜き、トゥッペギ(素焼きの器)ではなく真鍮器や陶磁器に盛り付け、刻みネギを凝った薬味に置き換え、粗塩と粗びきの唐辛子を濃口醤油と細かくひいた粉唐辛子に変更して食べたとしよう。
普段、我々が食べているソルロンタンの魅力はこれっぽっちも味わえないだろう。
ソルロンタンの味はその獣肉臭(実際はかぐわしい香り)と、トゥッペギ、粗塩を備えてこそ正しい味わいなのだ。
愛好家に低所得者層が多いのは事実だが、いくら気取った御仁でもソウルに住む以上、ソルロンタンの悠々たる味を無視はできない。値段が安く、量に優れ、栄養価があり、酔い覚ましにもよく、手軽であり、誰からも好まれ……。
これ以上のものがどこにあるものか。
ソルロンタンは季節を問わず食べる。だが冬に……冬の中でも深夜、午前0時を過ぎたあたり。ブルブルと震える肩をすぼめながら店に入ると、もわっとした暖かな湯気、かぐわしい香りに包まれ、食欲の虫がうずき出す。
ここで他の飲食店であれば、いわゆる気取った御仁は何を頼むべきか周囲をキョロキョロと見回すものだが、ソルロンタンの店に限ってはまったくもって気楽だ。
すっと店に入り、
「1人前」
と言って席に着くだけで、1分もしないうちに、濃厚なスープを満たしたトゥッペギひとつと、カクトゥギ(大根の角切りキムチ)の皿が出てくる。
刻みネギと粗びき唐辛子をどっさり入れ、粗塩で味を調えつつ、おもむろにスープをすすると……。
ああ、その味わいたるや。
到底言葉にできるものでなく、何に例えられるものでもない。山海の珍味をずらりと並べられてもまるで食欲がわかず、いかにも気だるそうに箸を伸ばすような人であっても、ソルロンタンだけは無視できないのである。
もはや充分にソウルの名物であり、それはすなわち我が国の名物たりうる。
ここからは余談だが、日本人の漫画家で岡本とかいう人物が、我が国のソルロンタンを面白おかしく漫画に描いた(※1)。牛一頭を丸ごと釜に放り込んで茹でている光景がそれだ。
これを悪気のない冗談とみればそれまでだが、万が一にでも見下す気持ちが含まれるのであれば、ただちに連れてきてソルロンタンの真価がわかるよう教える必要があるのではないか。究極的にはソルロンタンのとりこになって、我が国に移住するまでの姿を見られるぐらいに。
-牛耳生著『別乾坤』1929.12
※1、訳注:原著には「薄田斬雲、鳥越静岐著『朝鮮漫画』に登場する『店頭の牛頭骨』(P60)を指すものと見られる」との注がある。だが、『朝鮮漫画』は1909年の著作であり、著者名を「岡本」としていることから、時代的にも1927年に東京朝日新聞で連載された岡本一平の『朝鮮漫画行』を指すのではないか。一連の作品中「牛の頭ヤーイ」の項目にて、牛の頭を大釜で煮る酒幕(居酒屋)の光景を挿絵として描いている。
<訳者解説>
牛骨、牛肉、牛の内臓などを大釜で丸1日、あるいは丸2日ほども煮込み、うま味のエキスを搾り出したスープをソルロンタンと呼ぶ。その来歴は、高麗時代に半島を支配した元の食文化から派生したとも、朝鮮時代に行われた宮中の農業祭祀に由来するとも言われる。どちらの説を取るにしてもソウルから広まったもので、当時の感覚で庶民的なソルロンタンを「名物」とするかはともかく、ソウルを本拠地とする料理であるのは間違いない。
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翻訳者:八田靖史
コリアン・フード・コラムニスト。慶尚北道、および慶尚北道栄州(ヨンジュ)市広報大使。ハングル能力検定協会理事。1999年より韓国に留学し、韓国料理の魅力にどっぷりとハマる。韓国料理の魅力を伝えるべく、2001年より雑誌、新聞、WEBで執筆活動を開始。最近はトークイベントや講演のほか、企業向けのアドバイザー、韓国グルメツアーのプロデュースも行う。著書に『目からウロコのハングル練習帳』(学研)、『韓国行ったらこれ食べよう!』(誠文堂新光社)ほか多数。最新刊は2020年3月刊行予定の『韓国かあさんの味とレシピ』(誠文堂新光社)。韓国料理が生活の一部になった人のためのウェブサイト「韓食生活」(http://kansyoku-life.com/)、YouTube「八田靖史の韓食動画」を運営。
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