(事実は)経験しなければ分からないとはどういことか
言葉では言い表せない、経験しなければ分からない(だから実践あるのみ)と言われると、とても神秘的で難しそうな話に感じる。
こういう言い回しがコトを難しくしている気もする。
身体で覚えた方が早い人、理屈から入る人、いろんなタイプの人がある。
そもそも何かを教わる(教える)ためには言葉を介すのであって、(言葉では)ムリと言う人も、言葉で説明している。
そもそも言葉では言い表せない、とはどういうことか。
それぞれの人の経験や考え方によって、言葉に対しいろんな解釈をすることができる。
みんなが同じ意味に捉えていると思っていても、全く異なっていたりする。
まず大前提として、この世界には事実しかない。
これって至極当たり前のことで、考える様なことではない(こういう言い方ね・・)。
事実、実体、今の様子、本来の面目、なんでも良いけど、これらの言葉に抱くイメージは人によって違う。
お互いに話が通じ合っていると思っていても、実は全然かみ合っていなかったりする。
日常ですら良くあることだけど、教える人、教わる人、という立場の構造があると、またややこしくなる。
(敢えて難しくして、立場を利用して、マウントしたりする人もある。)
ここで言う事実という言葉は、私が存在している、この世界(私)の在り様という意味で使っている。
どういう在り様かと言うと、この世界(私)に存在しているものの全ては、五感から入る知覚から成り立っている。
例えば、空を見上げたら「青」という色の実感(心象、クオリア、眼識)がある。
これは一つの事実なんだけど、これは言葉で説明できない。
「空は青い」という説明は、ただの言葉であって、事実ではない。
例えば、生まれつき目の見えない方に対して、「空は青いです」と説明しても、絶対に伝わらない。
青と言う概念を持つことが出来ないから。
音、匂、味、触覚、意識も同じ。
あるのはこれ(事実)だけなんだけど、ここからいろんな機能が働くことによって、様々な思考、観念、概念が二次的に生じる。
二次的に生じるものは、ただの働きであって、実体を持つものではない。
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