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緊張と弛緩、このリズム

昨日は合気道の仲間の
□さんがボーカルレッスンに来てくれて。

普段、稽古のときは
そんなに話ができる時間はないので
ついついレッスン前に
あれこれ分かち合っているうちに
時間が経ってしまう。

だけど嬉しくて嬉しくて。

稽古に参加するまでは
人に触れに行くことが怖かったのに、
そういった気持ちや反応が起こらなくなってきた

という話をしたら
□さんも全くその通りだとのことで。
それ聞いてすっごい嬉しかった。
やっぱり!!!って。

□さんのエピソードは
わたしの身に起きたことそのままを
ただ登場人物を変えただけの
バージョンみたいな話をしてくれて

終始、大興奮でした。

心情の動きなども、もうまるっきり同じ。
昨日の記事に書いた
人に触れること、ハグができるようになったこと。

□さんも、人との間に感じている
壁みたいなものが感じられなくなった、と。
先生の稽古によって。

相手に対してポジティブな想いを
感じているものはありながら

それを相手にどのように伝えようか
葛藤してしまって
何も動けなかったのに

自分から動いて、伝えて
ハグができるようになったこと。

そんなエピソードを聞かせていただきながら
もう、もう、

わーーーー!!!
それ、わかるぅーーー!!

わかるわかるわかるぅーーーー!!!
なんて、共感の嵐。

互いに涙ぐんじゃったりして。

こういう葛藤や孤独や
自己否定なんかを抱えているところから
人に触れにいけるようになることって
とんでもないことなんだよね。
人生に革命起きてるよね、って。

共感共感共感で盛り上がってしまいました。

いや本当にすごいんですよ。
先生の稽古、本当に良い。良いんです。
出逢えて良かった。




合気道の先生は、稽古の後に
「きょうもありがとうございました!」
って、ひとりひとりに
先生自ら手を差し出して
握手をしてくれるんですよね。必ず。毎回。

それ、ずっとずっと前から
そのようにしてくれていたらしくて。

□さんは、わたしよりも何年も先輩だから
先生はもう、ずっと前から
握手をして挨拶をしてくれていた、と
教えてくれた。

すごいなぁ!って。
先生にとって、もしや当たり前のことなのかな。

ってことは、やっぱり…!!

自分の思いと行動とが
本当に一致しているんだ先生は!

そして人は、そういった作為的でなく
自然な動きに動かされてしまうんだ!!!

先生が握手をしてくれる時
緊張して一歩引いてから
勇気出して手を握るような自分ではなく

自然と差し出された手に向かって
自分の身体が動いてしまって
何の抵抗もなく握手できちゃってるんだよなぁ
そういえば…。

これもある意味合気道みたいな
動きの流れだよね。

伝わるかなこれ…
わたしは盛大に点と点が繋がって
納得しまくっているのですが。

人を動かす人って
自分の内側から湧いてきたものに
動かされて、素直に動いている人で

その動きに触れた人は
共鳴共振が起こって、動かされてしまう。

つまり、
自分の内側から湧いてくるものに
気づけていて、その流れに
身を任せることができていることが
自分のすべてが一致している状態。

その一致した動きというものに
人は動かされてしまう。
自分も相手も。

考え過ぎかな。考えすぎだよな。
オタクなんだよな。
ああでもないこうでもない、

ああ!そっか!
そういうことか!
すごい!すごい!!!

