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日本は自助社会か公助社会か

このテーマについては、僕がnoteを始めてからず〜〜っと投稿したいと思っていた。メモは何年も前に作成済みだったけど、なかなか投稿できるレベルまで整理できていなかった。今回ようやく記事にしてみる。

この記事でテーマにしていることが何かといえば、日本の社会は他国と比較したときに、

「自助社会=自分の身は自分で守る社会設計」なのか。

それとも、

「公助社会=社会全体でお互いに支えあっていこうという社会設計」なのか。

公助とは、政府が国民をどの程度手厚く助けるかということ。言い換えると社会福祉制度がテーマ。欧米との比較で考えてみる。

なお、このテーマを扱うときには、本来は「互助」や「共助」そして「ノブレス・オブリージュ」といった視点も重要な要素。ただ、今回は話を分かりやすくするために、あえて他の要素については触れないことにする。

とにかく、このテーマは非常に複雑で多様な見方ができる。僕の記事はかなり乱暴に括ったまとめ方をしている、という前提でお読みいただければ。

なぜ、このテーマを書きたかったのか?

それは、新型コロナが蔓延した時に、当時僕が住んでいたドイツで、周りのドイツ人を見ていて改めて社会のコンセプトが日本と違うと感じた経験が原点。

まず、結論

で、まず最初に僕の結論。

日本は、欧州ほど公助が大きな役割を担っている社会ではない。欧州と相対的に比較すると、日本は「自分が困りたくなければ自分で自分の身を守りましょう」という自助的な社会制度。

一方で、日本は米国ほど自助の社会ではない。米国と相対的に比較すると、日本は「社会全体でお互いに支え合っていこう」という公助の意識が強い社会制度。

つまり日本からみると、欧州ほど公助ではなく、米国ほど自助ではなく、その中間くらいの立ち位置。

この見方を読まれた方は、意外だと思われたでしょうか。

そもそも「欧米」って一括りにされていて、似たような社会じゃないの?って思われたかも知れない。

でも欧州の人からすると、米国は国の成り立ちから根本的に違っている。だから国の根本的なコンセプトも全然別物だと考えている。

では、どうしてそう思うのかを以下でみていこう。

公助と自助の分布マップ

欧州に住んでいると、それぞれの国による社会制度の設計の違いが見えやすい。かなり乱暴にざっくり以下のような傾向で分けられて、①は公助社会の度合が高い。そこから④へ寄っていくほど自助社会。

①北欧の国
②ドイツなど西欧の国
③日本
④アメリカ

これは「消費税に相当する税の%」や「経済規模に対する社会保障等の割合」と強い相関があると言われている。

「①北欧の国」の特徴は、とても高い税金を払う。消費税に相当する税の率(付加価値税率)は基本的に25%程度。でも、国が年金・失業保険など社会保障費用を非常に手厚く負担して、国民を支えてくれる。教育費も医療費も基本的に無料。社会民主主義と呼ばれている。

そこから「②西欧の国」になると、少しづつ自助社会に近づいていく。

「②西欧の国」では、消費税に相当する税の率(付加価値税率)は基本的に20%前後。またそれだけではなく、ドイツでもらう給与明細を見ると、自分の給与から目の玉の飛び出るほどの各種税金が引かれていた。

次に「③日本」の消費税率は、基本的に10%。そして僕がドイツで働いていた当時の給与明細と比較すると、日本の各種税金のなんと安いこと。

北欧と逆の極にいるのは「④アメリカ」。典型的な自助社会の国と言われている。

「④アメリカ」は消費税に相当する税の率(小売売上税率)は0~10%程度。基本的には自分でお金を稼いで、そのお金で自分の身を守ることに重きを置いている社会設計。

そもそもアメリカの成り立ちは、新大陸をカウボーイが開拓していった国。リスクもあるが一攫千金も狙える。信頼できるコミュニティーは元から存在しなく、自分の身は自分で守る。つまり、建国時から「自助・自立」の価値観がきっちり根付いている。

アメリカの前大統領だったトランプ氏の「自国第一主義」はこの世界観と非常に相性が良い面がある。

また、自分の身は自分で守る社会制度が前提だから、アメリカ人から銃を持つ権利を奪うことは難しいだろう。それが彼らの根底の価値観に反する面があることは容易に想像できる。

一方で、自分の成功はダイレクトに自分へ返ってきやすいため、一生懸命に働くモチベーションも湧きやすく、それゆえ経済的な活力が生まれやすい。そういう意味で、人間の本質的な一面と合致している社会とも言えるだろう。

公助社会について

さて、戻って①や②の公助の性質が強い社会の国々について。

ドイツでコロナが感染爆発し始めた時に、ドイツ政府は直ちにコロナで不利益を被る事業者へ補助することを決めた。

これは、比較的公助に重きを置いた社会にしようという社会的な合意が、予め国民の間で共有されている社会だから。「困っている人は、国(=国民の代表)が比較的手厚く保護する」ことが社会の基本的なコンセプト。だから支援すべきか否かについて、改めて国民の民意を問う必要はなかった。

みんなで支え合うという合意があるから、ドイツで生活していて常々感じるのが、「国民みんなで協力して良い社会をつくる」という意識が強い。

日常生活でも、例えば駅で切符の買い方がわからなくて困っていたら、だいたい誰かが声をかけてきて助けてくれる。ベビーカーを押している人もみんなで助ける。逆に、社会通念に沿わないおかしな行動をしている人がいたら、声をかけて注意して、正そうとする。

