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全州名物 タッペギクッ/多佳亭人著『別乾坤』1927.3

 平壌のオボクチャンクッ(牛寄せ鍋)、ソウルのソルロンタン(牛スープ)が名物ならば、全州名物はタッペギクッ(豆モヤシのスープ)であろう。

 名物というと何か特別な珍味のようにも思えるが、実のところそうではない。オボクチャンクッやソルロンタンと同様に、身分の上下なく誰からも愛され、値段も手ごろ。それでいて味は素晴らしく、酔い覚ましにも効果があるのだから、他地域の名物と肩を並べるだけの資格は充分だ。

 むしろある面では、オボクチャンクッやソルロンタンの上を行くと言えなくもない。オボクチャンクッも、ソルロンタンも牛肉を煮た料理であり、食材自体に備わった美味しさがある。

 それに比べて、タッペギクッの材料は豆モヤシだ。

 豆モヤシを釜に投入してふつふつと煮込み、刻んだニンニクの少々……を入れるかどうかはお好みに任せつつ、あとは塩を加えて混ぜるだけ。シレギ(干した大根の葉)を少し足してもよいが、ソルロンタンと同様に醤油を入れるのは禁物である。

 どんな野菜にも言えることだが、豆モヤシというのは本来、あれこれ混ぜた薬味ダレをかけるなど、味付けをしてこそ美味しさが引き立つものだ。

 しかるに、全州のタッペギクッはそうではない。

 材料はわずかに豆モヤシと塩だけ。それで成り立つのは全州の豆モヤシが、他地域のそれと異なって品質で群を抜くからだ。

 もちろん窒素肥料を与えているわけでもなく、ほかと同じく水で育てている。栽培の方法に違いがないのに、味がそんなにも異なるのは、すなわち全州の水がよいからと言わざるを得ない。ただの豆モヤシを茹でて、塩を振って、ぐるぐる混ぜたものがかくも美味しいのだから、まことに不思議であることこの上ない。

 そして、この不思議なスープの食べ方にまたディープな趣がある。

 朝ごはんの前、あるいは深夜にごそごそと起き出し、ひんやりとした空気に首をすくめながらタッペギクッの専門店を訪ねる。この場合の専門店というのはソウルで言うところの立ち飲み店のことだ。

 かぐわしい香りと、ほんわりとした湯気に包まれる、暖かな店内に入って小さな椅子に腰かける。まずはとろりとしたマッコリの1杯をぐびりぐびり。そのうえでタッペギクッの器にごはんひとさじを浸し、ハフハフとすすり込むのだ。

 山海の珍味にも劣らない、風味豊かな味わいが染みわたる。さらに言えば、前夜にしこたま飲んで胃腸が重たいとき、このタッペギクッに勝るものはない。

 それでいて値段はマッコリ、タッペギクッ、ごはんの三者を合わせてもわずか5銭也だ。全州の物価が特別安いとはいえ、タッペギクッは特別の中でも特別だ。

 万人受けする料理としてはソルロンタン以上。

 なにもかも平凡な全羅道の料理としては、傑出の逸品であると言える。

 最後にひとつ。

 全州は土ぼこりがひどいのだが、タッペギクッを食べることで、その予防になることを紹介しておく。

                    -多佳亭人著『別乾坤』1927.3

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(写真:全州南部市場の豆モヤシ店)

<訳者解説>
タッペギクッのタッペギは、漢字で「濁白」と書いてマッコリのこと。直訳ではマッコリのスープとなるが、これはマッコリの肴、あるいは酔い覚ましの用途を意味するもので、実際は豆モヤシ(韓国語でコンナムル)を煮込んだスープを表す。現在の韓国ではあまり馴染みのない料理名だが、全州はいまも豆モヤシの名産地であり、マッコリ自慢の居酒屋も多く、コンナムルクッパプ(豆モヤシのクッパ)の名で同様の役割を担っている。

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翻訳者:八田靖史
コリアン・フード・コラムニスト。慶尚北道、および慶尚北道栄州(ヨンジュ)市広報大使。ハングル能力検定協会理事。1999年より韓国に留学し、韓国料理の魅力にどっぷりとハマる。韓国料理の魅力を伝えるべく、2001年より雑誌、新聞、WEBで執筆活動を開始。最近はトークイベントや講演のほか、企業向けのアドバイザー、韓国グルメツアーのプロデュースも行う。著書に『目からウロコのハングル練習帳』(学研)、『韓国行ったらこれ食べよう!』(誠文堂新光社)ほか多数。最新刊は2020年3月刊行予定の『韓国かあさんの味とレシピ』(誠文堂新光社)。韓国料理が生活の一部になった人のためのウェブサイト「韓食生活」(http://kansyoku-life.com/)、YouTube「八田靖史の韓食動画」を運営。


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