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どんな内容だったか教えて欲しい


昔、能登の国に治郎右衛門という、大きな農家を営む人がいた。 

治郎右衛門は情け深い人で、雇い人たちに対しても常に労わりの気持ちを忘れなかった。 

当時としては珍しい優しい人であり、 「お前たちが働いてくれるから、私たちが楽に暮らしていけるのだ」 といって、心から雇い人に感謝していた。

そして、ときどき他所の家から貰い物があると、まず第一に雇い人に分けてやった。

こういう人だから、雇い人たちも一生懸命に働いていた。 


この治郎右衛門は真宗の信者であった。

近所の寺で説教があるときは、いつも雇い人たちに仕事を休ませて聞かせにやった。

「早く仕事を仕舞って、説教を聞きに行きなさい。よく話を聞いて、どういうことを聞かせてくださったのか、帰ってきたら私に聞かせてもらいたい」 

そういって出してやった。

また、そのときには必ず、「賽銭にしなさい」といって小遣いを与えるのが常だった。


説教を聞きに行った雇い人たちは、帰ってから主人に説教の内容を話さなければならないから、うっかりしているわけにはいかない。

自然と気を入れて説教を聞く。

初めのうちは面白くないと思っていても、何度も聞くようになると、知らず知らず身についてくる。 

こうして雇い人たちの精神教育もできて、中には立派な信者になる者もあった。


世間から相手にされないような不良でも、この治郎右衛門の家に奉公すると、いつの間にか真人間にされてしまうのであった。 

これは江戸時代の話だが、当時は娯楽が少ないから、仕事を休んで説教を聞きに行くのは一種のリクリエーションでもあった。

今でいえば、会社が社員を研修に行かせるようなものだろう。


その研修に出すときに、「どんな内容だったか、あとで聞かせてくれ」と社長がいって送り出す。

それによって、身を入れて話を聞くようになるというわけである。 

この話は、社員教育の工夫として読んでみるのも面白い。



あるところに、貧しい母子家庭の家があった。

母親は、いつも夜なべをして、針仕事をしていた。

娘が学校に行くようになったとき、その母親はこう言ったという。

「お母さんは、貧しくてあまり学校へも行けず、勉強ができなかった。
だから、お前が学校に行ったら、どんな勉強をしてきたか、それを毎日私に教えて欲しい」と。

娘は、母親に教えるため、学校で必死に勉強をし、それを母親に毎晩伝えるということをくり返すうちに、とうとう学校で一番の成績になったという。


誰かに教えるために、勉強するということは、実は、自分自身が一番勉強になり、身に付く方法だ。

教えるためには、自分がかなりのレベルで理解できていなければならないからだ。

すると、必然的に必死で勉強するようになる。


何のために、勉強するのか、という、その目的がはっきりすれば、我々の頭脳はフル回転しだす。

教育において…

「どんな内容だったか教えて欲しい」は、魔法の言葉のようですよ😉✨



渡部昇一
『人生を創る言葉』致知出版社  より

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