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Vol.3 写真で地域の笑顔を生み、魅力を発信するカメラマンの軌跡

写真館PHOTO SNOW/一般社団法人MITEMIの代表を務める中井由紀さん。

宮津市で生まれ育ち、
高校卒業後、進学のため上京。
その後、大阪でカメラマンとして活躍し、
次男の出産を機にUターンします。

現在、培った撮影技術を活かし、写真館の運営と地域の魅力発信を中心とした活動の2つの軸で活躍をされています。

___宮津に戻り、変化した地域への想いとは。
___変化から『コト』を起こした経緯とその原動力とは。

中井さんの『出発』を読み解きます。

絵に熱中した幼少期〜高校時代 その進学先は。

「幼少期から絵を描くのが好きでした。」
中井さんは、絵の勉強を高校生になるまで続けます。

大学進学を決める際に、美大への進学を考えるも、
「正直絵では食べてはいけないと思った。」

そう考えた中井さんは、絵の道以外の選択を考えます。
「実家が商売をやっていたこともあり、家族で旅行するということがほとんどありませんでした。そのため、当時は『旅行』や『海外』への憧れがとても強かったんです。それと、修学旅行で出会った女性のツアーコンダクターがとても素敵な人で。海外への憧れと、彼女のようなツアコンダクターになりたいという想いで観光学の専門学校に進学しました。」

そして高校卒業後、大阪へと移り住みます。

人との出会い カメラの始まり

「両親は始めから、観光の専門に進むことに反対で。だから生活費は自分で稼ぐことを約束していたんです。」

生活費を稼ぐために始めたアルバイト。
そこで出会ったある人との出会いが、大きな転機となります。
「当時お付き合いをしていた彼は、音楽の道を志している人でした。ミーハーだった私は、彼の演奏姿を撮影する『オフィシャルカメラマンになりたい。』と思ったんです。」

そんな想いをきっかけとして、これまで全くの未経験であった『カメラマン』という新たな分野へ挑戦することに。

早速、カメラマンアシスタントの派遣会社に所属。
ここから中井さんのカメラマンとしての道が始まります。

『職人』カメラマンを目指して

未経験でカメラのアシスタントとしての仕事を開始。
「25歳までに自分でお金をもらって撮影ができなければ、辞めよう。」

自身の中でリミットを決め、雑誌や広告(商品・モデル)を中心とした撮影技術、さらにライティングの技術を学んでいきました。

「様々な現場にアシスタントとして派遣される中で、人との繋がりができてきました。すると次第に、個人的に仲良くしてもらう機会も増えてきました。」

そして派遣会社で働き始めて約1年半後には、フリーランスのアシスタントとして活動を開始。24歳の時に、カメラマンとして広告用の商品やモデルの撮影を中心としたスタジオを構え、COMMERCIAL PHOTO SNOWを立ち上げました。

「COMMERCIAL PHOTO SNOWの強みは、ライティングの技術があることでした。当時女性で商品撮影のライティング技術を持つカメラマンは少なく、そんな技術を持った『職人感』あるカメラマンを目指していました。

様々な現場経験から知識・技術を吸収していくスピード感のある行動力と、
職人気質の確かな技術。
この信頼と中井さんの気さくな人柄が、
『人』との繋がりを育み、新たな出会いを生んでいる。
そんな中井さんの強さとエネルギーが感じられました。

『選択』

カメラマンとして活躍し続け、長男を出産してからは子育てしながら活動してきましたが、次男出産後には故郷である宮津に戻るという選択をします。

「宮津には何もないというイメージで都会に出たので、正直宮津に戻りたいとは思っていませんでした。しかし、『時間の不規則な写真の仕事をしながら2人の子育ては厳しい。でも写真の仕事ができないなら大阪にいる意味はない。宮津に戻るしかない。』と、当時はそんな気持ちで帰ることを決めました。」

そう決めてから、ピリオドを付ける気持ちで仕事を2年間やり切り、2020年3月に宮津にUターン。

「当時は、宮津で写真の仕事をしようという考えはありませんでした。自分がやっていた広告撮影の仕事は宮津では需要がないと思っていたので。。」

『毎日が写真日和』 写真館の開業

Uターンした2020年3月は、ちょうどコロナで緊急事態宣言が初めて発令された時期。どこにも行けず、しばらくは実家の畑仕事をして過ごす日々を送ります。しかし同年7月、
「このままでは仕事が見つからない。これまでのカメラマンとしての経験を活かして、何かやるしかない。」
と奮起します。

