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この恵みに立ちなさい             Ⅰペテロ5章12節

2023年7月2日 礼拝

Ⅰペテロの手紙
5:12 私の認めている忠実な兄弟シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り、勧めをし、これが神の真の恵みであることをあかししました。この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。

Διὰ Σιλουανοῦ ὑμῖν τοῦ πιστοῦ ἀδελφοῦ, ὡς λογίζομαι, δι' ὀλίγων ἔγραψα, παρακαλῶν καὶ ἐπιμαρτυρῶν ταύτην εἶναι ἀληθῆ χάριν τοῦ θεοῦ: εἰς ἣν στῆτε.

タイトル画像:John HainによるPixabayからの画像


はじめに


いよいよ、ペテロの手紙第一も終わりに差し掛かりました。今回は、ペテロの手紙の書紀であったシルワノについて取り上げていきます。シルワノとは一体どのような人物で、ペテロを支えていったのかをご紹介したいと思います。

忠実な兄弟シルワノ


シラスについての記述

今回の御言葉では、シルワノとありますが、シラスとして紹介していきますが、彼について初めて言及されるのは使徒行伝 15:22です。

そこで彼とユダ(バルサバ)は、エルサレム公会議の後、パウロとバルナバとともにアンテオケに戻るよう教会の長老たちによって選ばれます。
(使徒15:30)

シラスとユダは兄弟たちの間の指導者、預言者、そして信徒を励まし力づけるプロモーターとして言及されています。(使徒15:32)

マルコの参加をめぐってパウロとバルナバが決別した後、シラスはパウロによって第二の伝道に同行する者に選ばれていきます。(使徒15:39)

彼とパウロが第二伝道旅行の中で、ピリピに向かいますが、そこで、占いの霊につかれた若い女奴隷が、パウロたちにまとわりつき騒ぐので、パウロは占いの霊を追い出します。ところが、この女の稼ぎによって生計を立てていた主人たちの訴えによってピリピで投獄されてしまいます。そこで神は奇跡を起こします。地震により鎖が切れ、刑務所の扉が開き、投獄から解放されていきます。 使徒 16:12-37

彼らは、さらに伝道旅行を続け、使徒 17 章から 18 章を見ていきますと、シラスとテモテはパウロとともにピリピからテサロニケに到達します。そこで彼らはシナゴーグで保守的なユダヤ人たちから迫害を受けました。彼らは三人をベレアまで追跡し、パウロの命を脅かされたので、一人パウロはかくまわれてアテネに脱出します。こうしてのち、シラスとテモテは後にコリントでパウロと合流します。これらのエピソードは使徒行伝 18:12に地方総督ガリオについて言及されていることから、紀元 50 年頃であると推測されています。

その後、使徒18:6-7によると、パウロはユダヤ人の敵意の結果としてコリントのシナゴーグでの伝道を辞めますが、その後シラスの足取りについてはわかっていません。使徒20:4にあるパウロのメンバーに彼が含まれていないという事実を見ていきますと、彼がエペソに残され、アジア地方の伝道に専念していたことが推測されます。

シラスはその後、テサロニケ人への手紙第一と第二の挨拶の中に登場し、コリント人への手紙第二 1:19 で言及されています。ペテロは彼をペテロ第一の 5 章 12 節を見ると、この手紙の筆記者であると言及しています。さらにペテロはシラスを「忠実な兄弟」だと認めています。

シルワノ(シラス)という名の由来

ここで登場するシルワノは4 つの書簡で言及されているシルワノと同じであると考えられています。一部の訳では、書簡の中で彼を「シラス」と呼んでいます。

コリント人への第二の手紙では、シラスがパウロとテモテとともにコリントの教会で宣教したと言及されており( 1:19 )、今回紹介するペテロの第一の手紙ではシラスを「忠実な兄弟」( 5:12 )と描写されています。

彼の名前の由来については意見があるようです。「サイラス」、「シルヴァヌス」、「セイラ」、「サウル」という呼び名はどれも異なる言語における呼び方であったようです。

どれが「シラス」の元の名前で、どれが翻訳の元であるのか、またニックネームであるかどうかは定かではありません。使徒の働きでは一貫して「シラス」と呼ばれていますが、パウロとペテロの第一の手紙では常にローマ名である シルワノ(「森の」という意味)が使用されています。

