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Vol.2 『コト』を支援する宮津市職員の奮闘

宮津市役所 商工観光課の橋本学さん。

宮津市の里波見という小さな町に生まれ育ち、
大学受験を機に神戸に出て、就職。

一旦は宮津を離れるも、社会人3年を経て里波見にUターン。
現在は宮津市の商工観光課に所属し、創業者支援や新規事業等
精力的に活動をされています。

____どのような想いで宮津を出て、そして再び宮津に戻ってきたのか。

____再び宮津を選択した人の目に、宮津はどう映っているのか。

橋本さんの『出発』を読み解きます。


里波見というまち

「里波見は宮津市の中でも田舎で、とても小さな町です。」

里波見は宮津市の北部、伊根町に続く湾外沿いの道に面した町。
人口は約150人程、多くの住民が兼業して農業に携わっているそうです。

「里波見は住民同士の繋がりがとても濃い地域です。うちの食卓には必ず誰かからもらった野菜などの差し入れが並んでいます。(笑)」

小さな町に築かれた強い『コミュニティ』。
そんな里波見の『コミュニティ』が後の橋本さんの人生の起点となります。

養老公民館イベント(赤いTシャツが橋本さん)

大学時代〜アパレル業界への就職

「何がなんでも出てってやる!」
高校時代は、とにかく町を出たいという想いが強かったそうです。
そして、大学受験をきっかけに神戸へと移り住みます。

その後の就職活動でも、宮津に戻らず、都会にいることを選択。
大学時代にナイキでアルバイトをしていた経験から、
アパレル業界への興味が沸き、大学卒業後、有名ブランド『ヨウジヤマモト』に就職。
1年目は神戸、2年目は大阪で百貨店内の店舗店員として働きます。

田舎でしかできないことがある

「社会人3年目に祖母が亡くなりました。」
橋本さんは祖母のお葬式に出席するため、里波見に帰ります。

「帰ってきて、たくさんの方に声を掛けてもらい、里波見の『コミュニティ』の強さを感じました。都会での生活は隣に住んでいる人と挨拶すらなし、ましてや顔も名前も分からない。けどここに帰れば、みんな何となくお互いの事を知っていて、話ができて、温かい雰囲気がある。」

「この『コミュニティ』って、都会にはない、すごく大事な物なんじゃないかなと感じました。」

また、
「祖母はずっと農業に携わっていて、手が鍬を握った形に変形していました。祖母の生きてきた証がそこに表れていて、、、苦労が形になった手は自分にはないものだとコンプレックスに感じました。」

「都会への憧れから宮津を出た自分を薄いと感じてしまったというか、、。都会で今の仕事を続けることにそれだけの価値があるのか、、分からなくなっていきました。」

___本当に自分がやりたかったことは都会での生活なのか。

___今の仕事は、この『コミュニティ』より大事なのか。

この帰省が、橋本さんの中で、自分が何がしたいのか、何を大事にしたいのか、を改めて考えるきっかけとなりました。

そして橋本さんの葛藤は、
都会or田舎、
もっと言えば、
今の仕事or地元のコミュニティのどちらを大事にしていきたいのか。

橋本さんの出した答えは、
「里波見の『コミュニティ』を大事にしたい。里波見でしか得られないことがあるのではないかと思った。
そして里波見に帰ることを決意しました。


上司に帰ることを伝えた際に、
「土地に縛られて生きるなんてどうかしている。」
と告げられたそうです。しかし、
「今まで人の言うことを受け入れて、流されることが多かったけど、この時初めて、『この人の言っていることは違う』とはっきり思った。言わなかったけど。」

養老公民館のイベント「犀川(さいかわ)生き物探検」で文化部長として指揮

支えとなった『人』

帰ってきた後、まずは仕事探し。
たまたま新聞の折込広告で見つけた宮津市役所の国保年金係のアルバイトに応募。そのまま配属されます。

「もともと人と話すのが好きだし、何より『ありがとう』と言ってもらえる機会が増えたのが嬉しい。」

「とにかく、『人』が自分にとって支えとなりました。結局、何をするかよりも誰とするか。市役所内の人間関係は良好で、仕事が大変な時もそこまで苦に思わなかったです。」

「そして何より、自分がこうして里波見に帰って来ることができたのも、両親を始め、家族が里波見の『コミュニティ』を大切にしてきてくれたから。だからこそ、家族や里波見の住民たちのためにも頑張りたい、という想いがモチベーションにもなっています。」

