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70年代ロボット漫画《ザ・ムーン》: 最後に強いものが勝つ

概要:


作者はジョージ秋山。1972年〜1973年週刊少年サンデーで掲載。全4話。
富豪が2兆5千億円かけて作った新たな神、ザ・ムーン。純粋な心を持った少年たちに、本当の正義を見つけ出してもらうため、サンスウ・シャカイ・カテイカ・タイソウ・ズコウ・リカ兄弟・オンガク・ヨウチエンという9人の少年少女にザ・ムーンを渡す。
ザ・ムーンは9人の心が揃わないと動かない。


魅力:


ザ・ムーンは最強ではない。結局、力の強いものが勝つ。


①それぞれの正義のために、水爆、財宝、老人問題、宇宙平和問題に巻き込まれる

②般若心経でザ・ムーンが空を飛ぶ回がある

③ザ・ムーンは最強ではない


感想:


ザ・ムーンのオチ、鬼頭莫宏の「ぼくらの」で話題になったこと、それぞれザ・ムーンを知った経緯は色々あるのかなぁと思ってます。

俺はザ・ムーンのロボットに三日月という強烈な造形に惹かれて興味持ちました。

70年代という時代背景もありますが、この時代はメッセージ性を大事にしている印象があります。本作のメッセージは「正義とは何か」じゃないでしょうか?


①それぞれの正義のために、水爆、財宝、老人問題、宇宙平和問題に巻き込まれる

少年たちの正義感やザ・ムーンの存在が災いして、彼らは様々な組織や人に誘拐されたり襲われたりします。
特に好きな回が老人問題(ファーブル)の回なので、これをメインに話します。


②般若心経でザ・ムーンが空を飛ぶ回がある

第3話「春秋伯爵のユートピア」の回です。

贅を尽くした老人、春秋伯爵のユートピアのため、老人たちが洗脳されたり、ファーブルというケツにしか見えないロボットが無尽蔵に現れます。

ザ・ムーンの方が強いけれど、質より量。かなりの数のファーブルらに負けそうになります。

その時に、9人の少年たちがたどり着いた答えが「般若心経を唱える」こと。

彼らの般若心経により、ファーブルは大破。春秋伯爵がザ・ムーンに対し、仏のような存在を感じ敗北を認めたことで第3話は終幕します。

・春秋伯爵が思った以上に贅を尽くしてる
・ファーブルがケツにしか見えない
・老人問題を訴えてくる春秋伯爵
・洗脳される大量の老人たち
・般若心経を子供達が唱えられる

結構、?ってなる点はあるけれど、孤独な老人問題は70年代から問題視されてたんだなぁとか感慨深いものがありました。


③ザ・ムーンは最強ではない


ザ・ムーンは9人の心が揃わないと動かず、1人が動かしたくないと思えば全く動きません。
ここも弱点として機能しているんですが、ファーブル的なロボットが結構出てきたり、水爆や水圧などでもしっかりダメージっぽいのは受けてるしで、強いけれど最強ではないのが伝わります。
何よりも、ザ・ムーンが動くシーンよりもほぼ動かない状況のほうが多いので、不便な点のほうが多いです。

最終回の話にもなりますが、最後の敵は木の国屋という豪商や宇宙人になります。しかもザ・ムーンではどうしようもない存在が現れるし、子供達も死を覚悟するような状況に立たされます。


まとめ:


これはロボット漫画と言って良いのだろうか。それよりも正義や力、金といったフレーズが目立つ作品でした。
ロボットというより、SFなのかも知れない(違うかもしれない)。
ある架空の状況を作ることで、現実に必要なことやメッセージを訴えるという文脈。
そのメッセージが「正義」というあやふやなものにすることで、それぞれにとってのエゴをもとにした「正義」のあり方を伝えていく。

こういうメッセージ性って50年過ぎた2020年代にみると失われたなぁと感じる。
それは、いくらメッセージを伝えても何も変化もなかった世界への絶望からなのか、そもそもメッセージなんて読者が求めてないからなのか、購読層の変化なのか分からないけど。
こういうメッセージを今に伝えてもほぼ無意味なようにも感じる反面、無味乾燥とした世界にこそメッセージが必要と考えることもできる。
様々な叫びを繰り返し、結局のところ何もかも無意味な2020年代。
何もかもが正解がなく、何もかも間違いを起こしている世界において、自分の思うことが全てというスタンスになりつつあるのはわかる。
けど、その先にあるのはザ・ムーンのように正義を振りかざして強いものが勝つ世界じゃないだろうか?

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