再掲② 鎧を着ざるを得ないワケ
過去記事第二弾、前記事の続きです。
4年前の記事なので、現在は書かれている内容のことで
思い悩むようなことはほぼなくなりましたが、
HSP気質に代表されるような、体質や気質などによる
周囲との感覚のズレなどに通じる内容かと思うので再掲してみました。
* * * * * * * * * * * *
<2017年5月31日の記事より>
昨日、自分の皮膚と鎧について書いたことをもう少し突っ込んだ話。
私も、鎧を着たいわけじゃない、当たり前だけど(笑)
ただ、鎧を着ざるをえない理由というのがあって、
そこが最近すごく自分の中で浮き彫りになっているテーマ。
長年、私にとっては大切な皮膚なのにそうは見えない人から、
「あら!それ、鎧じゃない!それ脱いだらラクになるわよ」
とばかりに、皮膚をはがされそうになったり、
「あの人まだ鎧着てるのね、まだ自分を生きれてないのね」
という、”私の事実とは違う”スピリチュアルジャッジの体験ばかり
味わってきて、それがまあ当時は辛かったワケで(笑)。
特に、スピリチュアル的アプローチを体験するようになった
この10数年の間にそれは多く、特に、
「自分らしく生きる」「本来の自分を生きる」
というようなことを意識している人が集まる場では、
私の皮膚は鎧に見える人がほとんどで、
「鎧を脱いだら自分を生きられるようになる体験」をしてきた人たちは
往々にして、
「どうしたら鎧を脱ぐことができるか」とか
「鎧を着ていることを自覚することの大切さ」とかを示してくれる。
時にはアドバイスも(笑)
もちろん、「鎧を脱ぐ」ことそのものの必要性は、
ほんとそのとおりなので、
私もそのこと自体には体験もしてるし深く同意なのだけど、
ただ、私からすると、過去に体験してきたそれらの多くは
大切な私の皮膚をはがそうとするアプローチにしかなりえず、
でもそれも、結果そうなってしまっても仕方ないこともすごくわかるし、
相手が悪いわけではないし、誰が悪いわけでもない、
でも、私自身が自分の皮膚と鎧の関係をちゃんと言葉にできるまで
認識していなかったので説明もできず、
ただそれはもうなにしろ、生き死ににかかわることなので
なんとか皮膚をはがされないようにするために
鎧で守るしかすべはなかった。
でもそんな硬い鎧はそもそも私だって着たくないので、
じゃあ鎧を着ずに済むにはどうすればよいかといえば、手っ取り早いのは、皮膚をはがされそうな人や場から離れることだった。
ただそれは単に、苦肉の策であって、
それが最終的に最善だとは思っていないけど、
最低限まずできることはそれしかなかった。
そう、これはあくまで、過去の私の体験パターンのはなし。
ただここ近年は、
「ひとりひとりほんとにみんな違うよね」
という、個が立つ時代へとシフトしてきたおかげか、
どうやら、
ちょいまちーー、それ、皮膚、皮膚ーーー!(笑)
鎧はこっちっスよーーーー!(笑)
と、笑いのネタにでもしながら、
「本当の自分」ならぬ、「本当の鎧」を脱げるときがきた!
と、肌身で感じていて、静かに期待している。
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