おそらく「シルワノ」とは元の「シラス」のローマ字表記である可能性があるとされます。カトリック神学者ジョセフ・フィッツマイヤーはさらに、シラスはアラム語の セイラ(שְׁאִילָא )のギリシャ語訳であり、パルミラ語碑文で証明されているヘブル語のサウル(שָׁאוּל)と同じと考えられています。


サウル王との関係について

シラスという名を見ていきますと、サウル王との関係が浮かび上がってきます。旧約聖書を見ていきますと、イスラエル最初の王サウルが登場します。イスラエルの⺠は、もともとは王政を持っていませんでしたが、ペリシテ人の脅威にさらされていた民は、強いリーダーシップを取ってくれる王を求めるようになりました。

その求めに従って、神はベニヤミン族の中から「サウル」とい⼈物を選び王としました。ところが、サウルは、神に従い、神の代理者としての王でしたが、サウルは神を求めるどころか、戦いにおける恐れるゆえに、霊媒によって伺いを⽴てるようになり、最終的には神に退けられていくということになります。

このサウルという名前には、ヘブル語では「シャーウール」(שָׁאוּל֙)となります。動詞「シャーアル」が起源となります。「シャーアル」は「尋ね求める」「「求める」「伺う」という意味です。ですから、「サウル」の本来の名前の意味は、「神を尋ね求める、神に伺う」という意味になります。
ところが、サウルは、⾃分の名前に込められている意味を、無駄にしてしまいました。

サウルが尋ね求めるべき対象が、神ではなく、死んだサムエルの霊であったことが神の怒りを買いました。

一方、サウルの語源である「シャーアル」は、「よみ」と訳される「シェオール」(שְׁא֖וֹל)の派生形であるともいわれております。このシェオールとは、死の国とも言われますが、それは同時に神の警告とも受け取れます。
つまり、神を知りながらも、神以外のものに頼り、神の言葉を聞こうとしない人にはよみに下るということです。

パウロとシラス

パウロとシラスについてみてきますと、パウロもシラスも、元は「サウル」という名から来ています。パウロのヘブル名は「サウロ」ですが、ヘブル語の「シャーウール」(שָׁאוּל)と同じ言葉です。パウロは、実はイスラエル初代の王サウルと同名であり、しかも同じベニヤミン族の出⾝なのです。

一方、シラスについてですが、こちらも「サウル」につながる名前ですから、出自については不明ですが、もしかするとベニヤミン族に属していたのかもしれません。

パウロとシラスは、旧約のサウルの失敗を覆したように感じます。パウロは常に「エン・トゥー・クリストー」(キリストにあって)が彼の口癖でした。つまり、二人とも、常にキリストにあって生きていた。そのことが、彼らがその名に恥じることのない生涯を送った秘訣でした。

なぜ書紀として迎えたのか

シラスは、この手紙の筆記者であると先ほど述べましたが、同時にペテロの助け手でした。

しかも、パウロの同労者でありました。ペテロは、『忠実な兄弟』として評していますが、彼の忠実さは、パウロやペテロだけでなく、当時の世界によく知られていたようです。

この12節をギリシャ語で見ますと

Σιλουανοῦ ὑμῖν τοῦ πιστοῦ ἀδελφοῦ,
(シルバノー ヒュミーン トゥー ピストゥー アデルフォー)

とあります。 ὑμῖνヒュミーン「あなたがたに」の言葉が挿入されていることから見ると、シラスが当時、手紙が送られた世界によく知られていたということや評判の良い、忠実な奉仕者であることを暗示しているということです。

シラスは、小アジヤのヘブル人全体によく知られている人物として、ペテロが語っていることからも、この手紙の伝達者が非常に重要な人物であったことがわかります。原文では、「あなたがたに忠実な兄弟 」という定冠詞がついているため、この証言はとても大切なことであるということです。

