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私のために門を開く主 Ⅱコリント2:12-13 

2023年11月12日 礼拝


Ⅱコリントへの手紙
2:12 私が、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いてくださいましたが、
2:13 兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました。

タイトル画像:AnjaによるPixabayからの画像


はじめに


人生の門というものがあります。自分が大きく変化するときに門を通ったという経験を誰しもするのではないでしょうか。パウロも、その伝道生涯において何度も人生の門をくぐり抜けた経験をしました。特に、コリント教会に「涙の手紙」という今は存在しない手紙を書き送った際に、彼はコリント教会の消滅というものを危惧したと想像します。パウロにとって、命がけで成立させた教会が滅びるということを思ったとき、気が気ではなかったかと思います。自分の前に立ちはだかったコリント教会の将来への不安という、立ちはだかる門を開くことができず、苦しみ悶えていた彼の姿から今回学んでいきたいと思います。

主はたしかに導いてくれたが ”平安がない”


2:12 私が、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いてくださいましたが、2:13 兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました。

コリント教会の問題に悩むパウロ

今回のテキストを読みますと、パウロは12節で、自分の行動について説明します。コリント教会のパウロへの不信の原因は、パウロの伝道旅行計画の突然の変更も一つにあったと言われております。

パウロがコリントを訪れたのは、紀元50年頃、第2回宣教旅行においてでした。エペソをのぞいて他のどの町よりもパウロは長くコリントに滞在しました。パウロのコリントの状況は、使徒への働き18章に書かれています。コリントの教会は、約1年半にわたってパウロにより福音が述べられ、豊かな実を結びました。

ところが使徒がコリントをあとにしたのち、他の人々、特にアポロがコリントで牧会をしたことで、党派が生じコリント教会に分裂がおきました。また、ユダヤ教から改宗したユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者との間において、割礼や食事の問題等が起こっていきます。

パウロが予定を変えた最大の理由はコリント教会内に、パウロに対して反旗を翻す信徒たちがいたことにありました。そうした、混乱する教会の様子をテモテから受けて、コリント教会に駆けつけたパウロですが、コリント教会の状態があまりにもひどいので、パウロはそのままエペソに帰ってしまったようです。

問題解決のために書かれた涙の手紙

コリントの信徒たちに猛省を促すために、「涙の手紙」という手紙を書いたようです。資料は散逸したため、その内容を知ることはできません。おそらくそれにはかなり手厳しいことが書かれていたのではないかと思われます。なぜなら、パウロはそれを書いたことを悔いているからです。

Ⅱコリント
7:8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、

新改訳改訂第3版

パウロはこの手紙について2章4節で「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました」と記しています。
パウロはこの手紙を受け取ったコリント教会の人たちが心から悔い改めて、態度を改めて再びパウロも迎え入れてくれることを願っていたのです。

気をもむパウロの行動

こうした願いをテモテではなく、もう一人の同労者であるテトスに「涙の手紙」を託しました。しかし、テトスはすぐには帰ってこれません。テトスの報告を待ちわび、コリントの様子に気を揉みつつも、パウロはエペソを離れて、北上してトロアスに向かいます。

テトスがコリントから陸路でマケドニア経由で帰って来るならば、トロアスに行った方が早くテトスと再開できると考えての移動でした。トロアスにあっても、コリント教会のことは脳裏から離れることはありませんでした。しかし、その地での伝道は順調に進み、人々はパウロの語る福音に耳を傾けて救われる人が多く起こされていきました。

しかし、ここでもテトスには会えませんでした。パウロはトロアスでの伝道の祝福にありながらも一刻も早くテトスに会いたいという思いは募ります。それは、コリントの人々の反応が気になって仕方がなかったからです。「涙の手紙」がどれほど厳しい内容を含んでいたのかはわかりませんが、Ⅰコリントの手紙を見ると、あまりにもひどい状況を糾弾した内容であるわけで、パウロとしては、コリントの教会の一人ひとりを愛しているゆえに、彼らが傷つくことを避けたいという思いもあったことでしょう。

できるなら、忖度したほうが良いのではないかという誘惑も浮かんだことでしょう。しかし、主イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたということを知っているパウロからすれば、罪を甘く見て大目に見るということは許すことはできません。

テトスに涙の手紙を託した理由とは

パウロにとっては「涙の手紙」を送るリスクというものも考慮のうちにはいっていたと思われます。テトスを送信者として派遣した理由は、

テトスは、パウロや他の使徒からの厚い信任がありました。『ガラテヤ人への手紙』ではパウロやバルナバと共にエルサレム会議に参加したという記述があること、一方、テトスの両親はともに異邦人であったようで、テトスは非ユダヤ人であるにもかかわらず、パウロから「仲間」「協力者」と呼び、その熱心さを高く評価されていました。

他方業績としては、『コリント人への第二の手紙』ではテトスはエルサレム教会のための醵金をコリントで行うなど、またパウロの右腕とも呼べる忠実な弟子でした。

その異邦人クリスチャンであるテトスを派遣したことは、非ユダヤ人が多数いるコリント教会に送るにふさわしい人物でした。しかもその右腕とも呼べるテトスを派遣したということは、コリント教会にとっても大きな意味を持ったに違いありません。こうしたところからも、パウロの本気の姿が見て取れ、パウロの深い愛ゆえの厳しさというものが伝わってきます。

パウロ本人からすれば、場合によっては、「涙の手紙」を読んだコリントの信徒が教会から去り、教会が解散するリスクをも考えられたわけで、万全の用意をして臨んだにも関わらず心配でならなかったのでしょう。

