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阿蘇について思う

これは8年前(2016年)に書いた文章です。

阿蘇のこと

昨日ちょっとした用事があって阿蘇の方へ行った。
用事というのは、奥さんの実家で飼っていた、
16歳のマルチーズが亡くなり、
ペット専門の火葬業者に火葬を依頼していたのだが、
そのお骨を引き取りに行ったのである。

うちの最寄りの高速インターは
益城熊本空港インターというところで、
火葬場はそのインターの少し先にあった。

うちのある熊本市南区から、車で30分くらいのところにある、
そのインターを越えると益城町があって、
その先に阿蘇があるのだ。

今回の熊本地震で酷い被害を受けた地域である。

インターに向かって走っていると、
だんだん阿蘇の山並みが見えてくる。
いつものように広大な景色である。

最後に阿蘇の近くまで行ったのは、
数年前に初詣で阿蘇神社に行った時だ。
その時はお義父さんと一緒だった。

そのお義父さんが亡くなり、
地震があって、阿蘇神社が倒壊し、
おばあちゃんが亡くなり、
そして愛犬のモモまで亡くなった。

わずか一年ほどの間に激動の変化であった。
よりによってそんな時期に熊本に行くことになろうとは。

阿蘇にはちょっとした思い出というか因縁がある。
初めて阿蘇に行ったのは、
福岡で中学生だった時、遠足で行った。

その時に見た噴火口のあたりが、
なぜか強烈に印象に残った。
ここは人間が来ちゃいけない所だと思った。

それから約10年後、
大学5年生だった僕は、
卒業論文で「人間失格論」を書いていた。

福岡県春日市の実家を出て、
福岡市城南区のアパートで一人暮らしをしており、
家賃や生活費は、中華料理の出前をして、
自分で払っていた。

留年していたので、卒業論文以外にも、
たくさん取らなければならない単位があり、
アルバイトにも行かなければならず、
徹夜に近い状態が何日か続いていた。

ある日、気絶に近いような状態で、
こたつに突っ伏したまま寝ていて、
その時に夢を見た。

僕は阿蘇の噴火口に立っていた。
「芥川龍之介も、太宰治も、坂口安吾も、
文学をやっている人は、
みんなこの火口に飛び込んでいるんだぞ、
お前は飛び込めるか?」という声がどこからか聞こえた。

僕は躊躇した。躊躇して飛び込まなかった。
目が覚めたあとも、
その夢のことを考えていた。

卒業論文は原稿用紙50枚くらい書けばよかったが、
その時点で僕はすでに200枚以上書いており、
僕の構想では500枚を越えそうな内容だった。

このまま阿蘇山の噴火口に飛び込んで、
文学を続けるのか、
ここで振り返って山を下りるのか、
進んでも戻っても地獄が待っているのだろうと思った。

僕の頭は朦朧としていたが、
それでも悩んで考えて、
僕は山を下りることにした。

そして僕は論文を未完のまま提出した。
それから20数年、僕は、
活字で書かれた本をほとんど読んでいない。

「人間失格」の中に、
「飲み残した一杯のアブサン」という言葉がある。
アブサンというのは強いリキュールのことである。

画家を目指しながら、
マンガ家にしかなれなかった、
人間失格の主人公、大庭葉蔵が、
その焦燥感を表すために使った言葉である。

僕は文学の研究をやめ、
映像ディレクターになった。
別に文学の方が格が高いとは思っていない。
ただ、文学を続けるためには、
あの時、阿蘇の噴火口に
飛び込まなければならなかったのだ。

なぜ僕にとってのその象徴が、
阿蘇だったのだろうか、
理由はわからないが、
その後20年以上かけて、
僕は阿蘇の近くに住むようになり、
そのあたりに溜まっていたものが、
ついに大地を揺さぶって、
地面に亀裂が入り、
そこから無色透明で、
無味無臭な何かが、
あの日からずっと噴き出し続けている。
それだけは確実にそうなのだ。

この文章を書いた時からでさえ
もう8年経っている。
この阿蘇の夢を見た時からなら
すでに30年くらい経っている。
つい数年前、啓示のようなもので、
何人かいらっしゃる僕の守護霊さんのひとりには、
元は夏目漱石さんだった方がいらっしゃるらしいと知った。
もしかしたらあの時、「阿蘇に飛び込めるのか?」と聞いたのは、
その守護霊さんだったのかもしれないと今は思っている。



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