なぜ、あえてそこまでする必要があったのかという疑問を持つものですが、それには、理由がありました。

なぜなら、ユダヤ教から回心したユダヤ人の中には、割礼を守ることを重要視する信徒が大勢存在したこと、また、ユダヤ人クリスチャンの間では、シラスがパウロに味方したことで、シラスに対する疑念もあったようです。
パウロは、救いに行いや割礼は必要が無いこと、また、割礼をしていない異邦人が救われたことを主張したことによって、ユダヤ人クリスチャンたちは反発を覚えていたようです。そのパウロと伝道旅行に同行したというシラスに対して、神学上の対立を生み出すきっかけにもなりかねない存在でした。そうした人物がペテロの手紙に関わったとすると、ペテロの手紙の信憑性や権威があるのかどうかということにまで発展します。

こうした疑念を持たれたシラスですから、ペテロはシラスが手紙の書紀として参加していることを認めてもらう必要がありました。

ヘブル人クリスチャンの承認を得るためにも、まずはシラスは割礼を受けている必要がありました(使徒15:22)。こうして、ペテロはユダヤ人への手紙の中で、何の危険もなく彼を 『兄弟 』と推薦することができました。

ペテロは、そうしたヘブル人読者たちの誤解を解くために、シラスがヘブル人クリスチャンにとって偽りの兄弟ではないことを、自分の個人的な確信として、 ὡς λογίζομαι(ホース ロギゾマイ)『私の認めている』というように付け加えています。

英語では、ὡς λογίζομαι(ホース ロギゾマイ)を「私の推測では 」と訳されていますが、これはシラスに対する最も完全な信頼を意味しており、それは、この作者がまったく恥じることなく宣言していることばでということです。厳密に訳すと、

『あの忠実な兄弟は、私の見立てでは、私の確信に価値があるとすれば、あなたがたに忠実な兄弟である。』

というように、シラスという人物に対するペテロの厚い信任を込めた言葉であるというのです。

この恵みの中に


こうしてペテロの手紙を見ていきますと、ヘブル人クリスチャンと異邦人クリスチャンとの融和ということが常にあったことが理解できます。

そこにあるキーワードは、迫害という危機にあったとき、クリスチャン同士が手を取り合い、支え合っていくことの重要性です。

必要をこうした部分にも垣間見えることです。ペテロの心のなかには、常に対立を超える神の愛の中に、クリスチャン同士が手を携えて生きるということを願っていたことが伺えます。

しかも、ペテロがこの手紙において証しした『神の恵み』は、イエス・キリストを信じる人々の信仰と希望が確実なものであることを保証しています。また、主イエス・キリストを直接見ていない人々にとって、使徒ペテロの証言はいかに力強い励ましになったでしょうか。

主イエス・キリストの一番弟子とも言えるペテロは、人間の中にあって、対立し、疲れて倒れそうな私たちに今も力強く語ります。

この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。

シラスは、しっかりとこの恵みに生きていた人でした。その恵みの秘訣とは
「エン・トゥー・クリストー」(キリストにあって)ということです。

シラスや使徒パウロがあの過酷な伝道旅行にあって自分を維持できた秘訣がこの言葉です。

シラスが、パウロとともに、常に『神に伺いを立てる』人物でした。つまり、祈りと聖書に生きていた人たちでした。彼らは、そのたゆまない祈りとみことばから自分たちの生きる道を神から聞いていたということです。自分の悟りにたよらず、主の御手に頼った。その結果どうなったでしょうか。

使徒の働き
16:22 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、
16:23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
16:24 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
 16:26ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。

ピリピでの伝道の際、無実の罪に着せられ、牢に入れられても彼らは、自分の不幸を嘆くのでもなく、自分の今後を苛むのでもなく、牢獄の中で何をしたのかといえば、『神に祈りつつ賛美の歌を歌っている』とありました。祈りには賛美があります。彼らはどんな境遇にあっても

「エン・トゥー・クリストー」

にありました。ペテロが、書紀としてシラスを任じられたのもこうした理由であったのでしょう。

私たちも、シラスのように「エン・トゥー・クリストー」(キリストのうちに)歩むなら、牢獄のような現実に閉じ込められたとしても、祈りがあり、賛美が可能となります。神は、キリストのうちを歩むものに対してずっと牢獄に囚えたままにはしません。必ず、牢獄と縄目と鎖から解放してくださるお方です。キリストを死からよみがえらせた方は、あなたを自由にしてくださることを信じて歩んでいきましょう。ハレルヤ!