良くも悪くも『人』との距離が近い。
これは心地良い人もいれば、そうでない人もいる。
それでも、身近に支えてくれる人がいる、温かく迎え入れてくれる人がいることが、誰かの強い原動力になるようです。

考えるのをやめたくない

そして市役所でのアルバイト中、公務員試験を受け社員としてそのまま働くことに。国保年金係、京都府出向、そして約3年前に現在の商工観光課に配属されました。そこで橋本さんは商工係として、創業支援に携わります。

「宮津市の創業支援は、他の市町村と比較しても補助金のハードルが低く、金額は大きく採択されやすくなっています。創業は宮津にとってプラスになるからこそ創業者にとってより良い制度にしていきたい。」

そんな創業者にとって理想の支援体制を、コロナ禍のニーズにも合わせながら、創り上げることに尽力したそうです。

だからこそ橋本さんは今でも過去に支援を受けた創業者の方々からも信頼が厚い。

「考えるのをやめて仕事をする人間になりたくない。」
というとても印象的な一言。

「決まったことを、右から左へと機械的に行うのではなく、試行錯誤しながら新しいものを形にしていくのが好きです。、、とても大変なことも多いですが(笑)」

新しい『何か』が決まった時に、それを『具体』に落とし込む。
その中で、もっとこうできるのではないか、こうした方がいいのではないか、と試行錯誤する。

行政という立場から、コトを形づくる橋本さんの強さが感じられる言葉です。

橋本さんから見る宮津市の今。 『食』をキーワードとした新たな出発。

「宮津には、チェーン店がほとんどありません。ファーストフード店はありますが、食べる習慣はあまりなく、スローフードで一食一食をゆっくり大事に、家族と共にとる。これが宮津の食の魅力でもあると感じます。」

「やはり、宮津=海=魚が美味しい。これは宮津へ来る観光客の誰もが知っている魅力の1つではあるけど、これだけではない。緑も豊かな土地で、小規模ですが多品種の野菜があり、お米も美味しいし、こんなにも『海が近い畑』も珍しい。

そんな宮津の『食文化の価値』や『資源』をどう活かすか。
都市部からどう感じてもらうか。
宮津の『食の魅力』にまだまだ可能性を感じるという。

橋本さん自身も、土日は農業を営み、狩猟活動もされています。
「公務員という立場でモノを考える・言うのではなく、実際に産業に従事し、技術を持つ人たちの立場になって考えるべきだと思っています。」

里波見地区で組織する「たけのこ組合」の皆さんで収獲した大量の筍


そして宮津の『食の魅力』を切り口として、宮津市としても新たな取り組みが行われている。
その一つが、宮津市と学校法人大和学園の連携による、
【美食のまちづくり推進事業】の発足。

本事業は、宮津市観光戦略に基づいて、宮津市が京都府内で唯一の調理師専門学校を運営する学校法人大和学園とその学生が連携し、宮津市内の事業者を巻き込みながら宮津が持つ⾷⽂化の価値や観光資源を磨き上げる取り組みですが、大和学園の学生達が、将来宮津市内で活躍するきっかけ作りも狙っているとのこと。

橋本さんが担当して、事業の運営に尽力。
先月の7/22(金)には、クロスワークセンターでキックオフシンポジウムが行われました。

次は9月1日(木)~3日(土)にホテル&リゾーツ京都宮津さんで、大和学園の学生さんによる学生レストランが開催されるそうです!ぜひお越しください!!!

そんな『食』を切り口とした橋本さんの新たな出発。
今後のイベントにも注目です!

クロスワークセンターへの期待

___橋本さんは、美食のまちづくりや未来天橋塾等のイベント開催を通じてクロスワークセンターをたくさんご利用いただいてますね。(ありがとうございます、、!!)橋本さんは今後このクロスワークセンターがどんな場所であってほしいと思いますか。

「楽しく仕事の話ができる、新しい仕事が見つかったり、企業の面白い情報が知れたり、仕事の相談ができたり。その話の中で新たなビジネスが生まれたり。かつ、移住者や学生を迎え入れやすい環境であってほしいです。」

ビジネス×ビジネス、仕事求人×移住者、企業×学生などが『つながる場所』。
仕事を1つのキーワードとして交流促進を目指します。

最後に、次回指名者お願いします!

「次は、写真館PHOTO SNOW/MITEMIの中井さんでお願いします!彼女は、私が創業支援で関わったうちの1人であり、彼女の技術はもちろんのこと、想いやコンセプトが明確で、とても尊敬しています。」

ということで、次回は写真館PHOTO SNOWと一般社団法人MITEMIの2つの軸で活動されている、中井由紀さんにお話をお伺いします!!


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