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あれから40年・・・

アルバム「シンクロニシティー "Synchronicity"」の発売40周年を記念して、7月26日にCD6枚組のスペシャル・エディションが発売されるポリス(The Police)、オリジナル発売時のトレーラーがYouTubeで公開されている。

そのポリスのフロントマンは、みなさんご存じのスティング。
本名はゴードン・マシュー・トーマス・サムナー。熱帯雨林の保護活動家、国際的な人権保護運動家という側面を持つ。
1951年10月2日イギリス・ニューキャッスルの牛乳屋の家に生まれ、早くも8歳のときに、伯父が捨てたギターを拾い作曲を始めた。
15歳のときベーシストに憧れていた彼に、友達がベースを手作りしプレゼントする、これがベースとの出会い。後にポリスに参加することとなるアンディー・サマーズ(ギター)ともこの頃出会っている。
1969年、大学に進学、刺激がなくバイトを転々とする時期を過ごした後、71年に高校教師になったのと同時期にロックバンドとふたつのジャズバンドを掛け持ちし、独特の音楽感を培った。
スティングというニックネームがついたのはこの頃で、"Sting" 直訳すると「突き刺す」という意味。これは彼が蜂の模様のような黒と黄色のセーターをよく着ていたことからついたということは有名で、突き刺すような彼の眼差しにもピッタリだ。

1976年末、プログレ・バンドに在籍していたスチュワート・コープランド(ドラムス)が、ジャズバンドでベーシスト兼ボーカリストをやっていたスティングのステージを見て口説き落とし、ギタリストのヘンリー・パドゥバーニを加えた3人でポリスを結成。すぐ後に、アンディ・サマーズ(ギター)が加入し4人編成となるが、ヘンリー・パドゥバーニが脱退し、トリオとなったのが、みんなの知っているポリス。

そのポリス、初期はスチュワート・コープランドが主導権を握っていた。1977年末から1978年初めにかけてドイツの作曲家/シンセサイザー奏者であるエバハルト・シェーナー率いるアンサンブルの一員としてレコーディングとショーに参加。レーザー光線、バレエ・ダンス、ジャズなど、さまざまな要素を取り入れたユニークなバラエティ・ショーの一環として演奏したそう。
そこでスティングは、他のメンバーがそれまで聴いたことのないユニークなものに挑戦したという。それを見たスチュワート・コープランドはスティングのボーカルの可能性を最大限に感じたという。それと同時にポリスの初期の楽曲ではスティングのボーカル能力を十分に発揮できていなかったことを悔やんだ。

「パンクでは、彼が叫んでいるのしか聴いたことがなかった。彼があのようなメロディーの発明で舞い上がるのを聴けたのは素晴らしいことだが、ロンドンでは許されなかっただろう。」

スチュワート・コープランド談

スティングを中心に進化したポリスは、1983年の5作目のアルバム「シンクロニシティー」が、ビルボード・アルバムチャートで17週連続1位。先行シングル「見つめていたい "Every Breath You Take"」もシングルで8週連続1位、年間チャート1位にも輝いている。
ただ大きな成功の裏で、このアルバムのレコーディングの最中からメンバー間のバランスが崩れ、3人の仲はとても険悪だったということで、1984年1月にはとうとう活動を停止してしまった。
そんな当時の状況が、エンターテインメント・ニュース"Vulture"のインタビューで、アンディー・サマーズによって生々しく語られている。

そんなこともあり、再び3人が集まった1986年の新アルバム製作は順調に進まず、3年ぶりのシングル「高校教師'86 "Don't Stand So Close To Me '86"」をリリースしたところでストップ、ポリスは空中分解。これを機に3人はそれぞれソロ・キャリアを歩むことになってしまった。

この「高校教師'86」、スチュワート・コープランドが落馬で足を骨折していたため、ドラムがすべて打ち込みだったという曰く付きなうえ、新たな書き下ろしではない。「何でリリースしたのか?」とか「意味不明なリメイク」とか、当時も酷評だった記憶である。
その後2007年にデビュー30周年記念のツアーをやっているけど、ポリスは1984年に終わっていたということなんだろうな・・・

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