クロックマダム

夫、10代の息子2人と暮らしています。 犬、メダカとバラのお世話が日課。 バラの葉っぱ…

クロックマダム

夫、10代の息子2人と暮らしています。 犬、メダカとバラのお世話が日課。 バラの葉っぱに付いた小虫を睡蓮鉢に投げ入れて、メダカが喰い付くと喜びます。

最近の記事

ともかくも GOHOBIメロン フラペチーノ

精神分析的セラピーを受ける中で、反省の多かった子育てについて、振り返っています。 セラピスト曰く、私が「自己否定に注いでいる多くのエネルギー」を、もっと基礎代謝に回したい…! 実家や義理の親との関わりが多かった、結婚から出産の時期にさかのぼります。 手助けは有りがたかったものの、当時すでに30代半ばで自活していた私にとって、親の言動は受け入れ難いものもありました。 この期に及んで「親戚にどう思われるか」が何よりも大切な母から、私は全否定されたように感じました。 今だ

    • 夢をすて 望みもすてて 星涼し

      半年間に及んだセラピーの目的は、私の凝り固まった思考パターンを解きほぐして、望みたいことを望めるようになることです。 セラピストの分析によれば、真面目で遊びのなかった私の母はセロトニンが不足していたと考えられるため、私が生まれたのはワクワクからほど遠い環境だったのではということでした。 かわいそう!と言われても、私としてはそれが普通でしたし、特別悪い環境とも思っていませんでしたが、そう言われてみるとかなり残念だったかも。 何かをやりたい!という気持ちは誰にもあります。

      • お花畑 わたしはだぁれ? ここはどこ?

        ロンドンに住む高齢の父親とその娘の物語、映画「ファーザー (The Father '20年)」を観ました。 アンソニー・ホプキンスが2度目のアカデミー主演男優賞に輝き、またアカデミー脚色賞も受賞した本作の素晴らしさは私が語るまでもないので、ストーリーのほんの一部を紹介しながら個人的な感想を述べたいと思います。 父親のアンソニーは81歳で認知症を患っており、自分のこともよく分からなくなるほどで、娘のアンの世話になっています。 アンは嫌がる父親を施設に預け、パリで恋人と新生

        • 心残り 水に流して 御祓(みそぎ)かな

          昨年秋から春にかけ、精神分析的セラピーを受けました。様々な発見や癒しがありましたが、ここ数年で最も気力が落ちていた時期でもありました。 「私がやらなければ…!」と思い込んでいたことを全てやめたら「最低限の家事をするのがやっと。ほかはダラダラするしかない」という状態に甘んじた私。 これはこれで、なかなかキツいのです。健全な気力が湧いて来ないのですから。 「マダムは自己否定にエネルギーの40%を使ってる」 よ、よんじゅう…そんなに。そりゃ無気力にもなるわ。 「基礎代謝に8

        ともかくも GOHOBIメロン フラペチーノ

          アドレナリン 百合 蓮の花 ドーパミン

          先ごろ告示された都知事選の立候補者が56人とか。各々動機も意図も様々のようですが、暑い夏の選挙活動を乗り切るだけのエネルギーたるや、相当のアドレナリンだの、ドーパミンだのが出ているのかなぁ…そんなことを思いました。 私に限っての話、と前置きしますが「自分は特別」「誰かの役に立っていると思いたい」そんな動機だけで動いていたらしいのです。 なるほど、そう言われてみればそうかもしれない。そうなると途端に動けなくなり、最低限の家事以外はダラダラするしかなくなってしまいました。

          アドレナリン 百合 蓮の花 ドーパミン

          梅雨入りや 今度の部下は モンスター

          去年の秋から半年ほど、家族で精神分析的なセラピーを受けに富士山麓に通いました。セラピストとは旧知の仲、今回は先方の誘いから始まりました。 さて、セラピーを受けて頭で理解したことは、実生活で体験を積む必要があります。 目下の課題は外資系メーカーに務める夫の、中途入社したばかりの部下(アラフィフ女性)への対応です。 部下の方には入社直後に社内関係者との面談を複数回 行ったのですが、面談に応じた誰もが、 「あんなサイコパスとは、とても一緒に仕事できません。どうしても関わる必

          梅雨入りや 今度の部下は モンスター

          夏至今日と 思ひつつnote 開きけり

          約1年ぶりのnoteです。気分も新たにできる限り更新していきたいです。 さて、春に83歳で亡くなった母は、高度成長期に家庭を支えた いわゆる普通の主婦で、真面目な人だったと思います。 見方を変えると、がんばって生きることに精一杯で、楽しむということがほとんどない人でした。 父親(私の祖父)を早くに亡くした母の生い立ちが、生き方に大きく影響していたのかもしれません。 母の若い頃とは時代も大きく変わり、私は多くの選択肢の中から自分で未来を選び取って、自由を謳歌したつもりで

          夏至今日と 思ひつつnote 開きけり