ウクライナ侵略の原因は”歴史戦”である―「ファシズムとロシア」から戦争の根源を読み解く
日々凄惨の度合いを強めるロシアのウクライナ侵略戦争ですが、洪水のように押し寄せる日々の報道に反して、この戦争の「原因」を深く追求したものは限られているように思います。
自由主義を信奉するリベラル派は「自由民主主義に対する権威主義国家・ロシアの挑戦だ」と言い、
米国中心の軍事的リアリズムを信奉する保守派は「ロシアが反米的な帝国主義の野心を剥き出しにした」と言い、
反米主義的な左翼は「ウクライナのネオナチストがプーチンを刺激し、欧米とともにNATO拡大を推し進めたからだ」と言い、
ロシア内外の反戦平和主義者は「この戦いは多くのロシア人とは関係がなく、プーチンの個人的な信念(ファシズム、ユーラシア・ナショナリズム、中世秩序への回帰etc)が引き起こしたものだ」と言います。
その何れもが間違いであり、ロシア人民とその指導者であるプーチンは如何なる意味でも「ファシスト」ではなく、単なる反リベラル派のナショナリスト(の集まり)に過ぎないと「ファシズムとロシア」の著者、マルレーヌ・ラリュエル/ジョージ・ワシントン大学教授は指摘し、ウクライナとロシアの「戦争」の根源を、両国が繰り広げてきた”歴史戦”に求めています。
ラリュエル教授は、主に西欧諸国のインテリによる、ロシアやプーチン政権に対する「ファシスト」というレッテル貼りや悪魔化を激しく非難し、膨大な証拠と調査によって、プーチンを含む多数派ロシア人達の「反リベラリズム」が、本質的には西欧諸国で起こっているリベラリズムへのバックラッシュと大差ないことを暴き出すとともに、ファッショ的とも評される言論統制や「敵対的/侵略的」な世界観の醸成は、あくまでも結果であって原因ではないと論じます。
ラリュエル教授の理論は、上述したような「破滅的侵略戦争」に対する、ある意味で防衛的な我々民主主義社会の住人の語りに対して、よりラディカルで恐ろしい結論を導き出します。つまり、「反リベラリズムとナショナリズムが極限に達すれば、ファシズムや独裁がなくても侵略戦争の実行は可能」だという厳然たる事実です。今現在「自由民主主義国家」と呼ばれるありとあらゆる国が、ウクライナ侵略に類する大規模ジェノサイドの「実行犯」となる可能性があり、各国のナショナリストが主導する”歴史戦”によって、その準備は着々と進められているのです。
1.プーチン政権は「ファシズム」ではない
a.「反ナチ国家」である現代ロシア
現状を踏まえて一見すると、まるでロシアを「ファシズム国家」だと主張する本かに思える書ですが、実際の内容は真逆で、ラリュエル教授が長年集めた証拠を元に、ロシアとプーチン政権が如何なる意味でも「ファシズム」ではなく、単なる反リベラリズム/右翼ナショナリズム国家に過ぎないと主張することを主な目的として記述されています。
ラリュエル教授はまた、ロシアの「ナショナリズム」を、欧米的な右翼言説によく見られるような、民族主義的・排外主義的・国家主義的なそれとは必ずしも一致しておらず、ポスト・コロニアリズム、反リベラリズム、そして「反ナチズム」の複合体のようなものとして描写しています。
しかし、ポスト植民地主義(ウクライナに対する同国の態度は典型的と言えましょう)や反リベラリズム(J.K.ローリングへの奇妙なラブコールは、プーチンがフェミニズム思想を現代的リベラリズムの主要な力として正しく捉えており、またローリングが既にただの反フェミニストに過ぎないことを直接暴いているものです)はともかくとして、「反ナチズム(≒反ファシズム)」がナショナリズムに繋がるというのは、直感的にも論理的にも俄に納得しがたい話です。これは今の私たちにとっては、プーチンの主張する戦争の主たる目的である「ウクライナの非ナチ化」が、理解しがたい妄言として世界中で広く受け止められ、本人の精神不安定説まで惹起したことにより、より強く方向付けられるでしょう。
ラリュエル教授はこのロシア独特の「ナチ」概念について、第三章「プーチン下で復活した反ファシズム」のほぼ全紙幅を割いて論じています。「西側」の立場にいる私たちの直感的理解に反して、プーチンが権力の座について以降、ロシアはむしろ「反ファシズム」に傾いていった、というのです。
