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珍品中の珍品 神仙炉/牛歩生著『別乾坤』1929.12

 料理もいろいろである。

考えただけで生唾ごっくんのウマウマ料理があれば、希少価値の高さで思い浮かぶもの、ガッツリ食べたいときにふさわしいもの、珍奇さゆえに高価なもの、季節を楽しむ旬のものなど様々だが、こと神仙炉(シンソルロ)に限ってはそのいずれでもない。

いずれでもないが絶品である。

木枯らしの吹き始める昨今の食卓において、馥郁たる香りを漂わせながらぐつぐつ煮える神仙炉は、我が前にあってこそしかるべきご馳走と断言したい。

 宴席で杯を回しながら、よもやま話に花を咲かせていると、せっかくのチゲも冷めて脂のひとつも浮くものだが、そんなときでも美味しく味わえるのが神仙炉である。肉団子ひとつ、チヂミひと切れの味わいも素晴らしく、醤油仕立てのスープにくぐらせた麺のひとたぐりがまた別格。ひと通り飲んだ後の腹具合がややさみしく、かと言って別途注文するほどでもないときに、神仙炉のスープへ投入する麺は酒党にも非酒党にもベストマッチだ。

 料理とはまず腹を満たすのが目的だが、それ以外にもいくつかの条件が付く。第1に味がよくなければならず、第2に香り、第3に見た目、第4に季節感がそれぞれ備わっていなければならない。

いくら滋養に優れても味がひどければ薬にはなっても、料理としては価値を失う。香りが立たなくても同様。味付け、盛り付け、器、温度、ボリューム、季節感が料理の品格と価値を決定する。

 厳選された食材と、趣のある器と、イノベーティブな技術で調理された神仙炉は、どの点から見ても我々が持ちえた芸術的料理のひとつだ。

巷の声によれば、舞台芸術を総合芸術と言うが、丁寧に調理された料理や、美しく整えられた膳立てもまた、素晴らしい総合芸術なのである。すなわちそれは舌の芸術であり、鼻の芸術であり、目の芸術であって、我々を一次的に満足させる芸術である。

舞台芸術は文学、絵画、音楽、建築など各種芸術を組み合わせるがゆえに総合芸術とされるが、実のところ料理はそれ以上に条件が多い。適切な時期に、適切な場所で、適切な賓客を集めて催す饗宴は、それ自体がまさしく文学である。

ひと膳の料理を調えるには、絵画や建築とも通ずる芸術的な感覚抜きに満足ゆくものを求めることはできない。さらにはそこへ、香りや味の要素を加えたものが料理なので、これこそまさに総合芸術と呼ぶのにふさわしい。

 神仙炉の話からやや脱線してしまった。

つまるところ神仙炉は上記理由から、料理の芸術品たりうるということだ。

                    -牛歩生著『別乾坤』1929.12


<訳者解説>
神仙炉は中央に炭火を入れる筒のある鍋を指し、日本で言うしゃぶしゃぶ鍋に似ている。この鍋に澄んだ牛肉ダシを満たし、肉団子や、チヂミ(牛肉や魚などの衣焼き)、魚介、野菜、キノコなどの各種食材を彩りよく並べ、煮込みながら食べる料理も同じく神仙炉と呼ぶ。朝鮮時代の宮中における宴会料理のひとつで、口を悦ばす材料がたくさん入っているとの意味からヨルグジャタン(悦口資湯)、クジャタン(口資湯)などとも呼ばれた。

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翻訳者:八田靖史
コリアン・フード・コラムニスト。慶尚北道、および慶尚北道栄州(ヨンジュ)市広報大使。ハングル能力検定協会理事。1999年より韓国に留学し、韓国料理の魅力にどっぷりとハマる。韓国料理の魅力を伝えるべく、2001年より雑誌、新聞、WEBで執筆活動を開始。最近はトークイベントや講演のほか、企業向けのアドバイザー、韓国グルメツアーのプロデュースも行う。著書に『目からウロコのハングル練習帳』(学研)、『韓国行ったらこれ食べよう!』(誠文堂新光社)ほか多数。最新刊は2020年3月刊行予定の『韓国かあさんの味とレシピ』(誠文堂新光社)。韓国料理が生活の一部になった人のためのウェブサイト「韓食生活」(http://kansyoku-life.com/)、YouTube「八田靖史の韓食動画」を運営。



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