女の人がキレイに見える〈夜目・遠目・笠の内〉が持つ情緒と、それと似て非なる〈グラビアアイドルの修正〉
女の人がキレイに見えるシチュエーション、〈夜目・遠目・笠の内〉の言葉としての魅力について語る。
1 〈夜目・遠目・笠の内〉
女の人がキレイに見える場面がある。古くから言われている〈夜目・遠目・笠の内〉だ。
すなわち、
が女の人がキレイに見えるのだという。
若干失礼な話ではある。夜とか遠くとか笠とか、はっきり顔が見えない時の方がキレイにみえるのだという。
おそらく人間は、その人の顔をはっきり捉えきれない時に、理想的な容貌を脳内で構築してしまうのではないだろうか。ある種の理想を、顔がはっきり見えないことをきっかけに描き出せるのだ。
ポジティブに捉えるならば、普段よりももっと魅力的に見えるということなのだろう。
私は妻のことが好きなのだが、夜や遠くにいるときなどは、彼女のことをより魅力的に捉えられるかもしれない。そう考えるだけで、ちょっと嬉しくなる。
2 グラビアアイドルの修正について
ヤングマガジンなどを見ていると、水着のグラビアアイドルを見ることができる。
おじさんになっても、つい「おっ」となってみてしまう。
さてそのグラビアアイドルだが、フォトショップか何かでいい感じに修正されていることが少なくない。そのことは男児諸賢におかれては十分承知のことであろう。
おそらく淑女諸賢におかれても男性アイドルなどのグラビアにおいて、電磁的な修正が施されていることを見たご経験があるやもしれない。
肌のキメだったり。脚の細さだったり。髪の艶だったり。
なんかわからんけど、修正しているってのはなんとなくわかる。
ぶっちゃけていうと、私は脚フェチの気があるので女性の脚線美に修正が加えられていると恥ずかしながらかなり理解ってしまう。私は修正などしなくともいいのに・・・と思うのだが、修正がなされるということは、修正したほうが良いと考える人が多いのだろうとも思う。
おそらくワキフェチだったらワキに修正入ってたら一発でわかる。あるいは特定のグラビアアイドルのファンであれば、その度にどの程度修正がなされているかわかってしまうだろう。
観察は、電磁的な修正を凌駕するのである。
3 〈夜目・遠目・笠の内〉と〈グラビアアイドルの修正〉と
これら二つを比べると、同じく女性をキレイに見せる状況なのであるが、そこには大きな差異がある。
〈夜目・遠目・笠の内〉は、すぐにそうじゃない状況を想定できる。すなわち、その女性を次の日の明るい時に見たり、近くで見たり、笠を着けていないときに見ることが、簡単にできる。
ところが、グラビアアイドルには滅多に会えない。
修正しているかどうか、しているのであればどこまで修正しているのか、判断がつかない。これはひとえに、参照可能な他の状態がグラビアアイドルにはないからだ。
〈夜目・遠目・笠の内〉の情緒はここにある。〈夜目・遠目・笠の内〉は、そうじゃない状況を容易に作り出せるところに情緒がある。逆にいうと、普段の人付き合いのちょっとした変化で、容易にある人の〈夜目・遠目・笠の内〉を見ることができる。ここに、この言葉の良さがある。
私たちは〈夜目・遠目・笠の内〉とそうじゃない状況とを、たやすく行ったり来たりできる。そして、その女性の魅力をたゆたいながら感じていける。
グラビアアイドルの修正にはそうしたインタラクティブな動きはない。圧倒的な修正した美しさを見せられるだけなのだ。
おわりに 〈夜目・遠目・笠の内〉の魅力
〈夜目・遠目・笠の内〉の言葉としての魅力について語ってきた。その人の普段の姿と、いつもとちょっと違うシチュエーションの姿。この二つを簡単に切り替えられるケースとして、いにしえの人々は〈夜目・遠目・笠の内〉なる概念を構築してきたのではないか。
身近で、いったり戻ったりできる。そんな魅力の気づかせ方。
私は言葉として〈夜目・遠目・笠の内〉が好きだ。それゆえにシチュエーションとしての〈夜目・遠目・笠の内〉ももちろん好きだ。
(まぁグラビアアイドル見るのも好きなんだが、今回のブログではそれはなかったことにしてくれ)
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