先程、「ロシアは例外ではない」という一文を引きましたが、あえてロシアの「国家的特殊性」を求めるとすれば、まさにこの「反ファシズム」性がそれだと言えるかも知れません。
b.「反ナチのヒーロー」と同一視されるプーチン
ラリュエル教授は、第三章の前段に当たる第二章で、やや唐突に「ロシア版ジェームズ・ボンド」と言われる国民的人気キャラクター/マックス・オットー・フォン・スティルリッツに関して言及します。
1972年から旧ソ連で放送された人気ドラマ「春の17の瞬間」の主人公である彼は、大胆にもナチス第三帝国に侵入したソビエトの凄腕スパイであり、ロシア人的な男らしさの魅力とジョークのセンスに溢れ、特に40年~70年代生まれの多くのロシア人にとってアイドル的存在のようです。(プーチンは52年生まれ)
彼を紹介したウェブサイトから、一部を引用します。
プーチンが現在ウクライナで行っている蛮行を考えると、実に笑えない「ロシアン・ジョーク」ですが、ロシア国民の間ではスティルリッツと、元KGBという経歴を持つプーチンを重ねて見る人が多数おり、彼の「大衆的人気」の下支えのひとつであると本書は指摘しています。
本書に記述された、様々な側面からのロシア文化へのリサーチはここでは割愛しますが、この結果がロシアお得意の「フェイクニュース」とは到底思えず、プーチンが本当に政治指導者としてロシア国民から深く愛されており、虚構が現実化したヒーロー的存在とみなされていることが本書からは窺えます。
こうしたロシア人の一般的な見方からすると、「ファシスト」とは要するに英雄的ロシア人であるスティルリッツの宿敵≒ロシアの敵で「西側」の悪い連中、くらいの意味しか持っておらず、自分たちが「ファシスト」ではないという意識は非常に強いものの、欧米的な「ファシスト」や「ファシズム」の理解とはかなりのズレがある事がわかります。
この極端に戯画化されたロシア的「ファシズム」像を、ラリュエル教授は「擬人化されたナチズム」と評しており、スティルリッツ≒プーチンが「擬人化されたKGB」だと考えれば、この対立関係は言い得て妙です。
ラリュエル教授は自説を補強するため、2015年に1603人のロシア人を対象に独自の調査を行いました。
いかに日本人の過激派ネット右翼といえども、「ファシズム」と聞いて即座に現代中国を思い浮かべる人物は少数派であろうことを考えると、「ファシズム」を「ウクライナ」に直接結びつけて考えるロシア人が(調査の正確なパーセンテージは何故か記載されていないものの)半数以上いること、その反面、所謂ホロコーストを思い浮かべるのは半数以下に過ぎないという事実は、「西側」に属する国民の感覚としては衝撃的と言えます。
多くのロシア人にとっては、あくまでも「ファシズム」とはナチス・ドイツのことであり、ロシア人民の生存を脅かした「西側の外敵」と位置づけられる存在であって、自分たちと根本的に異なるのは勿論、人類に共通する悪しき政治的傾向(人種/民族/マイノリティ差別、軍国主義、独裁主義、帝国覇権主義etc)の象徴として捉える見方もまた、非常に希薄である事が窺えます。
こうした人々が「プーチンはナチだ!」と言われたとて、某有名格闘選手の如く「お前は何を言っているんだ(お前ら(西側)こそナチじゃないか)」と反論してくるのは当然の成り行きであり、プーチンはそれに倣っただけと言えるでしょう。
c.「在特会もどき」に過ぎない「ロシアン・ファシスト」達
もうひとつ、プーチン政権が「ファシズム」ではない根拠としてラリュエル教授が強調するのは、ロシアにはロシア流の全体主義を掲げる「本物のファシスト」も確かに存在するが、何れも社会的・政治的・文化的に大きな影響力を持つことが出来ず、プーチンの権力の前に埋没してしまっているという事実です。
日本ではあまり知られていないことですが、欧米のリベラル・インテリの間では「プーチンは政権の周囲にいる/ロシアに歴史的影響力を持つ「本物のファシズム思想家」に強く傾倒しており、昨今の過激主義的行動は彼独自の「ファシスト」的信念に基づいている」という議論が支配的です。
典型的な言説としては、下に示すニューズウィークの記事のようなものが該当するでしょう。
