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大豆粉と米粉と、PERFECT DAYS。

気づけば、歳を重ねた夫婦二人暮らしが始まってもう9ヶ月が過ぎようとしています。

朝起きて飲むもの、食べるものや
夜の食事に大切にしていること、
そんな日々のルーティンも次第に一つずつ定まってきました。

子供達の好みを気にしなくて良くなったぶん、
“二人の健康”がやおら立ち上がり、一番目につくところに鎮座しているよう😊

日々料理する中で、除去ではないものの距離を置くようになったものは、白砂糖、白米、そして小麦粉などいくつかあります。
グルテンなど遅延性アレルギーの自覚はないけれど、いざやめてみてたまに口にすると、 何だか眠くなったり、身体が重くなったりするのがはっきりとわかるように。

そんな中、友人が大豆の粉の使い方について尋ねてくれたので、この週末、普段のご飯にあれこれ使ってみたら、楽しくなってしまいました。

小麦粉や卵などのアレルギーをお持ちの場合、
昔ながらの和のご飯を食べていればほぼ問題はないけれど、きついのがパンやホットケーキ、クレープなどの粉料理。

大豆粉大さじ3に、潰したバナナ、重曹を小さじ1/4、バニラエッセンス少々を混ぜ、フライパンでじっくり焼き、さっと焼いたブルーベリーを添えたものです。
バナナが良い味わいに。
次は、バナナの輪切りを上に並べて焼いてみたくなりました。
ただ、卵が入っていないので、ひっくり返すために弱火でじっくり焼く必要があります。
卵黄でアレルギーが出ることは少ないので、差し支えない方は加えるとより扱いやすくなります。

バターを使いましたが、もちろんどんなオイルでも。


また、粉をはたく料理にも
小麦粉の代わりに大豆粉で行ってみました。

塩胡椒したラムチャップに大豆粉をまぶし、おろしニンニク、刻みパセリ、パン粉の代わりの米粉クラッカーを砕いたもの、オリーブ油を混ぜ合わせたものをのせてトースターで焼いたものです。
しっかりとニンニクパセリが肉についてくれて、香ばしさもプラス。米粉のパン粉があればさらに良し、でした。

ぶりのステーキを焼く前に、大豆粉をしっかり目にまぶして焼いてみました。
ステーキソースがよく絡み、栄養たっぷりに。

また、粉でとろみを足す役割も、大豆粉で。
小麦粉ほどガツンとではない、優しいつき方です。

エビの頭と刻んだ紫玉ねぎ、ニンニクをオリーブ油で炒め、エリンギ、じゃがいも(紫色)、エビの身も炒め合わせて大豆粉を大さじ1ほど振り、馴染ませてから魚醤、水2カップを注いで煮込んだスープです。

白菜と鶏の豆乳スープにも使ってみました。
まず一口大に切り分けた鶏もも肉1枚分に大豆粉を薄く振って香ばしくグリルで焼きます。
刻みニンニクを入れたオリーブ油で炒めた白菜4枚分に豆乳1カップ、コンソメスープ1カップを加え、鶏肉も加えて柔らかくなるまで煮ます。
仕上げに追い大豆粉をしても。

また、米粉もサラサラしてとても使いやすく、よく使っています。
料理でもお菓子でも、小麦粉を使うことがなくなったのは米粉のおかげ。

飯蛸のチヂミ。
ゆるめの生地が好きなので、大きく焼いて切り分けるより、小さめに焼きます。
ニラ1束と新玉ねぎ1個、飯蛸を刻み、米粉大さじ3、片栗粉大さじ3、水50ccに卵黄2個、鶏ガラスープの素少々をよく混ぜてからニラと玉ねぎ、飯蛸を混ぜ、ごま油を敷いたフライパンに小さく流して焼きました。

小麦粉のグルテンの結着力に比べるとおとなしいし、仕上がりもあまり映えないかもしれないけれど、思いのほか美味しいと思えること、
身体が何となくすっきりと暮らしていられる、
その実感を得られはじめたのが嬉しいです。


距離を取るもの、日々摂るもの、
こうしたルーティンの中のいくつかに支えられているのだと、信じてみたくなりました。

ルーティンといえば、
近頃観た映画「PERFECT DAYS」の主役、平山さんがどうしても浮かんでしまいます。
まるで修行僧のように、同じことを繰り返す毎日。
朝早く目覚めて布団をたたみ、髭を整えて植木の世話をし、身支度をして外に出て空を見る。
缶カフェオレを買い、車のカーステレオに差し込んだカセットテープでルー・リードを聴き、スカイツリーを眺めつつ高速道路を運転。
東京のあちこちのトイレをきちんと掃除して、昼休みには公園でサンドウィッチを頬張りながら、木漏れ日を撮影。
仕事を終え車を置いたら自転車で銭湯へ向かい、一番湯に入ってきれいに身体を洗い、浅草の地下で一杯。夜は本を読みながら眠くなって…

同じことの繰り返しが、過去のさまざまなことを踏み越えて今を生きる彼にとっての心の背骨、のように映りました。

彼のことを語りだすと止まらなくなりますが、
まだ観ていない方には申し訳ないので、
このくらいでやめておきます。


平山さんのようには到底なれないけれど、
日々の一つ一つの繰り返しの中に在る小さな喜びや微かな変化を掬い取れるひとになれたら、という憧れは尽きません。

明日も明後日も、その次の日も。
出来るだけ続けてみようかな。
と、ゆるめの決意表明でした。

そう言えば、映画の最後のテロップで知りましたが、“木漏れ日”を表す英語はないそう。

日本語は、美しい言葉。
心からそう感じます。


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