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『明日の子供たち』 感想。

児童養護施設の存在をありありと感じた。

この本が書かれた経緯と本の内容に対して強い感動を覚える。

初めにいっておくがこれは事実を基にした小説である。

概要をさらっと書いていこう。



❐概要

物語の舞台は「あしたの家」という児童養護施設である。

育児放棄や虐待で、快適な生活が脅かされた子供たちが集まり共同生活をしている施設のことだ。

話をざっくりと説明すると、その「あしたの家」に転職してきた三田村慎平が職員として成長しながら、施設や子供たちにふりかかる困難を乗り越えていくというストーリーだ。

だが、この本の本当の目的は児童養護施設とはどういう環境で、そこで暮らす児童はどう感じているのかということを読者に伝えることにあると思う。

先ほど、この物語はノンフィクションだといったが、そのことは本書終盤にある解説を読むと分かる。

解説にはある学生がこの小説の作者(有川)あてに書いた嘆願書についての詳細が書かれている。

内容は児童養護施設に関する小説をかいてほしいというものだ。

施設のことをもっと多くの人に知ってほしいという思いがあったらしい。

つまり、この小説は実際に児童養護施設で暮らしていた学生のお願いのもと作られた作品なのである。



❐感想


○哀れみは他者を傷つける

多くの人は児童養護施設で暮らす子供たちを憐れむかもしれない。

僕だってそうだ。実の親に十分な愛情を注がれない子供はかわいそうだよなあ、と嘆くだろう。

しかし、その哀れみは施設で暮らす子供たちを苦しめるし、反発も生みかねない。

確かに中には施設で暮らすことを負い目に感じる子供たちもいるかもしれない。

しかし、同時に児童養護施設での暮らしが幸せだと感じている子がいることを忘れてはいけない。

そういう子にかわいそうだ、なんて言葉を浴びせればその子の幸せや境遇、はたまた存在を否定することにならないだろうか。

惨めな思いをさせかねないのだ。

これは親のいない子に限った話ではない。

何か不遇な状況に陥った相手を、その人の思いを無視して憐れむという行為は一般的に偽善である。相手を傷つけてしまう。


自分の価値観で憐憫を押し付けるのではなく、しっかりと相手の状況を把握して接しなければ相手に失礼だと思う。



○児童養護施設の環境

職員がしっかりしていれば、特に問題はないように思える。

親代わりとまではいかないが職員は学生の悩み、学業、進路など多方面にわたって気を配っているように思えた。


強いて問題を上げるなら、施設の資金面と職員の人手不足である。

「あしたの家」ではおこずかいや洋服の資金などが個々に分配されていたが、贅沢ができるような金額ではないように思う。

進路に関しては、親の支えがない子供たちにとって大学の学費を支払うことが難しいケースが多いため、高校卒業後は就職を勧められることが多いらしい。

職員は雑用から子供の精神的なケアまで幅広い仕事をこなさなければならずかなりのハードワークであるようだ。

加えて薄給でもあるらしい。


高校卒業後は施設からも同時に卒業しなければならず、卒業後に頼るあてがない子供たちは金銭的に困窮し路頭に迷うことも少なくない。

そういう状況の中で本書の後半で出てくる「日だまり」という施設の存在は大きいと思う。

「日だまり」とは、施設の当事者、つまりは施設に居た経験がある子供たちならば施設卒業後であっても自由に寝泊まりできる場所のことである。

子供たちの心の拠り所だ。なくしてはならない。



○子供たちに思うこと

施設での生活は荒廃した家庭環境に比べれば快適なものだと思う。

しかし、進路の可能性が一般の家庭の子に比べて狭まるのは大きなハンデだ。

お金の支えがないのだから、慎重に将来を考え抜いた末に大学へ進学するかどうか決断しなければならねい。

考え抜いたとしても学費が高ければ進学を断念せざるを得ない場合もある。

とても不公平だと思う一方で、そうした過酷さを自覚し自分の将来のビジョンを明確に描こうとする子供たちの意識の高さには頭が上がらない。

高校入学初期からこんなにも難しいことを考えているのだ。

自分が高校生の時なんか遊びと受験のことだけを考えていて、将来の仕事なんかは全く眼中になかった。

未来を洞察する力は施設の子供たちに及ばない。見習うべきだ。


そして純粋に施設の子供たち各々が幸せだと思う人生を歩んでほしいと願う。

これは偽善かもしれないが、いつかこういったハンデを背負う子供たちの役にたてるような活動に関わりたいと密かに思う。

あいかわらず流されやすい。


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