この「ユーラシア・ナショナリズム」の代表的思想家には、アレクサンドル・ドゥーギンが挙げられます。彼はロシアの「極右の論客」として度々欧米のネオファシストや右翼ポピュリストとの親交を持ち、ロシアにおける自らの「影響力」を、殊更に見せびらかすこともあったようです。
これらの「プーチンの影のブレーン」は、ウクライナ侵略の原因をプーチン個人の資質に求める議論において、実にもっともらしく、また「現代に蘇ったラスプーチン」というオリエンタルでセンセーショナルなニュアンスを持つため、欧米人には非常に人気のある見方のようです。
しかしながら、(立場上当然のことではありますが)ラリュエル教授はこうした欧米インテリの見方を、安易かつ不用意にロシアを悪魔化しているとして一蹴し、イリインにせよドゥーギンにせよ、単なる極端で周縁的な思想家に過ぎず、プーチンが彼らの影響を受けた証拠は一切ないと断言しています。
豊富な証拠を元に、イリインやドゥーギンの「人気の無さ」を暴いていく手管は是非とも本書をお読み頂きたいのですが、そもそも「ファシスト」に対するネガティブ・イメージが極めて強いロシアにおいて、大っぴらに「ナチシンパ」を公表してしまうような人々が不人気なのは、プーチンがいかに独裁的な人物であっても、当然の成り行きではないかと思います。
ラリュエル教授に言わせれば、イリインの埋葬は他のロシアの著名な思想家達と際立って異なるものではなく、またドゥーギンに至っては、2014年に「過激な思想」を問題視されてモスクワ大学を追い出されて以来、殆どクレムリンに対し何の影響力も発揮することが出来ず、YouTuberのようなことをして糊口を凌いでいる有様なのだとか。
彼ら「ロシアン・ファシスト」の恐ろしげなイメージに反する悲惨な扱いは、いっそ外国人である我々の哀れを誘いますが、特にドゥーギンに関しては、クリミア併合のタイミングで追放されたことを踏まえても、「プーチンのロシアにとって必要な人物でなくなった」ことが、このような扱いを受けている大きな要因なのではないかと思います。
私がそう考えるのは、似たような現象に見覚えがあるからです。
日本においても、自民党の保守派政治家は在特会のような「ウルトラ・ナショナリスト」の協力を求めていた時期があり、しかし自らが権力の座に返り咲くと、ちゃっかり「ヘイトの自由」は維持しつつも、同会の存在を丸ごと否定するかのような法律を制定してしまいました。
ここに見られるのは、右翼の権力者と「ファシスト」の微妙な力関係です。ドゥーギンのような極右は、絶対的に少数派であるために、権力の座に食い込むにはどうしてもプーチンのような右翼政治家の協力が必要となります。しかしながら、大衆に強い権力と人気を持つプーチンにしてみれば、自身が極端な「ファシズム思想」に取り込まれる必要など全くありません。
それ故、両者は「利害が一致する」限りにおいて協力し合い、それ以上はしないと考えられます。
おそらく、クリミア併合を成し遂げた時点で、「ロシアン・ファシスト」は無用の長物になったのでしょう。丁度日本でも、在特会を切り捨てた反リベラル政治家が戦後最長の政権を築き上げたように、国民が皆ナショナリズムに染まってしまえば、最早大衆動員の材料としての「ファシズム」など、悪戯に権力を不安定化させるだけの不要品に成り果てるのです。
クリミア併合をもって、ロシア的な「ナショナリズム」と「反リベラリズム」は「完成」し、最早「ファシズム」でも「ポピュリズム」でもない、何か異様なものへと変質を遂げたのかも知れません。そしてそれは、そう遠くない未来の日本の姿でも(残念ながら)あるのでしょう。
2.”歴史戦”が本当の戦争に変わるとき
2022年1月27日、NHKの報道バラエティ番組「シブ5時」が、”歴史戦”という言葉を政府見解通り、概ね好意的に扱ったことで、Twitterなどで批判が紛糾する事態となりました。
ラリュエル教授はロシア-ウクライナ間の外交問題の根源を”歴史戦”の存在に見ています。ウクライナは建国当時からロシアと”歴史戦”を戦う宿命にあり、軍事侵攻が起きる遙か以前から、この戦いをずっと行っていたというのです。
a.ロシアの「反リベラリズム」とは何か?
”歴史戦”の話に入る前に、ロシアの「反リベラリズム」を本書がどう定義しているか、改めて解説しておきます。
ラリュエル教授は反リベラリズムを、政治、経済、文化の3つの分野で「主権」を訴えることで、サイレント・マジョリティといわれる人々の権利を再び主張する、新しいポスト・リベラルの政治的パラダイムと定義し、その特徴として
(1)古典的極右の同義語ではなく、そのより「ソフトな」バージョンを取り入れた、新たな主流となることを目標とした運動である事
(2)ポピュリズムの同義語ではなく、特に右翼ポピュリズムの支援を絶対的に必要としつつも、時には(現在のプーチンのように)国家統制主義者として大衆主義を否定すること
(3)必ずしも「民主主義へのバックラッシュ」ではなく、「リベラリズムへの反感」が先立って存在し、権力掌握の結果として反民主主義的な政治を行っていること
を挙げており、代表的な政治家として、プーチンの他、アメリカのドナルド・トランプ前大統領、ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領(註:具体名の提示は避けているが文脈上明確)、先日再選が決まったハンガリーのオルバーン・ヴィクトル首相を挙げています。
日本人ならばここにもう一人付け加えたいところですが、それはともかく、この定義は的確かつ既存の「極右」「ポピュリズム」批判に再考を迫るラディカルなものと言えるでしょう。
このようなイデオロギー観は、まさにソ連の崩壊によって共産主義が「打倒」され、アメリカを中心とする先進諸国でリベラリズムが唯一の支配的イデオロギーとなった時点で、現状に強い不満を持つ左右の勢力からバックラッシュが起きるのは必然の流れであり、ひとくちに「(ネット普及による)ポピュリズムの伸張」と言っても、その「人気」が右翼方面に偏っていることや、20世紀にも少数派だが強固な勢力として存在した「極右」が、何故今これほど大増殖しているように見えるのかという疑念に、「反リベラリズムが全ての根源だから」という一定の説明を与えてくれます。
また、現在一部の反米主義的な左翼が主張する、欧米に支援されたウクライナ・ゼレンスキー政権への強い反感と非難や、一部左翼ポピュリストが言う「LGBTQ(特にトランスジェンダー)の社会的危険性」の主張に、別の角度から説明を加えるものでもあります。標準的なリベラルの見地からは少々理解しがたいこれらの主張者は、「左翼的ではあるが反リベラリスト」という点で、プーチンやトランプとの共通項を持っているのです。
b.ロシア独自の"歴史認識"とナショナリズム
では、そのような「反リベラリズム」の世界的潮流が、具体的にどうウクライナ危機と関係しているのでしょうか?
ラリュエル教授は、プーチンのロシアは「反リベラリズム」を、自らのロシア的保守主義を擁護する政治的ツールとして利用しており、彼らが究極的に目指しているのは「ファシズム革命」などとは正反対のもので、むしろ保守主義の立場から「古典的なヨーロッパ」を擁護することであると解説しています。
ここで書かれる「ヨーロッパを破壊しようとする者」や「ポスト・モダン理論をもって、古典的西欧文明に挑戦する者」とは、ともに今日的な意味での「リベラリスト」のことであると解釈可能でしょう。(註:ラリュエル教授は一例として、スターリニズムに批判的なロシアの人権団体「メモリアル」に対する弾圧を例示している)
プーチンのロシアが国内のリベラル派を弾圧し、EUやNATOを非難し、LGBTQやフェミニストを激しく攻撃するのは、単に「右翼だから」「反米だから」という理由に留まらず、自らこそが正当な「西欧文明の継承者」であり、「第二次世界大戦後に世界秩序を形作った勝利者」であるという(外国人の感覚からすると)恐ろしく傲慢でナショナリスティックな自己認識があるため、となります。プーチンのナルシスト的観点からすれば、リベラリズムを推進する現代の欧米諸国は、ヨーロッパルーツの国家として堕落しており、その主義主張にはいかなる政治的正当性もないということになるでしょう。
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