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ハグしたがるドイツ人、お辞儀したがる日本人

今回は「身に沁みついた習慣はなかなか変えられない」という小咄を。

ちょうどいま日本は夏休みシーズンということで、ドイツで働いていた当時の夏の休暇にまつわる話から。

不自然なドイツ人

一般的にヨーロッパの人たちは日本人よりも長い休暇を取る傾向がある。近年はドイツ人も休暇の期間が短くなったとは言われるが、それでも夏の休暇、いわゆるサマーバケーションは毎年の一大イベント。気合を入れて2~3週間の休暇を取る人の割合は多い。

長い夏の休暇

僕がドイツで働き始めて最初の夏。同僚が会社の予定表に6月の3週間を休暇で不在にすることを載せているのを見た瞬間、「この人は会社を辞めることになって、残った休暇を消化するのかな」と感じたことを憶えている。

実際はそんなことはなく、彼女にとっては毎年恒例の夏のバケーション期間に過ぎなかったわけだけれど。

時期を分散させる

あともう一つ特徴があって、一般的にはみなさん敢えて時期を分けてバラバラに休暇を取るケースが多い。たとえば、6月〜9月のどこかあたりで、同じチームの中でできるだけ時期が被らないようにバラけて休暇を取るとかいうのが、よくあるパターン。

同じチームの中でも、子どものいる人は学校の夏休み期間中に休暇を取り、そして子どものいない人は夏休みのハイシーズンを外す、とかいった要領でうまくやっている。

だから新しく人を採用するときにも、隠れた重要事項として「どの時期に夏の休暇を取るパターンの人か」を面接時にチェックする人もいる。

ドイツ人同僚
「私とペアで働く同僚の採用がやっと決まったよ!専門知識があってプロフェッショナルな態度で、それでいて柔軟性ががありそうなのよね。そして何より・・、彼女は子どものいる私と違って、夏の休暇をいつも9月頃に取るって!」

という感じで、夏の休暇のタイミングは人々の大きな関心ごとだったりする。

休暇明け

さて、そうやって長い休暇を取った後。その人が出勤してくると、何が起こるかというと・・

朝から次々に同僚たちがその人のところへやってきて、「顔を見なくて寂しかったよ」「休暇はどうだった?」とかなんとか、ワイワイやっている。

3週間遊んだ後で会社に来たら、同僚たちが笑顔で「会いたかったよ」とか言いながら集まってきてくれるなんて、本当に幸せな人たちだなあ、と思うわけです。

そして同僚が久しぶりに会った場合は、ハグする人が多い。みんながみんな、というわけではないけれども、僕の最初の職場ではかなりの人がそうしていた。

性別に関係なく、男女同士でも自然な感じでガッツリ抱き合う。特に仲が良い関係性の人たちだと、頬を合わせる人たちも。

僕が見た中で印象に残っているハグがある。大柄なドイツ人たちの中にあっても、ひときわ恰幅の良い男性と女性の同僚がいて、その二人は仲が良かった。夏休み明けにその二人がハグした瞬間。ドスっという低い音とともに、職場の空気が震えたかのような迫力が。これが本場のハグというものか、と感じ入ったことを思い出す。

当事者として

でも、しかし。

人のハグを見るのと、実際に当事者として自分でやってみるのは、また別もの。僕がドイツで働き始めたころは、ハグはなかなか越えられない一線だった。

僕の理解では、日本においては古来から職場で男女がハグする習慣はないと思う。もちろん、単にハグをするのか、しないのかが国によって異なっているだけといった単純な話ではない。そもそも、その国や文化における人と人との関係性やら価値観だとか色〜んな要素が前提として存在していて、それら分厚い文化の下地が複雑に織りなす強固な基盤の上に表出した結果として、「ハグする文化か、否か」が規定される。

だから、日本文化で育った僕が、そんな一足飛びに突然ハグをしようとしても、心がついてこない。更にいえば、そもそもハグの姿勢やタイミングも長さも、どれも練習したことがなく身についていない。体がついてこない。

