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君の顔は菊の花

お題:昨日まで普通に教室で昼食を食べていた友達の机に菊の花が置かれている
親友の事故死表現あり
苦手な方は閲覧をお控え願います。


 昨日、一緒にお昼を食べていた親友が死んだ。私は、その親友の顔が分からない。
 声も、背格好も、好んで来ていた服装も思い出せるのに顔だけが分からない。親友の顔だけが分からない。
 親友の顔だけが菊の花に置き換わって見えてしまう。

 いつも通りの朝だった。少し早く学校に行って終わってない宿題を片付けようと思っていた。
 教室に入ると先に3人いた。それぞれ下を向いて勉強してるから挨拶はせずに席に着く。よく話す子にだけ軽く声を掛けて、それで終わり。気軽におしゃべりするような雰囲気になるのはもう少し人が集まってから。
 重たいバックを床に下して、終わってない宿題とノート、教科書を出す。分からない所はもう時間もないし赤ペンで解答を書き写せばいい。
 そう思って、筆箱から赤ペンを取り出す。この書き写すだけの作業に意味があるんだろうかと思ってしまう。まぁ、琴音が来てから適当に話ながらやれば気もまぎれるだろう。
 3問目の書き写しが終わった時、担任の先生が教室に入ってきた。いつもは黒板のチョークの数を確認したり、掲示物の入れ替えをして職員室に戻る。滞在時間は短くて2分。長くて5分。早い時間だからか先生は来てる人を確認しないから気楽なものだ。
すぐいなくなるのを分かってるからみんな先生に適当に挨拶して、それぞれの作業に戻るのが常だ。
 今日もいつもの通りに挨拶をして書き写し作業に戻ろうとした。そしたら先生が慌てた様子で私の隣に来る。
「渡瀬、少し話がある。教室だとあれだから進路指導室に来てくれないか」
 なにがどうあれなのか、いつもならおちゃらけた感じで訊いていたけど、先生の目がいつもより真剣だった。おちゃらけちゃいけないというのは分かったから、素直についていく。
 口だけで、なに?なに? と訊いてくる友達に、両手を上げて分からないことを伝える。
 先生の後ろを歩きながら、教室に戻ったら質問攻めになるんだろうなぁ、面倒だなぁと思う。進路指導室だったら、大体進路希望とかの話だろう。
 まだ2、3回しか入ったことのない進路指導室は古い紙の臭いで満ちている。先生は私に座るように言って、自身は窓を少し開けた。少しひんやりした風が部屋に入ってくる。
 窓の近くにいる先生の隣にある棚には、各大学の入試過去問集が年度別にずらっと並んでいる。進路希望に書いた私立大の名前を探して、赤い背表紙と青い背表紙を行ったり来たり目を動かした。
そうしている内に先生が、机を挟んだ向かい側に座る。口を開けたり、閉じたりを何度が繰り返して、深呼吸をしている。
「きっと取り乱すだろうと思って場所を変えたんだ。渡瀬、どうか落ち着いて聞いてくれ。 佐久間が事故で死んだ」
 は? 何言ってるんだ、先生は。
「部活帰りに車に撥ねられたんだ。 見通しが悪い道で出合い頭に撥ねられたようだと警察が言っていた。 相手の車がかなりスピードが出ていたみたいで、ほぼ即死だろうとのことだ」
 琴音が死んだ? そんなのあるわけない、だって琴音はいつも同じ道を通ってるんだ。危険な場所位分かってるはずだ。
「佐久間は死んでしまったんだよ、渡瀬」
 先生のその言葉で、ぼろぼろと涙がこぼれだした。なんで、なんでと言いたいのに口が動かない。酸素が足りない。喉がひどい音を立てる。
 ティッシュの箱を私の前に引き寄せて、先生は静かに席を立った。
「落ち着いたら、一度職員室に寄ってくれ。今日は無理して教室にいなくても良いから」
 ぼたぼたと落ちる涙でスカートの色が変わっていく。そんなことも気にしていられなかった。
 目が腫れるとは、宿題が終わってないとか、そんなことはもうどうでも良くて、ただただ悲しかった。苦しかった。寂しかった。
 もう会えないことを信じたくなかった。

