見出し画像

米国政府のアクセシビリティ政策 その1(NASA)

NASAのセッションは相変わらずパワフルである。米国の省庁は、毎年、たくさんのCAO(Chief Accessibility Officer)を送り込んでくる。うちの省では、こんなふうにアクセシビリティを進めています、こういうアクセシブルな製品であれば購入するからよろしくね、という内容が多い。10年くらい前は、どのように障害者雇用を進めているか、という内容もあったが、今ではあまりにも普通になってしまったので、そういう内容は減ってきた。連邦政府では職員の7%から15%も障害者が雇用されているのだから、当然だろう。そして、各省庁は、我が省こそがそのお手本である!として毎年PRに来るのだ。AccessBoardやGSA(連邦政府共通調達局)はもちろん、NASA、国務省、文科省などなど、各省がやってきて取り組みを語る。今年のNASAのセッションも満杯だったが、今年は私が出遅れてものすごく後ろの方に座ってしまったので、写真がほとんど撮れなかった。

今回気づいたのだが、この各省庁のアクセシビリティやUDの元締め?であるAccessBoard(米国アクセス委員会)のような存在は、日本にはない。73年のリハ法504条成立時に連邦政府に作られた独立機関である。ボードメンバーは各省庁からの委員12名と、大統領に直接任命される障害当事者13名で構成されており、米国のアクセシビリティに関する政策決定や基準策定を行う。スタッフは各省庁への技術的な支援やトレーニングを行っている。日本でも、かつて各自治体でユニバーサルデザインを進めていた時代は、知事直轄の企画調整課の中にUD担当がいて、建築、交通、情報通信、市民サービス、教育など、あらゆる分野にUDの考え方を浸透させていたところもあった。これはいわば自治体のアクセスボードだったかもしれない。

欧米では、インクルーシブな教育と雇用が当たり前で、特別支援学校に通う障害児は5%以下であり、特例子会社はほぼ存在しない。リハビリテーション法の504条も、508条も、ADAも、教育と雇用をUDにするために作られたものなのだから、当然だろう。建物も、サービスも、ITも、全てがUDでなくてはならないという方針は、障害のある人が、同等に教育を受け、就労し、活躍できる社会にするためである。リハビリテーション法は、VRと呼ばれることがある。らら、Virtual Realityか?と思ったが、1920年ごろから使われているので、さすがに違う。Vocational Rehabilitation の略である。障害のある人が、採用、雇用、労働、研修、昇進などのあらゆる過程において、平等な扱いを受ける権利を保障するものだ。

NASAのセッションでは、AIの進展で、政府の障害者雇用が3倍になる予測が語られていた。アクセスのためのバリアが除去されるから、という理由である。AIが障害者就労に貢献するという考えは、少なくとも日本では聞いたことがない。ITの進展で単純労働が減ると障害者の仕事が無くなる、とか、AIが進むと一般の社員の仕事も消える、という怖れは語れるのだが。これは日本の障害者政策が、全体の1割しかない知的障害者を基本にしているからである。5割が身体障害、4割が精神・発達障害と言われる日本では、知的に問題のない障害者の就学や就労をメインで考えるべきだと思うのだが、その意識は日本の省庁には少ないかもしれない。

NASAのセッションで繰り返し語られるメッセージに、「アクセシビリティは産業界と政府の双方にメリットがあるWin-Winのアプローチだ」ということがある。理由は3つである。

1,連邦政府がICTを購入するためのドアを開く
2,企業はより広い顧客層へリーチできるようになる
3,顧客体験(Customer Experience)を改善できる

NASAのパワポ画面
なぜデジタルアクセシビリティを米国政府が進めるか

リハビリテーション法508条で、アクセシブルなICTしか買わないと明言しているため、連邦政府を始めとする公的機関は、UDなものであれば買う。新規に参入する企業に対しても、よりアクセシブルな製品やサービスを開発すれば、政府はドアを開いて歓迎する。企業にとっては大きなビジネスにつながるのだ。そうやって開発されたアクセシブルな製品やサービスは、より多様な顧客に使ってもらえる。そして、アクセシブルでユーザブルなシステムを使う顧客の満足度は向上する。電子政府や電子自治体のシステムがUDであれば、使う職員も市民も、効率的に作業が進み、ハッピーになるのである。

政府の調達担当者や企業のCIO、508条コーディネーターなどとコラボしながら、ユーザーのニーズに応えられるアクセシビリティのソリューションを作りたいと語っていた。

ここからは、私がこのセッションから感じた妄想?である。
私はかつて、リハ法508条が、日本に対する非関税障壁ではないかと疑った?ことがある。実際それで国際市場から消えて行った日本のメーカーもいるからだ。だが、その疑問を米国政府のある関係者にぶつけたとき、とても悲しい顔をされた。「別にどこかの国を排斥しようなんて思ってない。僕らは、ただ、ICT業界を、より良いものにしたいだけなんだ」

20年以上経って、私は当時の自分の浅薄さを呪う。政府は、UDなものしか買わない。それは、7~10%と言われる障害のある職員が活躍するためだ。企業はUDなものしか作らない。それは使えないユーザーを生み出さないためだ。それはSDGsの、環境と人間によくないものを生みだしてはならないという考え方にも合致する。「誰も取り残さない No One left Behind」のだ。このICTの進歩から。それは、ICTという産業界そのものを、良識ある存在たらしめる。障害のある子どもや若者が、学校で学び、読みたい本が読める。社会に出て、仕事をし、やりたい夢をかなえることができる。高齢になっても、社会とつながり、尊厳を持って生きてゆける。そのために、ICTという産業は存在しているのだ。人々を幸福にするためなのだ。508条について熱く語る米国の政府関係者たちは、このことを理解している。VPATなどの調達基準は、企業にとっては参入障壁に見えることもあるだろう。だが、一度クリアできれば、ブルーオーシャンの市場が広がるかもしれない。何より、ニーズのある顧客に喜ばれる。なくてはならない企業として存続を願う人が増える。それこそが、企業の持続可能性につながるのである。

日本でも508条を、と日本の政府関係者に話に行ったとき、「ムリですよ、霞が関に何人障害者が居ると思いますか」と言われがっくりしたことがあった。女性活躍ですら世界の後塵を拝しているのだから無理もないとは思うけど、日本の省庁や議員にこそ、この米国政府の各省庁の話を聞いてほしいと思う。ダイバーシティ&インクルージョンという掛け声だけで終わらないように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?