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結局好きなことは無意識に続く。

noteの毎日投稿をやめる宣言をして11日目になる。

が、しかし未だに毎日投稿を続けてしまってる自分がいる。

おかしな話だ。

毎日投稿すると義務感出ちゃうからやめよっと。

そう思っていたにもかかわらず、今もなお続けているのだ。



❐好きなことは無意識にでも続けてしまう

無意識に毎日投稿を続けていると自分は心底文章を書くのが好きなんだなと実感する。

特にエッセイとかそういう自分の頭の中だけの情報で完結する文章を書きたがる。

情報をかき集めることに躍起にならなくてすむし、自分の文章表現に集中できるからだ。

もちろん情報発信の記事は自分のためにもなるし、知らないことを深く知れて面白いと思うのだが正直なところ情報を集めるのはかなり疲れる。

記事を書くためにせっせと集めるのが大変だ。


エッセイなら打って変わっていくらでも書ける。

あまり書きすぎると質が落ちて自己嫌悪に陥るのだが、まあ結論楽しい。

書き終わると心が洗われ、同時に満たされる。

言いたいことを言ってやったぞ、という感じにである。



❐続かないからといって嫌いとは限らない

じゃあ続かないこと、あるいは意識的に取り組まなければ続かないことは好きじゃないのかというと、そうでもない。

好きだけど毎日やるほどじゃないようなことを毎日やると苦痛に感じる。

要するに好きの度合いが違うのである。

無意識に毎日続くようなことは相当好きレベルが高いに違いない。



❐無意識に継続できることがあるということ

無意識に継続できるか否かは自分の「好き」を探し出す指標となる。

また無意識に継続できることが明確に自分の中にあればそれは自信となる。

指針と自信。

韻を踏んでいるが、これは偶然だ。

自信とは自分を理解することでも得られると思う。

もちろん実力をつけたり結果を出すのもいいが、自分を知ることも自信を獲得する一つの手段だ。

「自分はこれが一番好きなんだよ」と人前で胸を張れるならそれは大きな自信になるに違いない。

なぜなら自分の好きを自分自身が理解しているからだ。

無意識に継続できることがあるなら人は誇るべきなのである。





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