 佐久間 琴音は、私の親友だ。中学1年の時に同じクラスになって出会ったけど、気が合って、一緒にいて楽だった。
 少ないお小遣いを持って、二人であちこち行った。来週末にも映画に行こうと約束してたし、夏休みには二人で旅行に行こうと話をしていた。
 琴音は真面目で、努力家で、好き嫌いがはっきりしていた。書道部でよくジャージを墨汁で汚していた。それから、それから
 当たり前のようにやろうとしていたこと、過去に二人でやったことを思い出せるのに、琴音がもういないという事実を受け入れられなかった。
 ただ、悲しかった。

 結局、その日は教室に戻れずに早退した。荷物を取りに教室の近くまでは行ったけれどどうしても教室に入りたくなかった。
 教室ドアのガラスから琴音の机の上に黄色い菊が供えられているのを見てしまったから。私には、まだ何かを供えることは出来なかった。何かを供えられる程、琴音の死を受け入れることは出来なかったから。
 早く学校から帰ってきた私を親は何も言わず、ご飯だけは食べなさいね、とだけ言ってそっとしておいてくれた。
 その後は、ただ眠った。泣くと体力を使うらしい。ひたすらに体が重たくって、鉛を体に括り付けたらこんな感じなのかもしれないと思って、そのまま眠った。
 控えめなノックの音で目が覚める。時計を見ると夜の7時だ。スマホの画面を付けて目を疑った。琴音の顔が見えなかった。
 琴音の顔は全て、菊の花に置き換えられていた。


 検視や手続きの関係から琴音の葬儀が執り行われるのは、琴音が死んでから2日後の事になった。
 お母さん経由で教えられた琴音の葬儀の時間は、普通に学校はあったけど、休んで葬儀に行くことにしていた。
 きっと学校に行ったとしても、どうせ集中できないし、保健室のベッドに横になっているのだから、学校に行っても行かなくても変わらない。
 お母さんもお父さんも学校を休むことに関しては何も言わなかった。
 葬儀会場に到着するまでの間、琴音の顔を思い出そうとひたすら写真を見ていた。
 声はすぐに思い出せる。メッセージだって琴音の声で読まれているように感じることだってできるのに、顔だけが菊の花のままだった。
 本当はすぐに親や保健室の先生に相談するつもりだった。でも、出来なかった。
 憐れまれるとか、病院に連れていかれるとかは正直、どうでもよくて、琴音の顔が思い出せない事を私の口から誰かに伝わるのが嫌だった。

 私が進路指導室から出られなかった間に担任の先生からクラスの皆に琴音が死んだことは伝えられた。
 私は早退したから知らなかったけど、一人一人別室に呼んでカウンセリングのような、面接のようなことをしたらしい。友達が教えてくれた。
 恐らく、心のケアだとかそんなことだとは思う。
 琴音と殆ど話した事のない子まで、「とても仲良し」で、「悲しくてたまらない」らしかった。
 早退した翌日に担任の先生が琴音の人望の深さを涙目で語っていた。
 それを聞いて私は教室にいられないと思った。白々しくて、不愉快だった。
 カウンセリングでお綺麗ごと並べても、先生がいない教室は昼休みの時間と同じようにどんちゃん騒ぎが繰り広げられて、授業がないなら帰りたいといった子やアイドルの話をずっとしている子、何の関係もない雑談に興じる空間と化していたのだと聞いていたから。
 朝や琴音がいないときによく話していた友達も、人が死んでいるのに次の瞬間、自分の好きなことができる神経が分からないと怒っていた。
 もしかしたら、あの子は困惑していたのかもしれない。顔も名前も知っていて、話した事のある人が死んでもなお悼む気持ちを見せず、ただひたすらに自分本位に動く様が理解を超えたのだと思う。
 彼女からのメッセージだけを読んだだけなら、多少の不快感はあれど拒絶反応を起こす程でもなかった。だから学校に来たのだけれど、実際に自分の耳にその情報が入ってくると不快感が増して、拒絶反応が出てしまう。
 イライラしてどうしよもなくて、保健室で休ませてもらうことにした。
 その日のノートは友達が放課後に保健室に寄ってくれて、写させてくれた。

