Vol.1 上宮津で地域の方と共に創り上げる『コト』の発起人
記念すべき1人目は、合同会社カミヤヅラボ代表の寺田俊介さん。
広島県生まれ、大阪育ち。
高校卒業後、野球に専念する日々。
その後、大手企業に就職。
ゴルフショップ店長への転身。
そして2017年、宮津市で地域おこし協力隊としてIターン移住。
翌年10月に起業、合同会社カミヤヅラボの代表に。
カフェ経営、お米販売、農業体験ツアー、ホンモロコの養殖、加工販売等、
上宮津を拠点として、地域の魅力を発信し、地域の方々と共に、まちづくりをされています。
____寺田さんが転身をする中でどのような想いがあったのか。
____そして今なぜ宮津で、『コト』を起こし続けているのか。
寺田さんの『出発』を読み解きます。
野球に打ち込む生活〜大手企業へ就職
「当時は野球に専念する日々でした。」
寺田さんは高校卒業後は野球漬けの生活を送り、有力選手として活躍されていました。しかし23歳で野球生活に区切りを付け、企業就職を決意します。
たまたま新聞折り込みで見つけた、誰もが知る大手企業孫会社の求人広告。
それとなく応募した結果、見事面接が通り、会社員として働くことになりました。
「名が通った『いい会社』で働くということに誇りを持って、楽しい社会人生活を送っていましたね。」
この時はまだ地方移住や地方起業といった発想はなかったそうです。
(面接時の詳細エピソードが寺田さんのNOTEにございます。とても面白いので、是非一読ください↓↓)
福島でのボランティア活動 「もっと地域の中に入っていきたい。」
寺田さんが地方への興味を持ち始めたのは、会社員時代のある出来事がきっかけでした。
「ここが最初の出発かも。」
それは大手企業会社員時代に転勤先の福島県で参加した復興ボランティア。
「当時は本当に過酷な環境でした。」
そんな厳しい環境の中、『ボランティア』という立場に違和感を感じたそうです。
「本気の想いあっても、どうしても『外側からの関わり方』になってしまう。」
「もっと地域の中に入っていきたい。地域のことはやっぱり地域でしかできない。」
ボランティア活動で『外側から地域に関わる』のではなく、
移住をして『地域の中から関わりたい』と想うように。
ボランティア経験を通じて生まれた自分の中の『違和感』が、『移住』の発想へと転換させ、行動の起点となっていったようです。
ゴルフショップ店長に転身 「経営を学ぶため。」
地方移住雑誌『TURNS』を読みながら次第に移住への想いが強くなる中、寺田さんにはもう1つある想いがありました。
「元々会社員時代から、何かの経営者になりたい、社長になりたいと思っていました。ただ当時の会社での出世には限界があった。」
心の内にあった、想いのクロス。
『何かの経営者になりたい』×『移住をして地域の中から関わりたい』
=『地域で事業を起こすこと』を考えました。
「ただ自分は経営のこと、お金のことが全く分からない。何も知識もなしに地域に飛び込むのではなく、学ぶ必要があると思いました。」
そして寺田さんは、経営を学ぶため転職を決意。中でも、店舗経営という職種がよりお金の管理・運営に直接的に携わることができると考え、とある中小企業が経営するゴルフショップ店の店長を務めることに。
「大学での学びはなくても、実践を通じて経営を学ぶことができました。」
店長の経験を通じて、単にお金という側面での経営の学びだけではなく、接客や人材雇用に携わる中で、人との関わり方の学びも大きかったそうです。
寺田さんは店長として、約5年間ゴルフショップの店舗経営をし、売上に貢献しました。
そして経営の知識を学んだ上で、地域おこし協力隊として移住することを決意します。
「地方で農泊をやると上司に伝えた時は、ひたすら否定されました(笑)ありがたいことですけどね。」
なぜ宮津?