「個人主義」と言われる一方で、社会の運営に自分自身が協力していて、社会の構成員としての役割を果たしているという意識を持っている人は多いと感じる。

つまり、ドイツでは明らかに日本よりも人々がお互いに干渉し合いながら生活している。

「信頼」が不可欠

このような社会を成り立たせるためには、不可欠な要素がある。

それは、
自分たち国民の意見が政治に反映されている、と思えること。
政府や社会の透明性が確保されていること。

なぜなら、税金が自分たちの意見が反映された適切な目的に使用されている、と納得できなければ、高い税金を払うことに納得できない。

また、自分の払った税金が汚職など不適切な行為で消えていくと不信感を持っていれば、やはり納得できない。

つまり公助社会というものは、民主主義が正しく機能しており、また透明性も確保されている、と国民が納得できることによって、初めて成り立つ。

これを言い換えれば、公助社会では「信頼関係」が何よりも大事だとされている。信頼がなければ成り立たない社会だから。

実は、今回の記事で公助社会について書いたことの大半は、職場の同僚の女性(50才代)が立ち話で教えてくれた。

コロナが広がり始めた時に、僕が「どうしてこんなに早く政府が補助金を出すことを決定できたの?」って聞いたら、彼女が「実は、私たちの社会では困っている人を国が比較的手厚く保護する、という合意が予め共有されていて・・」と、10分くらいの立ち話でスラスラ教えてくれた。

それくらい、この「国の制度設計」についての考え方は一般の国民に広く深く浸透している。

日本について

最後に、日本について。

僕がニュースをみていた個人的な印象で申し訳ないんだけど、コロナが広がり始めた当時の日本は、ちょうど欧州とアメリカの中間に位置している印象を受けた。つまり、欧州のような「みんなで支えあう社会」という合意があるわけでもなく、一方でアメリカのように「自助・自立の社会」という合意がある社会でもなく、これらの中間な印象。

コロナの蔓延を防止するための対策と、経済や自由を重視しようという意見のバランスは、欧州と米国の中間くらいと感じた。

消費税の%や生活保障等への公的支出の割合も、欧州とアメリカの中間くらい。

日本でコロナ対応の補償の規模が欧州より小さいことについて、文句を言う論調も見られたけれども、それは社会の制度設計自体が違うからだと感じた。

逆に、もし日本が欧州と同じだけ補償するのであれば、日本国民は未来の国民(子どもたち)に借金を押し付けているだけ、ということになる。

但し、分野によって特性が違う

ただ、僕が上記のように乱暴に一括りにしたものの、現実はそれほど単純な構図ではない。

例えば社会の性質に大きな影響を及ぼす「雇用」については、日本の基本的な思想は世界でも例をみないほど保守的。社会のみんなで支え合う形になっている。正社員を解雇するハードルは極端に高くて、いったん会社から正規雇用されれば、成果を出しても出さなくても、解雇される懸念は非常に低い。

一方で会社の視点から見ると、正社員を雇用すると、そのさき何十年も雇用を維持するという非常に厳しい義務が生じるため、正社員雇用のハードルが非常に高い。だから会社は非正規雇用を活用するモチベーションが高まり、実際にそうなっていった結果として、経済的に国民の二極化が進むことになった。

というように、日本社会の中でも分野によって特性は違う。

他にも、健康保険制度については日本は欧州の国々とほぼ同じレベルだとも言われている。つまり、日本国民は健康にかかわる部分はリスクが少なく公共の支えが厚い社会になっている。

逆に、教育費に占める公的支出ではアメリカよりずっと少なく、教育について日本は先進国の中でも公的なお金をかけてきていない。

単純化できないのは理解しているけれど、ざっくりとした構図は今回説明したような感じだと僕は理解している。

まとめ

ということで、例によってどちらが良くてどちらが悪いということを主張したいのではないんだけど、これだけ基本的で大切な「国の制度設計」について、そういえば日本にいたときには考えたことがなかったなあ、というか、考える手掛かりがなかったなあ、と思った。

日本は伝統的に「お上としもじも」が分かれている社会。これまでは「しもじも」は「お上」が設定した国の制度設計について深く考えず従っていれば、社会がうまく回ってきたのだろう。なぜなら、国の制度設計について国民全体で議論がはじまると、必ず世代間や階級間などで対立が発生して、社会が不安定化するものだから。

しかし、もともとは戦後に現在の日本の制度設計がつくられ、その後で劇的に少子高齢化が進み、生活も変わり、人生観も変わり、あらゆるものが変化した。

そろそろ、こういった「国の制度設計」について改めて国民が理解して、国をより公助の方向へ変えたいか、自助の方向へ変えたいか、今のままで良いのか、国民が自分の考えを持つ時代になったのではないだろうか。

そうやって自分たちの意見をつくりあげて、いろんな場で自分の考えを発信し、みんなで更により良いものに練り上げていく。たとえば私たちがnoteの場で自分の考えを発信することが、その第一歩になるのかも知れない。

そうやって育んだみんなの意見を、選挙を通して自分たちの声として上げていき、政府が実際の政策に落とし込んでいく。

僕としては、この動きが健全な社会をつくる上で必要なんだろうなぁと思った。

終わりに

さて、もしも自分好みの理想の社会をつくることができるなら、あなたは今の日本よりも税金の少ない自助社会にしたいでしょうか、それとも税金の高い公助社会にしたいでしょうか。それか今の日本こそが理想の社会でしょうか。

by 世界の人に聞いてみた



【バックデータ】
「日本が欧州とアメリカの中間」と書いている背景は以下。

https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000394936.pdf

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