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ガールズ・バンドの宿命か

一昨日BS朝日の「ベストヒットUSA」タイムマシーンのコーナーでバングルス "The Bangles"が取り上げられていた。
バングルスは、スザンナ・ホフス、ヴィッキーとデビーのピーターソン姉妹、アネット・ジリンスカスの4人によりロスで結成された、言うまでもない80'sのガールズ・バンドの代表格である。
81年「バングス “Bangs”」名義でシングル「Getting Out Of Hand」をリリースするがヒットせず、同名のバンドが存在したため、バングルスと改名。81年、I.R.S.レーベルからミニ・アルバム「Bangles」を発表。翌年にはCBSレコードと契約するが、ベーシストのアネットが脱退、元祖ガールズ・ロック・バンドのザ・ランナウェイズの初期メンバーであったマイケル・スティールが新たに加入した。
84年にアルバム「気分はモノクローム (All Over The Place)」で再デビュー。それを聞いたプリンスがスザンナを気に入り、クリストファー名義で「Manic Monday」を提供、86年にビルボード、UKチャートで2位の大ヒットを記録する。ちなみにビルボードでは殿下の「Kiss」に阻まれているのだが、「Manic Monday」は歌い出しが殿下の「1999」に似ているよね。

「Manic Monday」が収録された2ndアルバム「シルバースクリーンの妖精 (Different Light)」からは「エジプシャン (Walk Like an Egyptian)」も大ヒット、87年のビルボード年間チャート1位を獲得、彼女たちは一躍スターとなった。

作者のリアム・スタインバーグが「エジプシャン」の構想を思いついたのは、ドーバー海峡を渡っている船上だったそうで、波立つ水面にぶつかり船が揺れると、乗客たちは慎重にステップを踏み、バランスを保とうと必死になりながらぎこちなく腕を動かした。これを見て彼は『エジプト人のように歩こう・・・』とメモしたそうだ。
後にスタインバーグはメモを見返し、ギターでメロディーを作曲し、台所用品を使ったパーカッションをフィーチャーしたデモ・テープを完成させた。
「エジプシャン」は「ミッキー」で有名なシンガー、トニー・バジルに提供されたが断られ、スタインバーグと馴染みだったバングルスのプロデューサー、デヴィッド・カーンに回ってきた。テープには二曲入っていて「エジプシャン」ではない方を推されていたが、デヴィッド・カーンは「エジプシャン」を気に入り採用となった。台所用品を使ったオケが決め手になったという。

「エジプシャン」は、キャッチーでコミカルだが、「Going Down To Liverpool」、「Walking Down Your Street」のような曲調や、カバー曲の「ホワット・シー・ウォンツ(If She Knew What She Wants)」、「冬の散歩道(A Hazy Shade Of Winter)」など、リッケンバッカーを抱え歌う彼女たちの原点は、60~70年代の曲であることがわかる。皮肉なことに大ヒットした「エジプシャン」は、自分たちの音楽性と違ったのだ。

そうした背景と、ヒットを出すうちにスザンナの人気が突出し始めたこともあり、メンバーの間に溝ができていったという。それが89年春「胸いっぱいの愛(Eternal flame)」の大ヒットで決定的になり、解散への引き金になってしまった。
この時期の出来事、「ベストヒットUSA」のインタビューの際、小林克也さんは『スザンナばかりに話を振らないようにしてくれ。他のメンバーが不機嫌になるから・・・』とマネージャーに言われたそうだ。
見つけた動画を見ると、確かにメンバーの態度がぎこちなく、克也さんから一番遠くへ追いやられたスザンナが、他のメンバーに避けられている感じに見えるのは深読みだろうか。

尊敬するダイアナ・ロスにならい、スザンナはスタジオの明かりを落とし全裸でレコーディングするという都市伝説(?)があったが、克也さんのインタビューの中にもあるように本当のようだ。
「胸いっぱいの愛」では『ベッド・インするときの思いを歌に込めたい』と、スザンナの要望でそうしたという。

バングルスはデビュー40周年、CBS期に日本でリリースされたシングルを集めたベスト盤が発売された。レアな音源、スザンナのソロ名義の曲も収録されている。


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