「ふと思い返した時に、『家族とのちゃんとした写真がない』と気付いたんです。それがとても寂しくて。。きっと多くの人が『あの時、みんなで撮っておけば良かったな』っていうことがあるんじゃないかなと思いました。」

「手軽にスマホで写真が撮れるようにはなったけれど、やっぱりちゃんとした写真を撮って残しておくことはとても必要なことなんじゃないかと思いました。」

そして、広告撮影が中心であった中井さんにとっては新ジャンルである、写真館の立ち上げを決意。それから約3ヶ月というスピードで『写真館PHOTO SNOW』を開業します。

レトロな雰囲気のキセンバ港館の2Fには、、?
とてもお洒落なスタジオが!

「特別な日でなくても、家族や友達と過ごす時間を写真で残す。コンセプトは『毎日が、写真日和。』無理に笑わなくてもいいし、泣いていたっていいんです。そんな写真館ができたら素敵だなと思いました。」

そんな中井さんの想いを込めた、写真館。
運営も一般的な写真館のスタイルとは異なる形で工夫されています。

「額に入れた写真をその場でお渡ししています。その日に持って帰って飾ってもらうことで、家では今日の写真を囲んで、会話が生まれ、そしてそこにまた笑顔が生まれるんじゃないかなと。またそうやって年に1回くらい家族や友達と撮れるように、できるだけ価格も抑えています。」

家族や友達と過ごす当たり前の日々こそが幸せ。
その幸せを撮影の時間や、撮った写真を通じて実感する。
写真館PHTO SNOWは、新たな写真館の形で、地域の笑顔を生んでいます。


そして、写真館の開業にあたって、中井さんはある人の助けが大きかったと言います。
「故郷とはいえ、20年以上も離れていたので、頼れる知り合いが全然いなかったんです。そんな時にゲストハウス・ハチハウスを経営している菜々ちゃんにばったり出会いました。ほぼ面識はなかったのですが、、話しかけていろいろ相談に乗ってもらったんです。」

宮津市でゲストハウス・ハチハウスを運営されている寺尾菜々さん。
中井さんの相談を受け、オープンまで全面的にバックアップしてくれたそう。
「菜々ちゃんが様々な人を繋いでくれたおかげで、写真館オープン記念の2日間には予想以上のお客さんが足を運んでくださりました。」


こうした『人』との出会いが、中井さんの出発の大きな支えになったようです。

たくさんの地域のチラシや名刺 ここにも地域の魅力がぎゅっと詰まっています

地域の魅力を伝えていく MITEMIの立ち上げ

写真館PHOTO SNOWを開業後、中井さんの中で大きな変化がありました。
「写真館を始めてから色んな人に出会って。宮津って面白いやん!ってなったんです。」

再び帰ってきて、初めて知った宮津の面白さ。
天橋立だけではない豊かな自然、食、そこで生活を営む人の魅力。
この気づきをきっかけとして、中井さんは様々なコトを起こしていくことに。

___あまり知られていない地域の魅力を
初めの取り組みは、『MIYAZU PHOTONICLE』の開催。
『MIYAZU PHOTONICLE』は、まだ知られていない宮津市の生産者や技術者(ローカルヒーロー)を撮影対象として、写真の撮り方を学びながら、同時にローカルヒーローの事を知るフォトスクールです。

「第一回目は宮津湾の漁師にフォーカスしました。宮津湾のなまこ漁は厳格な資源管理をして、継続的な漁が可能になるよう取り組んでいます。品質がよく、ダントツで高値で取引されているのは漁師たちの弛まぬ努力があってこそ。しかし漁師は高齢化が進み、後継者不足という課題があります。」

「そうしたあまり知られていない地域の魅力とその現状を知ってもらいたい。多くの人に興味を持ってもらいたい、そんな想いで、MIYAZU PHOTONICLEを企画しました。」

