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人生の後半にすること

人生には「折り返し点」があります。 寿命が80歳の人であれば、人生の折り返し点は「40歳」。

折り返し点を過ぎて、「人生の半分を越えた」と思える人は、次のことに意識を切り替えてみることをおすすめします。 


●旅をするときは、「どこに行くか」ではなく「誰と行くか」  

●食事をするときは「何を食べるか」ではなく「誰と食べるか」  

●話をするときは「何をしゃべるか」ではなく「誰としゃべるか」 


同じ価値観を持って、「人の間で生きて幸せ」と思える「よき仲間」と一緒にい れば、それで天国。

「何を食べるか」は関係ないのです。 


人生の後半は、「物」や「中身」を選ぶよりも、「人」を選ぶ。

「何をするか」で はなく、「誰とするか」を考えてみましょう。 

どんなに楽しい場所に出かけたとしても、一緒に行く同伴者が「気の合わない 人」だったり、「価値観が違う人」だったり「すぐに不平不満を口にする人」だと したら、せっかくの旅行も台無しです。 


お釈迦様は、言いました。 

「もしも常にこの世を歩んで行くときに、明敏な同伴者を得ることができたならば あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念意をおちつけて、彼とともに歩め」
『ブッダの真理のことば・感興のことば』(岩波書店)


「同じ方向を向いて、同じ価値観で生きている仲間」「同じ話題を、同じように笑顔で話せる仲間」「お互いにありがとうと言い合える仲間」を見つけることに、「幸せの本質」があります。 

温かな人間関係の中で生きていくことが、「天国」なのです。 



良寛和尚と親交のあった解良栄重(けらよししげ)という人が、江戸時代に良寛和尚の逸話をまとめた『良寛禅師奇話』を記しています。 

「良寛和尚が解良栄重の家に宿泊したときのこと。

良寛和尚が家にいるだけで、上 の者も下の者も、そこにいるすべての人たちが和やかで温かな雰囲気に満たされたそうです。 

そして、良寛和尚が帰ってからも、その雰囲気はしばらく続きました。 

良寛和尚は宿泊中に、説教をすることも、道徳を説くことも、悟りを語ることも ありませんでした。 

ときおり台所で焚き火をしたり、座禅をしたりして、ただゆっくりとしていただけ。 

それでも、良寛和尚が身にまとった和やかな雰囲気から、人々は自然に教え導か れたのです。』


コロナ禍においては、大好きな仲間と話をしたり、食事をしたり、お酒を飲んだり、旅をしたり、という人と集うことができなくなった。

人生の折り返し点を過ぎてから、一番必要なこの「良き仲間と集うこと」が難しくなってしまった。

しかしながら、逆にいうと、この「温かな人間関係」が、いかに我々の人生にとって大切なことなのかが、身に沁みてわかった日々でもあった。


人生の後半には…

誰と行き、誰と食べ、誰としゃべるか。

「何をするか」ではなく「誰とするか」はとても大事なこと。




小林正観
『もうひとつの幸せ論』ダイヤモンド社 より

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