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初めて読んだ「ムー」がきっかけで見た怖い夢

初めて読んだ「ムー」がきっかけで見た怖い夢

高校一年生くらいの時だったと思う。
多分、住んでいたマンションの、
ゴミ捨て場で拾ったんだったと思うのだが、
オカルト雑誌の「ムー」を初めて読んで、
そこにあった二つの記事を合わせたような内容の夢を見た。

ひとつめは、河原で見つけた仏壇を家に持って帰ったら、
そこから狸の霊のようなものが出て来たという、
読者からの投稿コーナーの記事で、
もうひとつは般若心経の文言を紹介する記事だった。

その時に僕が見た夢というのはこのようなものだ。

夢の中で僕は自分の部屋で寝ているのだが、
当時はマンションの9階に住んでいて、
その近所の道路の上の、
地上1メートルくらいの高さの所を、
直径3センチくらいの、
銀色の金属の球のようなものが、
宙に浮いた状態でゆっくりと移動して、
僕の家に近づいて来ているのがわかる。

マンションの駐車場を横切り、
内階段をのぼるようにして、
だんだん9階まで上がってきているのだ。

その金属の球は、実は狸が化けたもので、
なぜかわからないけど、僕の所に向かっている、
そしてそれは僕に対して悪意を持っているのだ。

ついに球は9階まで到達し、
うちの玄関を通り過ぎて僕の部屋まで入ってきた。
僕はなんとか阻止しようとして、
般若心経の一節を唱えるのだが、
「色即是空、空即是色」と言わなければならないところを、
間違って「シキソクゼクウ、クウソクゼクウ」と言ってしまう。

そしてそう言った途端、
「しまった、言葉を間違えた、
これではお経が効かない」と思うのである。

僕は自分で発した、
「シキソクゼクウ、クウソクゼクウ」
という声を聞いて目が覚めた。

夢はここまでであるが、
目が覚めた僕はもの凄い恐怖を感じていた。
もう30年以上も前のことである。
その時はただ怖かっただけで、
そんなに深くも考えなかったのだが、
数日前にふとこの夢のことを思い出した。

よく考えたらこの夢には不思議なことが多い。

まず、なんで狸がそんなに怖かったのか、
狸なんてむしろユーモラスな動物なのに。
そして、なぜ雑誌で一回見ただけの般若心経の一節を、
夢の中で読んでしまうほどに覚えていたのか、
しかも間違いに気付くくらいに覚えていたのか。

なぜ般若心経を読めば狸を追い払えると思ったのか、
そしてなぜ文言を間違えたら効き目がないと思ったのか、
そのようなことは「ムー」には書いてなかったはずだ。
そもそも狸の話と般若心経の話は別の記事だったのだから。

僕の父は過剰なまでの無神論者で、
母は盲目的なほど敬虔なクリスチャンなので、
日常生活でお経に触れることはほとんどなかったし、
狸は人を化かす、という話があることは知っていても
狸はお経で追い払える、
文言を間違えたらお経は効かない、
などという知識はまったくなかったはずである。

しかも、「色即是空、空即是色」といえば、
わずか二百数十文字の般若心経の教えを、
更に凝縮したような、肝の一節のひとつであるのだが、
一度読んだだけでそんな意味を理解できるわけもなく、
実は元々知っていたのではないか、だからこそ、
文言の間違えもすぐに指摘できたのではないか、
と解釈したほうが、自然なように思えてきた。

この夢を見てから10年以上経って、
僕は前世で修行僧だったと教えてもらった。
しかも1000年以上前にチベット密教の修行僧だったらしく、
密教といえば、呪文とか、念力とか、
ややこしいことと関りの深い世界のようなのである。

何かの念によって、狸が金属の球に化けて、
災いをもたらしに僕の家までやってくる、
お経でそれを阻止できるが、文言を間違えたから効き目がない、
というようなストーリーなのだろうか?

夢が何かのメッセージだったとしても、30年以上も経ってから、
その夢に隠されたメッセージに気付く、しかもそのメッセージは、
1000年以上前に起きたことに関りがあるらしい、
なんていうこともあるのだろうか?

不思議だけど面白い。

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