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ペテロ第一の手紙 3章2節       自分からにじみでるもの

Ⅰペテロ3章2節
それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。
ἐποπτεύσαντες τὴν ἐν φόβῳ ἁγνὴν ἀναστροφὴν ὑμῶν.

はじめに

先日、ペテロ第一の手紙3章1節を紹介する際に、妻たちに対するペテロの言葉に対して、キリスト教の福音宣教には、言葉はいらないというテーマで話しました。今回は、福音宣教に関わる非言語コミニュケーションについて取り上げていきたいと思います。

非言語コミニュケーション

非言語コミュニケーションとは、言語によらないコミュニケーションのことをいいます。英語で nonverbal communication(ノンバーバル・コミュニケーション)と呼びます。私たちは、人とのコミュニケーションを行う時、言語を使い互いの感情や意思を伝えあいます。これをバーバル・コミュニケーションといいます。わかりやすく言えば、会話です。

 ところが、「目は口ほどにものをいう」といったことわざにもあるように、コミニュケーションを行う際に、発せられる言語よりも顔の表情・視線・身振りなどのほうが、より重要な役割を担っているということです。研究者によれば、二人が対話する際に、言語によって伝えられる内容は、全体の25パーセントにすぎず、残りの65パーセントは、話しぶりや動作、ジェスチャー、相手との間のとり方など、言語以外の手段によって伝えられるということです。アメリカの心理学者アルバート・メラビアンによると、人間は言語情報より非言語情報から多くの情報を得ているという研究結果があります。

非言語コミュニケーショ1971年の著書『Silent messages(邦題:非言語コミュニケーション)』における調査では、メラビアンは次のような結論を出した。まず、人と人とが直接顔を合わせるフェイス・トゥー・フェイス・コミュニケーションには基本的に三つの要素があることである。
●言語
●声のトーン (聴覚)
●身体言語(ボディーランゲージ) (視覚)
そして、これら三つの要素は、メッセージに込められた意味・内容の伝達の際に占める割合が違う。彼によれば、これらの要素が矛盾した内容を送っている状況下において、言葉がメッセージ伝達に占める割合は7 %、声のトーンや口調は38 %、ボディーランゲージは55 %であった。【Wikipedia】

話をする際の声色や表情、間の置き方などによって、受け手に与える印象を左右するため、言葉を伝える際には、言葉を語る以前の非言語コミュニケーションがかなり重要であることが理解できるでしょう。

あなたを見ている

3章2節をギリシャ語本文から見ていきますと、

ἐποπτεύσαντες τὴν ἐν φόβῳ ἁγνὴν ἀναστροφὴν ὑμῶν.

それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。

その冒頭にἐποπτεύσαντες(エポプテューサンテス)という言葉がでてきます。新改訳聖書では、『見るからです。』と訳されていますが、その元の意味は、監督者になるとか、見守る、注意深く見るという意味です。原型はἐποπτεύω(エポプテューオー)で、前置詞ἐπί(エピ)+ὀπτάνομαι(オプタノマイ)という言葉が合成した言葉です。

ところで、エポプテューオーを構成する、エピは、「上に」、「前」という意味で、後者のオプタノマイは英語の”optic”(目・視力の意味)の元になるοπτικός(オプティコス)の動詞と思われます。
オプタノマイの意味は、現れる、見るという意味ですが、” 凝視する、目を見張るような”という意味で用いられ、単に自発的な観察を表す”見る”という意味ではありません。英語のLookとSeeぐらいの違いがあります。

ἐποπτεύω(エポプテューオー)は、厳密には、じっと見つめるという意味になります。ここでは、クリスチャンの妻たちに向けて書かれている言葉ですが、クリスチャンでない夫が妻を見るとか、発見するということではなく、クリスチャンでない夫は、妻を凝視しているというように読むべきでしょう。

凝視されている

ἐποπτεύω(エポプテューオー)は英語のoptic(目・視力の意味)が含まれています。余談ですが、目の起源についてご存知でしょうか。人がお母さんの胎内の中で卵細胞は、受精すると細胞分裂し、人の体ができていきます。その過程を学ぶ学問を発生学といいます。発生学的に見ると、目というのは、脳の間脳という部分が側方に突出してできた眼胞を起源としています。このことから、目は発生学的には脳の一部ということができます。つまり、見るというのは、目が物体を認識しているのではなく、脳が物体を映像として認識しているということになります。私は専門家でもないので、確かなことは言えないのですが、「目は口ほどにものをいう」というのは、ことわざを超えて、医学的にも正しいのではないでしょうか。言葉では良いことを言っていても、目は脳で考えていることを偽らないということでしょう。ですから、相手が好意をもって見ているなら別ですが、敵意や反感をもって自分を見ていると感じたときにはつらいですよね。