 カーナビが目的地に到着することを伝える。
 車をお母さんと一緒に車を降りて、会場に向かう中でスマホを開く。教室に行かない私を心配した友達からメッセージが入っていた。
 授業のプリントは机の中に入れておくこと、ノートは必要であれば写真で送ること、今日の葬儀のあとはしっかりと休んで欲しいこと、短いメッセージの中に気遣いがあふれている。
 どう返したら良いのか分からなくて、「ありがとう、もうすぐ葬儀会場に着きます」とだけ返信してメッセージアプリを閉じた。
 そのまま写真アプリを開く。今日こそは、もしかしたらという霞がかる希望とぼんやりとした諦めの中で琴音の写真を探して、見つけた。
 エレベーターの中で開いた写真の琴音の顔は菊の花のままだった。それが、どうしようもなく寂しい。
 厳かに執り行われる葬儀、花の囲まれる琴音の顔はやはり菊で、大きな菊の花を中心に広がっていく花たちが、ひたすらに綺麗だった。
 目が熱い、唇が震えて、喉がひり付く。
 無数の花の香の洪水に溺れているかのようだった。棺の中の琴音との距離は縮まらない。断崖がある。どうしたって、今の私は琴音と同じにはなれない。
 それがはっきりと分かった後、ただ泣いた。琴音の両親よりも泣いた。涙が床に落ちて、小さな水たまりが作られていく。声は出なかった。
 目をそらしたくなくて、目が痛くなっても瞬きをしたくなかった。粛々と進んでいく儀式を見つめてた。
 親族以外が一度会場から出される。会場担当の職員さんにベンチに案内されて座らされた。お母さんがその職員さんに平謝りしているのをぼんやりと見つめる。
 スマホの電源を入れる。琴音の写真を見ても、やっぱりまだ菊の花のままで、最後の最後まで顔を見せてくれないのかと、また悲しくなった。
 十数分程経ってから、会場から棺が出てきた。私の前でだけ少しだけ歩くスピードを落としてくれた。ゆっくりと進んでいく棺を目で追っていく。ここから先は親族しか立ち会えない。ここで、私と琴音は「さよなら」しなきゃいけない。
 手を合わせて、目をつぶった。さよならが言えない。せめてと思って、ありがとう、とだけ。

 琴音のお母さんが列を外れて、私達のところに来た。よく笑っていたおばさんは、少し窶れた顔をしている。
「彩花ちゃん、来てくれてありがとうね」
 少し頭を下げる。お母さんとおばさんが少し話している。
 顔を上げると、おばさんが泣いている。
「彩花ちゃん、おばさん、ちょっと酷いこと言うけど許してね。彩花ちゃんには、琴音の事を忘れて欲しいの」
 ハンカチで目元を抑えながら、息を詰まらせいる。
「琴音の事を忘れて、残りの高校生活を楽しんで欲しい。琴音の事はたまに思い出してくれれば良い。それだって私達の我儘よ」
 おばさんの言葉になんと返して良いか分からなかった。無理だと思ってもそれをそのまま言い返すには、おばさんの言葉が私への優しさでいっぱいだったから。
「たまに思い出して、琴音の周りに花を降らせてあげて。それだけで十分だから」


 亡くなった人の事を思い出した時、その人の周りに花が降る。そんな言葉をネットで見た。
 おばさんに言われた言葉を思い返す度に、少し意固地になって琴音の事を絶対忘れてやるもんか、って思う。
 琴音が亡くなって3か月経った。その間に授業は進むし、受験は待ってくれてない。
 葬儀の次の週から授業に出るようになった。友達からノートを借りたり、授業の事を聞いたりして何とか間に合わせている。
 最初の頃は、葬儀の事を聞いてきたデリカシーのない奴らがいたけど、当たり障りない言葉でいなした。2、3日続けると興味を失うのか、誰も訊いて来なくなった。
 友達はデリカシーのない奴らを毛嫌いしていたけど、私は気にしなくなった。どちらかというと、どうでも良いに近いかもしれない。
 きっとあの子達が急に死んでも、私は琴音の時のようにはならない。きっと1日残念だなと思っておしまい。あの子達と私は何も変わらないのだと分かってる。
 最近、日課になったのは琴音の写真を見て菊の花のままなのかを確認すること。毎朝、今日こそはと思って写真を見る。菊の花のままなのを見て、寂しいなと思いながら他の写真を見て色々と思い出す。
 2人で言った海岸線の写真、ひまわり畑、ジェラートを落とした琴音、沢山、沢山思い出して琴音が窒息するまで花を降らせてやろう。
 花に埋もれて、少し怒る姿を想像する。とても楽しくて、幸せじゃないか。
 朝起きた時、寝る前、日中のふとした瞬間、思い出しては花を降らせる。
 もしかしたら、怒ってるかな? 呆れてるかも。私がアホなことするたびに呆れて溜息ついてたから、今頃特大の溜息ついてる。大きすぎて深呼吸になってるかも。