と、理屈っぽく言い訳を書き連ねてみたけれど、真実を簡単に言えば「意気地がない」とも言い換えられる僕は、要は職場では「ハグしない人」として通っていた。

さて、そんな僕が、休暇を取って休んでいたドイツ人のところへ行って「休暇はどうだった?」と聞いてみると、何が起こるのか。

その同僚は条件反射で、その日にもう何度繰り返したか分からないルーチン動作に体が入っていく。スポーツ選手が、無意識に決まった動作を行うように。

つまり、深く考えることなく立ち上がって、僕の方へ一歩踏み出してくる。そして少し体を傾けつつ、片方の肩を上げて、ハグの体勢に入ってくる。

しかし、その瞬間。おそらく理性が囁くのでしょう。

その人の理性さん
「ちょっと待て!こいつはハグしないヤツだぞ!」

彼女は体を一瞬ギクシャクさせた後、一歩後ずさって体勢を立て直し、勢い余った腕をグルグル回してみたりする。

そして「ありがとう、天気も良くて最高だったわ」とかなんとか言いながらも、ハグしない不自然さに体を持て余して、軽く身もだえしている様子。

僕としては、ごめんねー、と心の中で詫びつつ、でもやっぱり水を向けられたハグにのってみることができない。ちょっと申し訳なく感じる瞬間だった。

そんな、異文化の生むちょっとしたギクシャクを、今年も世界の誰かが、どこかの国で経験していることでしょう。

不自然な日本人

それとは逆に、日本人が不自然な状況に陥るケースもある。

よくあるのが、日本人がドイツへ出張してドイツ人と会うとき。

いままでずっとメールだけのやり取りだけだった人たちが、初めて直接対面するというちょっと感動的なシーンを思い浮かべてください。

ハローとかワォとか言いながら近寄り合っていく。

でも、一定の間合いまで近付くと、日本人は無条件にお辞儀スイッチが入る身体になっている。そう、武道の達人が無意識に対戦相手の動作に反応するように。

その時、日本人としては、腰をかがめて頭を下げるチカラが強制的に身体に加わる。抗いがたい程の強いトルクで。

でも、ドイツ人側としては、こういう状況では握手が一般的。だから、ドイツ人は自然に手を差し出す。

それに対してもう一方のお辞儀スイッチが入った日本人は、その差し出された手に条件反射で応じる。もちろん礼儀正しく、親しみの情を表す笑顔は忘れずに。

それはつまり、どういう状態になるのか。

日本人は深く腰を曲げてお辞儀しながら手を差し出して握手する。そして必然的にすごい上目遣いで相手を見るわけです、満面の笑みで。

どうでしょう、傍から見ていると不自然な構図ですね。でも、実際に陥りがちな状況。

こういう基本的な習慣って体に沁みついてしまっているから、簡単には異文化に合わせられない。

文化や価値観の表れ

さて、先ほども少し書いたように、ハグにしてもお辞儀にしても、その様式が脈絡なくその文化に根付いているわけではない。それぞれの社会では、ベースとなる様々な価値観が下地に存在している。

例えば、ダイレクトに感情表現することは良いこととするのか、避けるべきこととしているのか。または、職場とプライベートを切り離すべきものとしているのか、ある程度は許容しているのか。もしくは、人と人の距離感はどの程度が望ましいとしているのか。

何を良しとして何を良くないとするか、という社会や文化の価値観があって、その上に望ましい行動様式が成り立っている。

で、僕の目から見ると、ドイツのように人間らしさを大事にしたりダイレクトな感情表現を良しとする社会では、長い休暇が明けて職場に戻ってきた同僚をハグで迎えることが良いことだ、という文脈で繋がっているように感じる。

一方、ダイレクトな感情表現は避けて、相手に礼儀を示すことを重んじる日本のような社会では、目線を下げてお辞儀を欠かさないことが良いことだという文脈で繋がっているように感じる。

どちらの社会が優れているわけでもなく、劣っているわけでもない。

更に言うなら、これらはそれぞれの社会の強みや弱みという訳でもない。それぞれの社会は固有の特性を持っているだけであって、その特性が状況によってあたかも良い面に見えたり、あたかも悪い面に見えたりするだけ。良いか悪いかは、あくまでそれを人が評価しているだけであって、絶対的なものではない。

そして、そういった文化的な違いを持つ人たちが交わったとき。例えばハグできなくて身悶えする人がいたり、お辞儀しながらすごい上目遣いで笑みを浮かべる人がいたりしても。

そういった健全なギクシャクを、善意の中でみんなで受け止めて許容していこうという動き、すなわち多様性を認めて包含しようとする心が、僕はとても好きなのです。

by 世界の人に聞いてみた

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