___地域の人や暮らしの情報を
「自分が宮津に帰ろうと決めた時、ネットには天橋立のことばかりで、地域の情報が少なく、今どんな感じのところになっているのか分からず、正直不安でした。でもいざ帰って、めっちゃ面白い所になってて。この感じが外に伝わってないなんてもったいないと思いました。

Uターン時の実体験をきっかけに、移住希望者に地域の情報を発信するローカルメディアの立ち上げを考えます。

そして宮津への移住促進と地域のシビックプライドの醸成に向けて、MITEIMIの活動全般を持続させていくため、任意団体として始まった活動を法人化、一般社団法人MITEMIを設立します。
法人化にあたっては、同じ気持ちを持つMITEMIメンバーの存在が大きかったといいます。



一般社団法人設立後、事業として地域の情報発信を担うクリエイター人材の育成を目指すスキル講座や、移住定住・地域発信のためのパンフレットや映像制作等のシティープロモーションを展開。

WEB-MITEMIでは、地域の人へのインタビューを通じて、宮津での暮らしの魅力を発信しています。
「WEB-MITEMIは、宮津にいる素敵な人、面白い人たちの暮らしをお話のように読めて、絵本の挿絵のような写真で綴る、そんなクオリティを目指しています。」

地域への想いを胸に、幅広く活動をされています。


(筆者余談:宮津移住が決まった際に、MITEMIさんの記事を発見したんです。様々な方の記事を読むたびに、宮津の魅力がひしひしと伝わり、自分の生活の想像も膨らんできて。早く移住したい!!と、とてもワクワクしたのを覚えています。)

「地域の人が地域を、胸を張って自慢できるように。」

___中井さんはスピード感を持ってコトを起こされているのが印象的ですが、その想いの原動力はどこにあるのでしょうか。
「まずスピード感でいうと、戻ってきて感じた『新鮮さ』や『違和感』が感じられるうちに、行動したいと考えました。3年程経つと、きっと慣れてきてしまうので。」

「そして1番の想いは、宮津の人が宮津をよく言わないのを終わりにしてほしい。」

「宮津の人たちが、外から来た人に、『何でこんなところに来なったん、、』ではなく、『ええところやろ?』と胸を張って話をしてほしい。そして、外へ出た宮津の子どもたちが、外の人に『宮津なんて何もない』ではなく、『宮津はええところ』と胸を張って自慢してほしい。今は、私の子どものころよりもずっとそうなって来てるとは感じていますが

そんな強い想いを胸に、中井さんは日々模索されています。

古民家を改装した、とてもお洒落なMITEMI事務所(※中井さん提供写真)

中井さんから見る宮津市の今 そして新たな出発とは。

____中井さんから見て今の宮津市はどんな風に映っていますか。
「今の自分は無理せず宮津がいいところだなと言うことができています。何が自分をそうさせているのか、明確には分かりませんが、やっぱり宮津は『人』がいいのが大きいかなと思います。宮津では、仕事でもプライベートでも、自分が無理せず『このままの人』でいられる落ち着きがあります。」

「ただ、どこの地域もそうですが、宮津も少子高齢化が加速し、文化的なものの維持が難しくなってきています。宮津は子育てしやすい町ですし、もっと若い世代に増えてほしいと思っています。」

____その上で、今考えている新たに実践したい『コト』はありますか。
「今後も、宮津の足りていない情報を発信していきたいと考えています。また、MITEMIは移住促進に向けて、既に取り組みをしている地域の人たちと関われるようなことができればと思っています。ばらばらでやるのでなく、連携して紹介し合えたりしていけたらなと。そして地域外の人が、宮津に通いたくなるような関係性を作れるポジションになれたらなと思っています。」

中井さんが思う宮津の魅力、『人』。
これまでの経験を活かした情報発信を通じて、地域内と地域外の『人』を繋げる、新たな『コト』が出発しそうです。

最後に、次回指名者をお願いします!!

「次は、五輪堂の小島慶太さんでお願いします!写真館の第1号のお客さんです。彼は、宮津で海外の人との繋がりも多くグローバルな人で、宮津をとても楽しんでいる少年のような方です!」

ということで、次回は五輪堂の小島慶太さんにお話をお伺いします!




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