30【自】中学校卒業文集から「恩」
凝り固まった自分が解されていった中学校3年間でした。
# 原文
恩
この三年間、僕の身にとても大きな変化が起こったと思います。
変化したのは、性格です。一年の時は、結構真面目で「正義」とか言ってたような言ってなかったようた気がします。いろんな人に嫌われていたような気もします。そして、二年の時は、卓球部の面々との触れ合いによって、それまでのものが崩れていって、少しずつ変わって(おかしくなって)いきました。
二年の後半には、すでに現在の自分ができあがっていました。この時、僕のあだ名がこうなりました。「アッキー」と。そして三年になって、僕の人生初の出来事が起こりました。それは、学級委員長になったことです。家族も驚いていました。まあ、立候補ではありませんが僕にとって、学級全体をまとめる仕事をすることが初めてだったのです。これによって、僕の性格は活発になっていきました。
中学校に入学する前は、内気で自分が思っていることも満足に発言できなかったあの性格が、今では見違える程に狂暴に、ではなくて積極的になりました。
性格がここまで変わることができたのは、中学校に入って新しくできた友達のおかげです。多くの友達は、卒業して関係が薄くなってしまいますが、その大切な友を忘れることなく生きていこうと思います。
# 解説
小学校卒業時には、「自分の利益だけを考えない人間になりたい」と書いていました。これは、良く言えば達観しているのですが、反面周りの同年代の人たちの考え方と乖離しているがために「自分が正しい」と思い込んでしまうところがあったようです。
授業中にうるさい人に注意をしてケンカになったことがあった気がします。言ってることは正しくても、対等な人間としてではなく、上から目線で話していたのだと思います。
部活動で卓球部に入りました。そこで出会った友人達がみな面白く、感化されていきました。ここでユーモアとは何かを学んだのだと思います。
凝り固まった自分が解きほぐされていった感覚です。
そして三年生の時に学級委員長になるという大事件が起き、家族全員驚愕していました。
立候補ではなく推薦だったようです。細かいことは覚えていませんが、流れに任せてやらざるを得なかった状況だったと思います。ただ、まんざらでもなく、何となくやれるだろうと思っていました。
社会人からすれば、中学校の学級委員長なんて大したことないとも思ますが、当時の自分からすれば、人の前に立つ事自体がとても苦手でしたので
、自分でも推薦されたことに驚いていたと思います。
この時の経験から「やってやれないことはない」という感覚が身に付いたのではないかと思います。
また、学級委員長は一人で何かをするわけでも、できるわけでもなく、副委員長やクラスのみんなの助けが必要でした。このことから「自分にできないことは、得意な人に頼む」ことを学んだような気がします。
以上の中学校生活を振り返った時、「恩」と言う言葉が自然と思い浮かんで文集にしたためたのだとおもいます。
# 現在
今まで出逢った人たちの恩を忘れずに生きているか、実際のところ自信はありません。
恩を受けた人に恩返しをするよりも、他の人に恩送りをしましょう、ということを井上ひさしさんが言っていました。
自分の利益だけを考えない人間になることを目指していれば、自然と恩送りをする人生になるのではないでしょうか。
自分一人では生きていけないことを胸に再度刻みながら、人の役に立つこと、世界の役に立つことをしていきたいです。
また、遠くばかりを見ずに、最も近くにいる家族をしっかりと観て、大切にしていきたいと思います。
# Podcast
関連配信を載せておきます。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた。