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熱狂する「Air」の作りかた -iPadを買うか買わないか本気で悩んだ話-

熱狂を生み出すにはどうしたらいいか。その答えは、「焦らすこと」である。

話は8月末に遡る。

「iPad買ったんだよね」

友人が見せてきたものは、iPad Pro。やや縦長で、スタイリッシュに輝くその機体を、得意げに手に持ちながら話しかけてきた。

「どうして買ったの?」

自分の口から出てきた言葉は、「いいね」でも「格好いい」でもなく、なぜそんなものを買ったのか、であった。

と言うのも私は学生のころにiPadを持っていた。その時に自分が所持していた理由はまさに「格好いい」から。

ただし当時はいまいちどう使っていいかわからなかった。タブレットは何に使うの? という、自分で立てた謎かけに最後まで答えることができず、とりあえず携帯よりもでかい画面でFacebookを見ることが関の山であった。だから、そんな無駄なものを買う理由を知りたかった。

「近頃のiPadは通話もできるようになっただけじゃなく、資料の編集も楽になったよね。映像の編集もできるし、Photoshopやイラストレーターも編集できるし。何より、これ、タッチペン。これで資料にメモを入れたりできるよ」

早口でスペックを言い切る友人を見て、「ああ、本当に好きなのだな」と思った。人間、好きなものを語る時は饒舌である。普段そんなに喋らないくせに、瞳孔を開きながらここまで話すなんて。まるで魔法にかかっているような印象を受けた。

ちなみに私は、友人の「映像の編集も〜…」くらいから話を聞いていなかった。悪い意味ではない。その時点で買いたくなってしまっていた。そう、私は非常にチョロい。

すると偶然、新型のiPad Airが近日発売されるかもしれないという記事を読んだ。これは運命なのではないか。記事を確認すると、どうやら9月8日にAppleからプレスリリースが出るらしい。ひょっとしたらその場で発売の発表があるかも。TwitterなどSNSでも発表内容の予想合戦が始まり、ファンの熱狂が伝わってくる。すでに購入意欲が高まっている私は、これは運命だ、と思い、8日深夜2時の発表を待った。

しかし、待ち望んだ8日、この日発表があったのは、なんと9月15日(日本時間16日)にApple のイベントが開催されるという発表であった。イベントの発表の発表って。今日、あわよくば購入できると思っていた製品が買えなかったことにショックを受ける。

それから8日から15日までのおよそ1週間。私の頭の中はiPadで一杯だった。毎日Appleの記事を読む。リーク情報がたくさん出回っておりどんどん期待が膨らむ。きっと書き手も相当なファンなのだろう。それを読んでいる自分も、すっかりドラえもんに道具をもらう寸前の「のび太くん」になっていた。早くその道具を使ってみたい。きっと、のび太も道具の説明なんて聞いてなのではなかろうか。

そして、いよいよ15日を迎える。その日は明らかにソワソワしていた。

「iPad Airを買ったら映像を撮ってみよう。家に帰ってPCを開くまでエッセイを書けなかったけど、電車の移動中も作業できるかもしれない。イラレとか始めようかな」

一生のうち一度も考えたことのない願望が広がる。もう、脳内はお花畑になっていた。仕事の休み時間にリーク記事を読む。すると海外ユーザーさらにレベル高く、リーク情報といって謎の画像を流出させていたりしていた。ただ、そこには悪意の代わりに何かファン同士の仲間意識のようなものを感じた。そして、いつの間にか自分もリーク情報を楽しみに毎日を過ごしていた。

いよいよ発表当日の2時になった。スタイリッシュな映像、音楽とともに新製品が続々と発表される。時計をはじめとした魅力的な製品が紹介される中、まだお目当てのiPadが紹介されない。まだか、まだかと思っていた矢先、それは最後の最後で発表された。

発表された製品は、なんというか「綺麗」であった。英語なので何言っているかわからないけど、言語がわからんのにビジュアルでここまで理解させるのはさすが、とも思った。一通りの説明が終わった後、もう購入意欲は頂点に達していた。もう、絶対に買おう。HPの購入ページにログインしようとした矢先、スピーカーが言い放つ。

「こちらは10月発売予定です」

まだ焦らすのか…。
この独り言を言い放ち、睡魔とともにベッドに倒れ込んだ。

数週間前までは存在意義を感じなかったタブレット端末が、なぜここまで魅力的に映ったのか。それは、買おう買おうと思っていたのに買えないという、徹底的な焦らしのためでないか。まだ買っていないのに、すでにそれで何をしようか考えを巡らす。この手元にある感覚は、それだけ商品が魅力的にもかかわらず、なかなか市場に出さずに焦らすことだ。そうすれば、ファンの思いが焦がれ、やがて熱狂という炎が芽吹く。

焦らされたユーザーたちは予想合戦を始め、いろんな情報が出回り、答え合わせをしたくなる。そして熱狂の炎は伝播し、ファンがファンを作り出す。ファンたちの妄想によって、いつの間にか自分も仲間たちと盛り上がりたくなり、しまいには自分の手元に製品があるようなリアリティを感じ始める。そんな熱狂の仕組みを、この四角形の冷たい機材から学んだ気がした。

いまだに発売日が公開されないiPad Air。ファンコミュニティは今も盛り上がり続けている。世界に散らばる顔も見えないファンたちと、今日も熱狂の渦の中で、夢の機械が世に出るその瞬間を待つ。そして発売日には、彼らと喜びを分かち合いたい。製品が届いてガッツポーズをするその時、きっと世界のどこかで同じポーズをしている人がいるのだろう。少し肌寒い空気の中、自分の芯が温まるのを感じた。


《終わり》

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