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上場企業を辞めてUターンして山梨県で起業した話。エピソード 2/3

前回、山梨県へUターンするまでの「住まい」についてのお話をまとめました。

しかし仕事についてはホントに何も考えていませんでした。「まぁ、どうにかなるだろう。」という根拠のない自信ですらない何か(=何も考えない)がありました。

往復5時間あると人は悟りを開く。

その時は一部上場企業に勤務しており、勤務地は東京溜池山王。更に出社時間は朝9時。都留市から出発し、朝9時に溜池山王に着く為には、特急ではなく鈍行の始発に乗らねばなりません。通勤には片道2時間30分以上かかります。当時はリモートワークも普及していない時代。毎日の通勤はさすがに苦行すぎ、悟りを開いてしまう可能性もある。やはり辞めねばならないか。。そう思い、上司である執行役員に面談の申し入れをしました。

私「実は、山梨県に引っ越すことになりまして。通えないので退職させてください。」
上司「え!そうなの!山梨、俺の母親の地元なんだよ!いいとこだよねー。」
私「そうなんです。良いところなのです。しかし、遠くて通えません。」
上司「確かに遠いよね。良い方法ないかな。ヘリコプターとかないの?」

そんな話をしながら「出社時間を遅くすればなんとかなるんじゃないか?」というで、まずやってみよう!とかなり軽いノリで決まりました。そうして翌月から数百人の社員中、私だけが「10時30分出社」という謎の特例が生まれました。今思えば上場企業でこのような調整はかなり大変だったのだと思いますし、そのように調整してくれた上司に今も本当に感謝しています。

通勤といっても「特急かいじ」に乗れば満員電車ではありません。ほぼ必ず座れますので、本を読んだり仕事をしたり、通勤時間を活用することができました。

とはいえ、定年までこの働き方をするのは無理だろうということで私は起業することを考え始めました。私の仕事はデジタルマーケティング。当時山梨県都留市にはそういったスキルを活かせる職場はなかなかなかったですし、リモートワークであれば都内の仕事もできるだろうという見込みもありました。

ビジネスプランコンテストでケチョケチョになる。

そんな中、山梨県が主催する「Mt.Fuji Innovation CAMP」というビジネスプランコンテストの存在を知り、全く何も用意せず参加申し込みをしてしまいました。

2泊3日で泊まり込み、ビジネスプランをブラッシュアップするコンテストなのですが、参加者の皆さんはすでに具体的にビジネスをしている方ばかり。当日まで何も考えていなかった私は「何かアイディアを出さなくてはいけない…」と焦りながら当日の午前中にパワーポイント5枚くらいのビジネスプランをつくり、豪華メンター陣にコテコテにされ見事予選で落選しました。

コンテストを勝ち抜いた起業家たちは眩しく、本当に輝いていました。

私は気落ちしていましたが、しかし中には「面白かったよ!」と声をかけてくださる方もたくさんいました。そしてそこで、同じ都留市に住む若きキーマン、「中村さん」と出会いました。

転職し、副業しながら起業の道を模索する。

ビジネスプランコンテストには落選しましたが、その経験は大変有意義でした。当時から私はデジタルマーケティングのスキルには自信がありましたが、それは「誰かのつくった商品/サービス」を知ってもらうための仕事。この頃から「自分の商品/サービス」を創りたいと思うようになりました。

そして、会社でも個人でも事業開発ができる環境を求めて、改めて転職しました。「通勤できないから」ではなく「やりたいことがあるから」です。

転職先は小さいながらも優秀な人材が揃ったベンチャー企業。エンジニアやデザイナー、そして社長とともに様々な新規事業にチャレンジさせてもらいました。個人としても副業で様々な活動を行っていました。大変ながらも刺激的で楽しい日々でした。この会社では、今も一緒に仕事をする「高井さん」はじめ、たくさんの仲間と出会うことができました。やはり「やりたいこと」で職場を選ぶことで、出会う人も変わるのだと思います。

一歩踏み出した場所で出会った人が、新しい場所に連れて行ってくれる。

そんな折、山梨県のビジネスプランコンテストで出会った中村さんが、都留市で「ツルコン」というビジネスプラン+ブレスト会を開催するから出ませんか?と連絡をくれました。

これもなにかのご縁。以前出したアイディアをもう少しブラッシュアップさせてみよう。そう思いたち、出場させてもらうことになりました。

「ツルコン」は山梨県青年会議所主催の大規模なもので、100人以上の方がオーディエンスとして参加してくださいました。そこには、行政関係の方も参加してくださっており、私のプランを気に入ってくれた若い行政マンがまた市のキーマンに紹介してくださったり、、とどんどんつないでいただきました。

その中で「行政の視点」で見たとき、このまちの課題についてもより理解が深まり、自分ができることで何かまちの未来の役に立ちたいと思うようになりました。

この頃、平行して推進していた個人事業もうまくいき始めた為、いよいよ会社を設立し、起業することとしました。

アイディアがカタチになるとき。

そして、都留市が推進している「生涯活躍のまち・つる構想」を実現する中で、「まちのデジタルプラットフォーム」として提案させて頂く機会をいただきました。

以前から考えていたこと。それは「まちのDMP(デジタル・マーケティング・プラットフォーム)」です。

具体的にどんなもの?というのは長くなってしまうのでまた別の記事にします。

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