「熊本には発展しない呪いがかかっている」のか?
これは3年ほど前、うちの奥さんが言い出した「説」です。
僕もこの「説」には非常に共感しています。
実際に数年住んでみなければ実感できないのですが、
熊本の街やそこで暮らしている人はどこか変です。
たんに田舎だからというのではなく、
何か明確な意図のようなものがあって、
あえて「変」なふうに整えられているのではと感じます。
戦国時代とか、江戸時代とか、
もしかしたらもっと前の石器時代くらいからか、
風水師とか、陰陽師とか、
もしかしたら宇宙人がやったことなのか、
何かの儀式や装置によって、
二重、三重に張られた、
結界のようなものが存在しているように感じます。
その結界が作り出した、プラーナ(大地の気?)のようなものが、
エヴァンゲリオンのLCLのように、
熊本中を満たしていて、
熊本に生まれ育った人は、
知らず知らずのうちにその空気を
「当たり前のもの」として生きるようになり、
結果、よその土地の人間から見たら、
「保守的」で「排他的」という、
独特の熊本気質が生じているのだろうと思います。
そういう気質のことを「肥後もっこす」と呼んでいるのかもしれません。
たとえば表示している写真は、
今僕が働いている郵便局の出入口に貼られている張り紙です。
この、熊本の街で時々見かける「あとぜき」という張り紙。
これは「出入りした扉は閉めましょう」
というような意味です。熊本の人は、
「あとぜき」という言葉が、
他の地域の人には通じないということを知りません。
熊本で生まれて熊本で育っていて、
誰もが「あとぜき」と言えば通じると思い込んでしまっているのです。
だから何の注釈もなく、このような張り紙が貼られています。