『彼らが見るからです。』と訳されている部分を凝視されていると読むと、夫に縛られているように感じて、夫の奴隷みたいで嫌だと思う人もいるかもしれません。現代のように、女性が社会進出を果たし、自立した営みができる私たちが生きる時代とは異なり、当時の古代ローマ帝国の女性、妻という立場は夫に従属し、奴隷のような立場であったことは事実でした。こうした時代、夫の監視、夫が目を光らせる時代に生きる妻にとっては精神的にも苦痛であったことでしょう。

人は何に注目しているのか

夫たちは、妻を”凝視している”と言いましたが、では、何を凝視しているのでしょうか。新改訳聖書では、『それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を』ということになります。『神を恐れ』と訳したφόβῳ (フォボー)には、恐れ、恐怖、夫への畏敬の念という意味がありますが、詳細には、主の御心を損なうことを避け、真に御心を受け入れることを意味します。

つまり、夫たちは、妻が神の御心に従い、神の御旨を行おうとする態度をじっと見ているということです。前の記事、3章1節のなかで、どういう夫であるのかと伝えましたが、それは、ἀπειθοῦσιν τῷ λόγῳ (アペイソーシン トー ロゴー)と語られた人物でした。真っ向から福音を拒絶する夫という人です。そうした男性たちは、妻の τὴν ἐν φόβῳ ἁγνὴν ἀναστροφὴν (テーン エン フォボー アグネーン アナストラフェーン)を見つめているということです。私の意訳では、神の御心に沿った、聖められた生活や行動、コミュニケーションを福音を拒絶する夫は見つめているということです。

こうした、τὴν ἐν φόβῳ ἁγνὴν ἀναστροφὴν (テーン エン フォボー アグネーン アナストラフェーン)という生き方(ライフスタイル)は、形を真似るだけでは無理があります。形だけを取り入れたのは、儀礼的な態度や、律法主義的な生き方というものです。表面だけ取り繕うような生き方をペテロは勧めているのではありません。

人は、ノンバーバルな部分で人を見ているということを言いました。人は、表面の姿を見ているのではありません。旧約聖書の言葉にこういう言葉があります。

Ⅰサム 16:7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

主は、心を見るとあります。しかし、全能の神ほどではないにせよ、人間も神のかたちとして、多少なりとも心を見るものとして創造されています。

私たちの行動は、多かれ少なかれ、人に見抜かれているといっても過言ではないでしょう。クリスチャンらしく繕うことほど見苦しいものはありません。それは、偽善です。偽善にならないように、私たちは心の一新によって自分を変えることが必要であると前に語りましたが、そのために何が必要なのでしょうか。

それは、聖靈の満たしです。聖靈の満たし以外に私たちを変えるうるものはありません。それは、わたしの心のうちにキリストを迎え、喜び、自分よりも私の内にいて、私を励まし、私を勇気づけ、私を慰める、その方を第一とする生き方です。それが、今回取り上げた3章2節の『恐れ』φόβῳ (フォボー)の本当の意味です。

私たちに、真の意味での恐れはあるでしょうか。私たちの全人格からにじみ出てくるものは一体何でしょうか。愛ですか。温かさですか。親切ですか。それとも、自己主張ですか。苦労でしょうか。はたまた研鑽し続けた努力でしょうか。それとも自己顕示でしょうか、あなたの立派さやプライドですか。

私たちの人格から滲み出るもの。これが福音宣教に直結します。ペテロは、私たちから滲み出るものが、ノンバーバル・コミニュケーションを決定すると伝えているように思えてなりません。

鏡の前に立った時、滲ませているものはいったい何かを見つめてみましょう。

Translation 聖書対訳

【NASB版】
they observe your chaste and respectful behavior.
彼らはあなたの貞潔で敬意を表する行動を見ています。

【KJV版】
While they behold your chaste conversation coupled with fear.
彼らが恐れと相まってあなたの貞潔な会話を見ている間。

【NKJV版】
when they observe your chaste conduct accompanied by fear.
彼らが恐れを伴うあなたの貞潔な行いを見るとき。

Lexicon レキシコン


ἐποπτεύσαντες
ἐποπτεύω,v \{ep-opt-yoo'-o}
Tense A Voice A Mood P Case N Number P Gender M
1)監督者になる2)見守る、注意深く見る3)見守る
τὴν
ὁ,ra \{ho} Case A Number S Gender F
1) the 2) this, that, these, etc.
ἐν,p \{en}
1) in, by, with etc.
φόβῳ 
φόβος,n \{fob'-os} Case D Number S Gender M
1)恐れ、恐れ、恐怖1a)恐怖に襲われるもの2)夫への畏敬の念
ἁγνὴν
ἁγνός,a \{hag-nos'} Case A Number S Gender F
1)エキサイティングな畏敬の念、由緒ある、神聖な2)純粋な2a)肉欲から純粋、純潔、謙虚2b)あらゆる過ちから純粋、真っ白2c)きれい 
ἀναστροφὴν
ἀναστροφή,n \{an-as-trof-ay'} Case A Number S Gender F
1)生活様式、行動、行動、移送