ってこねくり回すの大好きで。


しかも、これ先生が読んでくださっているので
自分のことをこんな風に
分析みたいなことされてるのかぁ…なんて

どう感じるのか…どうなんだろう。
すみません。 書いちゃいました。


だけど…

だから、やっぱりそういうことなんだ。
秘技とか奥義とかそういうことでなく
自分の思いと行動とが
濁りなく一致している動き

湧き起こる思いと行動というものに
人は動かされてしまう、ということは
自然の摂理みたいなものなのだろうなぁ。

先生が手を差し出してくれると
自然と嬉しくなるもんね。

きょうも楽しかったー、
ありがとうございましたー、って。

で、帰り道いっしょになる
仲間ともお別れする時に
自然と握手して、また来週ー!って
嬉しい気持ちになってるんだよね。

合気道の稽古っていうか
先生の大切にしていることを
伝えてもらって、
自分の一部になっているみたい。

格好良く言ってしまうと
生き様を習う(倣う)というか。

大きい物の見方で言えば
すべての人との関わり方も
きっとそういうことなんだろうな。

この人、いいなぁ、好きだなぁって
思った人の放っているものを
自分の中に知らず知らず取り込んでいき
アップデートしていく、みたいな。

バグが起きたら改善レポートを出して
そのデータを元に更に改善していき
またアップデートしていく、っていう
パソコンのあの仕組みと似てるような。

うわー、これ伝わってるかな

人と接する上で、トラブルというか
意に介さぬことが起きたとしても 

そのことを、責めたり嘆いたりする
必要はなくて

つまり今この瞬間に起きたことではなくて
バグとかエラーは過去から
積み上げてきた結果により
起きた事象なのだから

その積み上げてきたものを
見直して、より良くしていくだけだし 
むしろそのエラーによって
次を行く為に、改善していくための
データ収集ができている、みたいな。

だから、エラーというか
失敗した、と思う事象に対しては
どんどん開示していけば
ビッグデータがどんどん
より良いものになっていっている、みたいな。

そのビッグデータ、ってのも
自分の意識だけに留まらず
人類全体の意識、みたいな。

あの、なんにもパソコンのこととか
基礎知識小2レベルなのに
知ってること総動員して語っているので
素っ頓狂なこと言ってる可能性大です。

ただ、思うんです。

失敗だと思うような事をしてしまったとしても、本当に無駄じゃない。
無駄にせず活かすと決めた人にとっては宝。

むしろ同じような失敗が起きた時に
どうやってそれを超えていくか
助けてくれるデータになるんだから。

成功ばっかりしていると
「これをやっても成功しない」
というデータが手元に無いんだから。

成功するっていうのは
1から2、2から3、3から5、
5が10になり…

みたいなことだと思うけど

0から1が生まれる瞬間って
失敗してきた人にしか
気付けないことがある。

だから、大分
生きづらい人生を送ってきた人は
この後者の体験を思う存分できる。

え、人ってあったかいんだ
え、嬉しいときに嬉しいって言って良いんだ
え、腹立ったら怒ってもいいんだ
え、人を頼ってもいいんだ

と、0から1が生まれる瞬間。




ちょっと病的だと
感じる人もいるかもしれないんですけど

わたしって、まず
他者と目があった時に

ごめんなさい!
(キモいですよね、ごめんなさい!という思い)

とか

どうしよう!
(不快にさせたかもしれない!という思い)

とか

え?!
なんか悪いことしたかな?!

…といった感じが瞬時にやってくるのが
当然だったんですよね。

常にその想念を自分で
つぶさにキャッチできているわけではなく

ただ、身体の緊張が走るのを感じるだけ。

脳内会話、ってやつは
ひとつひとつ言語化して
把握するのって
瞑想状態になり気づきを入れていかないと無理。

だけど
日常生活が瞑想状態になるような
達観した境地には至っておらず

緊張やストレスを感じている時にさえ
自分は緊張やストレスを感じていることなど
気づけてすらいないことが大半。


自分でも自分に
何が起きているのかわからず

ただ緊張して、しかもその緊張に気づかぬまま
身体の緊張のフィードバックにより
感情が不快な気分になり

目の前の人とコミュニケーションを
楽しむどころではなくなる、という流れ。

この流れは、すべて
逆から辿っても成立する話。
感情が先、という組み立て方でね。


しかも、左脳は
もっともらしい事を理由付けていくから
その都度、不快なことが起きる度に
自分を不自由にする「理由」を
作り上げていく。

「なんとなく、あの人雰囲気が嫌い」
「わたしに対してだけそっけない」
「いま、馬鹿にして笑ってたよ」

なんて。


最近…
それが無いんですよね…

人と目不意に合ったときに
ネガティブな思いに支配されない、
葛藤しない。

緊張が走ることはまだあるけど、それを上回る
嬉しさというかあったかさみたいなもの
感じている。

なんかそれが
緊張、弛緩、みたいな
動きに感じるんですよね。

命の躍動って
緊張と弛緩の連続のことを
指していると思っているんです。

心臓が鼓動するのも
縮んで緩んで縮んで緩んで、だし

それと同じように
呼吸も吸って(緊張)吐いて(弛緩)

声を出すことも
声帯が閉じて(緊張)開いて(弛緩)とか

枚挙にいとまがない。
ぜんぶ緊張と弛緩。命とは。

小さく死んで小さく生まれて、の
新陳代謝している。

そのリズムが早いのが若さ。
早けりゃいいってもんでもない。
若けりゃいいってもんでもない。

リズムはグルーヴが大事。

だから、
生きてる感を強く感じている時、
すなわちグルーヴってものは
この緊張と弛緩のリズムが
心地よいものであるという定義が
成り立つんです。

バイブスとも言うよね。

音楽も、グルーヴというのは
この緊張と弛緩のリズムが
奏でる本人を躍動させている
そのものと一致した動きによる音のことで。

握手だってそうだよね。
握る、離す。緊張、弛緩。



いやー
今日こそ本当に
わかる人にはわかるだろうけど
ブラウザバックする人が続出だったはず。

それでも
ここまで読んでくれた方
本当にありがとう。


放談、放筆、書きたい放題
自由に思いつくままに
綴ってしまったし

修正することもなく
このまま、公開ボタンを押すことにします。

深夜に書いた日記を翌朝読んで
うわあああああってなってた
中学時代のあれ、だな。
しかも公開しちゃって。

きっと
伝わる人には何か伝っているって
信じられるし

自分を自由にさせてあげたいという思いが
大半だったりもして、投稿しています。

だって、その自由さだけでも
読んでくれた人に伝われば

読んでくれた人も
自分は自由に生きられるということを
再確認できるような
影響を与えられるかもしれない。


あなたに伝えたいことは

上手くいったり、いかなかったり、とか
緊張したり、ゆるゆるっとしたり
人を嫌ったり、好きになったり 

アップダウン、緊張と弛緩、
命のリズムを感じて
心地良く思えるあなたが

感じたことを表現して、
味わい深い素敵な一日を
今日も過ごしてください◎

わたしもそんな一日にしたい。

リズムに翻弄されるのではなく
リズムを必死で作るでもなく

流れている命のリズムに
気づきながら、感じながら
自分と一致して

そして

それが日々、日々、
続いていきますように。









 










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