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ラーメンにおけるネギの話| 一介のトッピングを超えた魅力

近ごろ、ラーメンにおけるネギの重要性、ほかの具と見比べた際の特異性を感じている。
すぐに食べるか、後で食べるかで食感が変わるのがいい。これは海苔やチャーシュー、ほうれん草なんかには見られない特徴である。もちろん味玉やメンマにも。

新宿区にある四ツ谷駅前・横浜らーめん龍馬の特製ラーメン。九条ネギがこれでもかと乗せられている

何が他と違うのか

「食感を買われてラーメンに乗っている物」界におけるネギの好敵手として、もやしを挙げよう。見た目も食感もなんか野菜っぽいし。しかし、ぼくはもやしはネギに勝てないと思う。なぜか。多くの場合、もやしは茹でるなどして加熱された状態でラーメンの上、それも中央に鎮座している。あらかじめ人の手が加わっているのだ。味噌ラーメンなんかは、食感重視のためか固めの状態を保っているが、ぼくの好きな二郎系に入っているもやしはたいていクタクタである。そこがまた器の威圧感を増すのを助けていると感じる。

部屋の中にたくさんの服が落ちているのを想像してほしい。たとえ同じ数だけの服が落ちていても、それらが畳まれている場合と脱ぎ捨ててある場合では、パッと見た時の「散らかってる感」が違う。どちらも「床に服が落ちている」ことには変わりないのに。

器の中央に曲線(クタクタのもやし)がたくさんある。そうした見た目のボリューム感を出すことにもやしは長けている

言わずとしれた、ラーメン二郎三田本店。この曲線の多さが、きっと威圧感を演出しているんだ。このもやしが全てピシッとしたのを想像してほしい。ちょっと印象が変わってくるはずだ。


しかしネギはどうだ。見た目の演出に使われることはあまりない。ほとんどの場合、店内では刻まれただけの状態で保管され、盛りつけの際はほかの具と比べて多少雑に器に放り込まれる。形こそ店ごとに変われど、ほとんどの場合、あまり人の手が加わっていないのだ。そこから、器の中でスープや麺と出会い、自らの形や食感を時間とともに変えていく。客の回転率が命のラーメン屋では、あまり長居できないことが多い。そんな短い「ラーメンを食べている時間」にも、変化を感じることができる。それがネギという具なのだ


食べながら感じられる「自然状態からの変化」

ラーメンの中の変化なら、麺はのびるし、海苔はスープに沈めたら柔らかくなるだろうという反論があるかもしれない。確かに麺は放っておくとのびてしまう。しかし、そんなになるまで時間をかけてラーメンを食べることはあまりないだろう。海苔はたしかにわかりやすく変化する。しかしその時間があまりに短いため、変化の過程そのものを楽しむことはできないのだ。ネギならば、短時間で、なおかつ人の手が加わっていない自然状態からの変化を存分に楽しめる

極太麺とでっかい肉で有名な麺屋武蔵(写真は新宿店)。濃厚なスープの上には青々としたネギが浮かぶ。つけ麺においてもネギは重要なアクセントなのだ。


また、体にあんまりよろしくない食べ物の代表格であるラーメンを食べているのに、体にいいとは知っていながらもなんかめんどくさくてあまり食べることの少ない、ネギという野菜を摂取している優越感みたいなものが気持ちいいのもある。

台湾まぜそば発祥の麺屋はなび。ラーメンやつけ麺、他のまぜそばなどと違いニラとネギが大量に乗っているのが特徴だ。しっかりメインキャラクターである。


おわりに

ぼくは深夜に考えたことをiPhoneのメモ帳のところに書き溜める習性がある。それは箇条書きのときもあれば、1文の時もある。しかし今回は長文だった。夜中にパソコンを開き、えっちなサイトを見ていたところ、究極ラーメン「横濱家」で食べたねぎラーメンが美味しかったことを思い出した。

ラーメンの好きなトッピングといえば「家系ラーメンに浮かぶほうれん草」だったぼくが、なぜお店でわざわざねぎラーメンを注文したのか。それを考え出したら、目の前の画面に広がるえっちな光景そっちのけでカメラロールのラーメンの写真を見返し、メモ帳に言葉を書き殴っていた。最近新生活に向けての準備が忙しかったのでnote更新が滞っていたが、それを打破するためにも、引越し用の段ボールに囲まれた布団の中から勢いでこれを投稿する。

ローソンが出している、家系ラーメン総本山・吉村家のラーメン。気軽に食べられるし、美味しい。美味しいのだが、この時どうしても「コレジャナイ感」が拭えなかった。その理由がわかった。ネギがないからだ。今度は刻みネギを大量に作ってこれを買いに行こう。


ラーメン以外にも投稿してるぼくのInstagram、よければフォローしてみてください。

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