____ではなぜ縁もゆかりもない「宮津」を選んだのでしょうか。
「宮津市さんが地域おこし協力隊の説明会を大阪でやられているのに参加して。2回訪問して決めました。」
宮津市の自然風景を魅力に感じ、さらに寺田さんの移住先を決めるポイントとしてあった、
将来的な事も見据え、実家(大阪)の近くであるところ
地域おこしという活動がまだ盛んではないところ
といった条件やタイミングもマッチ。
『ご縁』のようにビビっとくるものがあったようです。
『ヒト・モノ・コト』で宮津の魅力を伝えていく
2017年11月に地域おこし協力隊として宮津に移住。
半年後、今の拠点でもある上宮津地区に移ります。
様々な活動を通じて地域の事を学び、そして、2018年10月に起業します。
「地域おこし協力隊はインプットはできても、アウトプットがなかなかできない。何がやりたいのか地域の人からしても見えづらい。」
「周囲よりも早めに行動を起こしたいと考えていたし、起業をして、自分は本気であることを伝えたかった。」
寺田さんは宮津のお米を農家さんから仕入れ、全国に販売し、その魅力を伝える地域商社として会社を立ち上げます。
そして宮津の美味しいお米を通じて全国の人と繋がっていくように。
「宮津の美味しいお米の魅力が全国の方々に知ってもらうのはとても嬉しい。」
「でも宮津の魅力はお米だけではない。宮津の事をもっと知ってもらう『きっかけ』を作りたい。」
そんな想いから、カフェ『おにぎりとおやつmusubi』をオープンします。
「天橋立は観光スポットではあるが、それだけでは毎年来ようとはなかなか思えない。『天橋立があるから宮津に行こう』ではなく、『僕や宮津のヒトに会いにきた、ついでに海の方も見にいこうか』となってほしい。」
そして寺田さんはカフェを拠点として、『ヒト・モノ・コト』を通じて宮津の魅力の発信をしていきます。
____まずは『ヒト』をきっかけに。
「お米の販売を通じて、宮津のお米のファンになっていただいた全国の方々が、カフェができたことで、私を含め、宮津の人に会いにくるきっかけになる。」
____次は『モノ』の魅力で場のリピートに。
「来ていただいた方達がまた来たい、また食べたい、と思ってもらえるようなお店の雰囲気づくりなど場の魅力化に注力した。」
____そして『コト』と『ヒト』で村全体をフィールドに。
「今後はさらに宿泊体験やe-bike体験、地元の人とBBQといった村全体をフィールドにした『コト』の提供をもっとやっていきたい。その中で、できるだけ宮津の『ヒト』と関わる時間を増やすことが大事だと思う。やっぱり旅の経験で印象に残るのは『ヒト』。宮津の魅力ポイントとして『ヒト』は大きい。」
そして、これまで寺田さんが個人事業主として進めていた社名を法人化。地域の方々にも出資していただき『合同会社カミヤヅラボ』として新しい会社を設立します。
「自治会ではできない事を民間組織という形で、『地域の在り方』を地域の方々と共に考える。そして地域の方々と共に上宮津の産業を守っていきたい。」
地域の方々と深く関わり合い、地域の方々からたくさんの協力を得ながら、共に地域づくりをしていく。
まさに、『地域の内側からの関わり』を体現しています。
都会の『刺激』が原動力に
精力的に活動をする寺田さん。
____事業を始めるにあたって、多くの困難があったと思います。その際に支えになったものや、当時こんな場が欲しかった!などありますか。
「自分にとっては『都会』がある意味支えでした。自分の故郷である大阪や広島は都会で、戻るたびにいい刺激をもらっていました。この新しい刺激を『宮津版に置き換えたらどうなるだろう。』で、考えて行動していました。」
「自分にとっての支えとなった故郷は、自分の子供にとっては宮津になる。そう思うと、まだまだ宮津のまちづくりを頑張らなくては、と行動のモチベーションにもなっています。」
このように都会からうける『刺激』を原動力として行動してきた寺田さん。
そして今後、地域内で起こる『刺激』も重要になっていくようです。
寺田さんから見る宮津市の今 そして新たな出発とは
____寺田さんから見て今の宮津市はどんな風に見えていますか。
「私は宮津ことが大好きだけど、宮津市出身の方にとっては、僕が魅力に感じていることが当たり前の日常で、『宮津は田舎で何もない』という認識でいることが多いように思う。」
____そのうえで新たに実践したい『コト』はありますか。
「意識改革を起こそうとかそういうのは違くて。お互いが考える宮津の魅力を話すことがお互いにとって、とてもいい『刺激』となる。まだまだある宮津の魅力を、共に共有し発掘していきたい。そのための交流の場を創っていきたいです。」
「それと、学生が多様な仕事の選択肢を知る機会が少ないように感じる。『本物』に触れる機会というのかな。多様な働き方を知った上で、ネガティブな感情で宮津に居続けるのではなく、一度市外に出たとしても、ポジティブな感情で宮津を選択してくれたら嬉しい。クロスワークセンターには様々な業種の面白い企業が入居しているので、学生たちにとって、いい『刺激』になると思う。是非宮津の学生たちと交流できる場を創ってほしいです。」
地域の人同士、移住者同士、移住者と地域の人、地域内学生と地域外企業。
そうした相互交流から生まれる『刺激』をキーワードとして、新たな『コト』の創出が出発しそうです。
最後に、次回指名者をお願いします!!
「次は、宮津市役所の橋本学さんでお願いします!私のような地域プレイヤーはありがたいことにフォーカスされやすいけど、市役所内で想いを持って頑張っている人はいるから、是非話を聞いてほしい。」
ということで、次回は宮津市役所 商工観光課の橋本学さんにお話をお伺いします!!