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ダメ人間の自分とローズクォーツの魔法①


読みかけの電子書籍を置いたまま うたた寝をしていたようだ。
窓の外は夕闇。ああ、またやっちゃった。

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動きが 停滞していく。

自分に価値がなくなる
いや、価値があったことと、うまくつながれない。
思い出せない。
どうやるんだっけ?「充実する」なんて。

ああ全部が面倒くさい。
未来の何もかもがめんどくさい。
人とのつながりも すごくめんどくさい。

みじめな事を察知されたくないから
願わくば 放って置かれたいなぁ。

楽しみに感じていたもの全てから 色がなくなり
この みじめさを悟られないように
卒なくしなきゃ。

ただ「うまくこなさなくちゃ」
というプレッシャーだけがループする。


暇つぶしに開いたSNSからは 
充実してがんばってる皆の断片。


自撮り写真の投稿に 卑屈になって辟易して
「30日間フォローを停止」をポチっと押す。

……うざい。何もかも全部、向こうへ行ってほしい。

毛布の中から出れなさそうな億劫な自分も きらい。

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皆さんは このような心境になったことはありますか?


私はけっこう頻繁にあります。


っというか、このベースの上に人生を築いています。
この「ダメ人間」ベースから世界を見ています。


だから 大概の「鬱をはらんだ人」を的確に察知し
向き合うことはあえてしないで (自分がされたら 迷惑だから)
隣に 座ることができます。

「…くそだよね。基本 この地球なんて。」


という具合に。

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若い頃 こんな感情を周期的に繰り返し 
生きづらさを抱えていた頃は
それが己の“現実”でした。

高校時代から長いこと親友だったYちゃんも
同じように躁鬱を繰り返していたし
(極度の男性恐怖症だったし)

短大の時の友人のUさんも 思えば躁鬱と
統合失調症を抱えていました。

それでも それが個性の一部に見えて、
集団から 浮かずに 見逃されていたのは
私たちが属してるのが “芸術”にたずさわる学校だったから。

大人になりかけの 自己表現を模索する少女達にとって
「不安定さ」は一種の魅力でした。


前記のUさんなんかは、幼少期は母親の精神病によって
ネグレクトの環境で育ち 常に飢えて眼をぎらつかせ
食べものを探していたといいます。

家はゴミ屋敷だったけど、猫が何匹もいて
娘よりも猫に価値を置く両親のもとで育ち
図形ばかり描いている子でした。

見かけはボーイッシュで目鼻立ちのはっきりした
可愛い子だったので、高校と同時にバイトを始め


二十歳になったお祝いに 金を貯めて単身
インドのサイババ に会いに旅に出たそうです。

そのエピソードが魅力的だったのと、
本をよく読むので話が合ったことから
彼女とは 短大の後半あたりから急速に仲良くなりました。


彼女が住んでいたのが 相模原だったので
横浜に住んでいた私とは 中間地点の町田でよく遊びました。

町田は、一般の人と 裏の世界。
華やかな部分と闇の世界が同じ比率で存在しているような街で
横田基地や厚木基地の米兵もハメを外し 
裏通りに入ると 独特ニオイがします。

そんな街のアーケードの一角に 「足立幸子ギャラリー」があり
幸子さんのお兄さまで 波動の法則の足立育郎さんをはじめ 
聖なる予言の翻訳者 山川夫妻など 

スピリチュアル界を闊歩する錚々たるメンバーが
いつも集い 語らったり 怪しい機械でオーラを測定したりしていました。


私達は よくそこへ遊びに行って お茶をご馳走になり
大人の話しに混ぜてもらいました。

サイババ に会いに行ったUさんは ひたすらインスピレーションのままに
額にイメージされる図形を描き 大人達はそれに意味を当てはめ
祭り上げられたり、時には蔑まれたりと
様々な景色を見させてもらいました。


その頃の私は 一定の評価や賛同を得ながらも

根本的には 闇を孕んだままの時期だったので


宇宙の法則の光の世界に 居心地の悪さを感じ
ずぶずぶと、闇の世界に 沈んでいったように思います。


“人間の本質ってなんだろう”

“自分は「いる(必要な)」人間なのだろうか。”

“世界はこんなに歪んで こんがらかって
ひどい搾取の上に成り立ってるのに
なんで 皆んな平気なんだろう。

あ、自分が弱いからいけないのかな”


“この世は弱肉強食なら、強くならなきゃ 生き残れないのかな。


“裏切られたり、傷つけられるのが怖いから
先に裏切ったり 傷つけたりマーキングした方が有利かな。

そもそも信用しちゃ負けだし。


信用に値するほど、そもそも
人って自分のことを理解していないと思うし。”


そんな風に 世界を捉えていたハタチの私が 信頼できるのは
どこか不安定で生きづらさを抱えた サバイバーの少女達でした。



のちに私は女子が苦手になる時期がきて
周りは、男子の友人ばかりになるのですが

この頃は男の人を信用できなかったし 
関わり方がよくわからなかった。

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だから、「信用ができない」「居場所がない」
「生まれてこなきゃよかった」「自分は無価値だ」
「愛されるって何?」「こんな世界大っ嫌い」

というハートの側に 今は
そっと体育座りすることができます。

怒りや哀しみを 怖がらないし 無闇に抑圧しないのは 
そこに馴染みがあるからです。

人は安心したいから、そこにある不安定さを

整理整頓しようとしてしまう。


でも、“そんな不安定でささくれだった自分”を含めてしか
この先に進めないことを知っています。



そんな時はローズクォーツの「セルフラブ」の
最初のやり方を伝授します。


やさぐれて毛布から出れない自分にも 即効性のある
そんな自分を 「慈しむ」方法とは…♡

…………………………………

(かわいいの魔法 に続きます。)


読んでくださってありがとうございます。


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(布団の中まで一緒に入ってまどろんでくれる猫は ありがたい存在♡

もはや師匠です。人生には猫が必要。)

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