テトスに会いたい一心のパウロ

そこで、順調だったトロアスでの伝道を切り上げて、早くコリントの様子を聞きたいということで、テトスに再開するために、エーゲ海をわたりマケドニヤに帆を上げます。そうしてようやく、テトスと再会することができました。パウロの心配をよそにテトスは吉報を携えてきたのです。コリント教会はこれまでの態度を悔い改め、今やパウロへの信頼を取り戻したというのです。

パウロがテトスと再会したのはマケドニヤのどこであるのかは確定できませんが、おそらくピリピとかテサロニケというようなパウロが建てた教会がある町であったことでしょう。パウロはそれまでのコリント教会の分裂、もしくは教会の消滅、信徒の堕落というような不安と恐れが強かっただけに、このテトスがもたらした報せによって受けた喜びは大きく、慰めも大きなものでした。

Ⅱコリント
7:6 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。
7:7 ただテトスが来たことばかりでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められたのです。あなたがたが私を慕っていること、嘆き悲しんでいること、また私に対して熱意を持っていてくれることを知らされて、私はますます喜びにあふれました。

テトスの報告によれば、コリントの教会の人たちは悔い改めたとのことでした。そして、コリント教会の信徒たちはパウロを中傷した信徒を処罰し、パウロと真剣に和解したいと願っているとのことでした。この知らせを聞いてパウロは大喜びし、神に感謝します。

神の導きよりも不安が先行したパウロ


 パウロは、トロアスに向かう道中、神の導きというよりも、コリント教会への不安と焦燥感で頭が一杯になっていたものと思われます。ある意味気を取り乱しての伝道であったかと思われます。コリントの教会の問題が自分にのしかかっており、本心は正気ではなかったかもしれません。彼はテトスが来なかったことで打ちひしがれ、居ても立ってもいられず、マケドニヤに行ったのです。

 パウロがこのような精神状態でいたことは、ある意味で私たちの慰めになります。なぜなら、私たちもこのような落ち込み、不安、混乱を経験するからです。主の導きとはいえ、なぜ、このような不安や失敗、混乱を経験しなければいけないのかと自問することがあります。

 しかし、主の目からすれば、主の門は開かれていました。自分の状況はどうであろうと、主は、あなたの計画を導き、たとえネガティブな状況や思いからしてしまう行動のうちにも、主は働かれているということです。

Ⅱコリント
2:12 私が、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いてくださいましたが

苦悩を用いる主の導きの不思議さとたしかさ

 コリント教会への思い煩いが、結果として二度目のヨーロッパ伝道となり、魂の獲得への祝福となりました。しかし、コリント教会の問題は、神のご計画でした。不安や心配も神のご計画の一貫にあったのです。ならば、私たちは恐れることなく、身を委ねて進んでゆくべきです。人間的には、パウロのテトスに会いたい一心での行動は、無計画、思いつきな行動と映ったかもしれません。しかし、それも神のご計画のうちになされたことです。

 コリント教会への思い煩いとテトスに会うための行動が、結果としてトロアスやヨーロッパの人々への神の救いの道が開かれていくきっかけになったわけです。

 その時、最も大切なことは、「主は私のために門を開いてくださいました」 という12節の御言葉です。

 パウロにとっての『門』とは一体何であったのでしょうか。それはトロアスに向かうことであったのでしょうか。確かにそうした面もあったことでしょう。

 それよりも重要なことは、私たちが直面する『門』です。それは、自身の危機的状態です。思い煩いや不安、不幸、貧しさ、困窮……私たちを取り巻くあらゆるネガティブな状況、つまり悩みです。神は、私たちの状況や心理的背景、計画、価値判断、苦悩を遙かに超えており、私たちが思うあらゆるネガティブな状況打ち破るだけでなく、苦悩をも用いる神だということです。

 主イエスの十字架を思い出してください。主イエスの十字架は人間にとって最もネガティブな決定的な出来事であります。しかし、イエスはその後どうであったか。主イエスは、日曜日の明け方早く、死後三日目に完全に復活された。まさに、ネガティブな出来事を打ち消す完全ないのちを神は私たちの前に提示したではないですか。

 主イエスの信仰に生きるということは主の十字架と復活の体験をしていくことです。パウロは、コリント教会の問題によって、固く閉ざされた門を見るしかなかったのですが、神は、復活のわざを通して、パウロにコリント教会の問題を解決してくれたという経験を与えたのです。

 私たちは神の御手の中にあり、神のご計画を信頼し、委ねて、その道を進むことだということです。これが、神が私たちにお与えになる召命です。

計画が壊れる中に主の導きがあることを知る

 神は私たちを召すとき、私たちの経験も知恵も 計画も人生をも打ち砕かれると思うときがあります。しかし、そこにこそ、神が召命をお与えになっているのです。主イエスの十字架は、ご自身がむち打たれ、砕かれる姿を身をもって示し、弟子たちは じめ私たちを打ち砕いた事実です。神は十字架によって弟子たちに召命を与えました。

 驚かないでください。私たちの願い、思い、人生そうしたものを打ち砕かれるように思われることが、信仰生活を続けていく上で必ずあることです。
しかし、後になって振り返って冷静になって考えてみると、神は私たちを導いてくださったと、人生の足跡を見るときにわかることです。

 今苦しみや苦悶のうちにある方は覚えていただきたいのですが、それは今、あなたがイエスの十字架を負いながら歩んでいる証拠です。
必ずや、神はあなたを神のご栄光のために用いてくださっていることを覚えていただきたいのです。アーメン。