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夏至今日と 思ひつつnote 開きけり
約1年ぶりのnoteです。気分も新たにできる限り更新していきたいです。
お休みしている間、家族で精神分析的なセラピーを受けていました。秋から春にかけ富士山麓へ通う中で身内との別れも経て、得たことを少しずつ記しながら自己セラピーを継続したいと思っています。
さて、春に83歳で亡くなった母は、高度成長期に家庭を支えた いわゆる普通の主婦で、真面目な人だったと思います。
見方を変えると、がんばって生きることに精一杯で、楽しむということがほとんどない人でした。
父親(私の祖父)を早くに亡くした母の生い立ちが、生き方に大きく影響していたのかもしれません。
母の若い頃とは時代も大きく変わり、私は多くの選択肢の中から自分で未来を選び取って、自由を謳歌したつもりでした。
けれどワクワクするようなとき、大きな決断をするとき、遠く離れた実家の母の顔が浮かぶことがありました。
翔びたい衝動と裏腹に強烈に足を引っ張られる感じ。罪悪感さえ抱くのは何故なのか、自分でも理解できませんでした。
そもそも私は母とは、全く違うタイプの人間です。就職先、海外留学、結婚相手…どれをとっても母の喜ぶ選択ではありませんでした。
好き勝手してきたつもりが、いつしか我慢強い母と同じように家族の世話を焼き、自分のことは後回しにするのが当たり前の生活を何年も続けていました。
気がつけば自分が何がしたいのか、何が好きなのか、よく分からなくなっているのです。
もちろん結婚前から趣味や旅行、友達付き合いなど「これが好き、楽しい」と言えることはいろいろあり、時間が足りないと感じるほどでした。
今ではこれらを完全に封印して5年経ちます。10年ほど前から「私の幸せとは何か」を探るうちに、心から好きでやっていたわけではなかったことが判明したからです。
それらは「〇〇をやっている/知っている私は特別」というように、私の自己価値を高めるためのツールに過ぎませんでした。
楽しんでいたつもりなのですから、にわかには信じられないことです。けれど自分を偽っている限り、本当の幸せにはたどり着かないことも今は理解しています。
何もしないでいる自分でも価値があるとは、なかなか思えなくて この5年間は精神的飢餓感でいっぱいでした。
家族のために頭を悩ますことで気を紛らわしてもいましたが、彼らに何も問題がなくなると途端に飢えることも発見しました。
今の世の中、手っ取り早く飢えを満たす方法は他にいくらでもありますが、簡単に満たすことはしないで、自己価値の問題解決に向かっていきます。
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