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ありがとうの法則


「ありがとうの法則」というのは、自分が自分の意志で生きているのではなくて、 ありとあらゆるものの支援によって生きているということがわかること。

それがわかってしまえば、三次元的な周囲の人間も、四次元的な存在も、すべて味方につけることができるようになります。 

「今まで、人に迷惑をかけずに生きてきたのに、どうして私は病気になってしまったのか」と言う人がいました。

果たして迷惑をかけずに生きるということが可能なのでしょうか。 

自分が着ている服の糸一本さえ、自分で織ることはできません。

お茶を飲むときの茶葉も、湯飲み茶碗も、自分で作っているという人は稀でしょう。

それを載せている机も、床も......というように、ありとあらゆることに他者の力を借りながら生きています。

さらに、水がなければ人間は生きられませんが、この「水」 は、何者かが生命を維持するために与えてくれているものです。

「人に迷惑をかけない」という生き方も立派ですが、実は、そこにいくばくかの 「驕(おご)り、高ぶり」が見え隠れします。

人間は、ことほどさように迷惑をかけなければ生きていかれない存在なのです。

ですから、「おかげさま」で生きてきた、とすべてのものに感謝をしながら生きていくほうが本質なのかもしれません。 

そう申し上げると、その方は、「今まで、ぜんぜん感謝をしたことがなかった」とおっしゃいました。

「これからは、感謝をして生きていきます」とのことでした。 

そして、なんとその方は、余命三カ月と宣告されたのに、一年以上も生きてい ます。

もしかすると、感謝を始めたことで、体の中の組成構造が変わったのかもしれません。 

すべての人、物、現象を大事にし、感謝をして生きていくことは、自分が生きていくことを助けてもらうということでもあります。 

「人に頼るな」「自分の力で生きていきなさい」と教育されてきた私たちには少し抵抗があるかもしれませんが、こんな生き方はどうでしょうか。

人の温かさを 当てにして生きていくのです。

そして、人から温かさを求められたら、自分もできるかぎり温かさを提供することにしませんか。

 頑張らない、闘わない、競わないという人々の社会は、ただ温かさだけに満ちています。


保育園や幼稚園などをつくる話がもちあがると、近所で反対運動が起こる、というニュースが時々出てくる。

「子供の声でうるさくなる」というのが主な理由だ。

子供の声は騒音だという理屈だ。

「子ども叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」

という言葉がある。

我々は、赤ちゃんのときは、両親の助けなしには一瞬たりとも生きていくことはできなかったのに、その事実を大人になると忘れてしまう。

学校でも、仕事でも、家庭でも、いつだって、まわりに迷惑を掛けなければ生きてはいけなかった。

その事実を忘れてしまうと、人は傲慢になる。

自分は誰にも迷惑を掛けていない、自分一人で生きてきた、と。

本当は、「生きてきた」のではなく「生かされてきた」のだ。

逆にいうと、今、生きているのが不思議なこと、稀なこと、奇跡的なことなのだ。

それを「ありがたい」という。

「ありがたし」は「有り難し」と書く。

今有ることが、難しいこと、つまり奇跡的なこと。

だから、今「生かされていること」に感謝する必要がある。

そして、同時に必要なのが「おかげさま」という心。

我々が今あるのは、両親のおかげ、家族のおかげ、先生のおかげ、会社や社会のおかげ、そして神様や仏様のおかげ。

我々は、まわりに迷惑をかけて生きている。

だからこそ…

「おかげさま」という気持ちを持ち、「ありがとう」と感謝多き人生をおくることを心に刻む❣️


小林正観
『神さまに好かれる話』三笠書房 より

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