 目を開けると穏やかな世界だった。空は青く晴れ渡っているのに、全然暑くない。草原が広がってあちらこちらに大きな木が木陰を作る。
 私は、木の根に座っている。
 ああ、夢だな。夢だと分かっている夢って明晰夢っていうんだっけ? 暖かくて、心地いいな。琴音と桜を見に行った時はこんな気温だったなぁ。
 そんなことを思いながら呆けて空を見ていると、木の裏側から小さい悲鳴が聞こえた。びっくりして、慌てて裏側に回ると、菊の花の頭をした琴音がいた。
「なにこれ、桜? 桜の花ってこんな巨大になる? 」
 両腕で抱え込むようにして桜の花を思われる淡いピンク色の塊を体の横によけている。
 琴音の周りの地面を見れば、ひまわりの花、色とりどりの貝殻、花火を閉じ込めたような球体、ジェラートの形をした雲、地面から少し浮いているふわふわを雲って言って良いんだろうか。
呆気に取られて口を開けたまま佇む。
 菊の花がこちらを向く。桜の花を地面に置いて、私の目の前に来た。
「彩花、ちょっといい加減、私窒息しそうなんだけど! 昨日の大量の朝顔なに? 途中にひょうたん混ざってるし、結構痛かったんだけど! 花という花は巨大化して出てくるからなんか重たいし」
 ポカポカという効果音が付きそうな勢いで私の肩を叩く。彩花はこうやって叩くときは、怒ってないけど不満な時。そして、地味に痛い。
 懐かしくて笑えて来る。笑い声が口からこぼれて、彩花の攻撃が止む。
「ごめんねぇ、でもちゃんと届いてるみたいで良かった」
 彩花の溜息が聞こえる。変わらない癖だ。
「忘れて欲しかったのに」つまらなさそうに言う。
「忘れたくなかったんだよ」笑って返す。
「あの映画どうだった? 他の子と行った? 」顔が分からないのに口を尖らせているなと分かる。
「面白かったよ。一人で行った」感想を言いたくてうずうずしてたんだ。
 何も変わらない話し方、地面に座って、たまに冗談を交えて、ふざけたりして何もなかったかのように話す。
「私の事、忘れて欲しかったのに」
 彩花が不貞腐れたように言う。少し泣きそうにも聞こえた。
 ゆっくり、菊の花がばらけ始める。花びらが一枚一枚崩れて地面に落ちていく。
「私の事を忘れて、他の子と楽しく過ごして欲しかった。でも親友は作らないで欲しかった」
 顎と口元が見える。涙が伝って濡れている。
「ごめん、絶対忘れないよ」
 笑ってそう返したら、目元を隠していた菊が全て落ちて彩花の顔が見える。
「ほら、もう朝よ。起きなきゃね。いつだって忘れて良いんだから」

 アラームの音が響いている。止めて、ベッドから立ち上がる。カーテンを開けてすっきりと晴れた空を見た。
 スマホの写真を開けば、3か月振りに彩花の顔が見えた。


 修学旅行の事前学習で担任の先生が教室にパソコンを持ってきた。それぞれのグループでガイドブックを持ってきたり、スマホを開いたりしている。
 彩花が死んで6か月経った。
 修学旅行のグループは友達と同じところに入った。最低限の話し相手には困らない。
 教室の隅の棚には菊の花が生けられている。月一で私が生けているものだ。黄色だったり、白だったり、緑だったり、色はその時々に気分で決めている。
 何人かに、いつまでも菊の花があると気が滅入るからやめてくれと言われたけど、だから何?と続けている。担任の許可は取っているのだから別に良いじゃないか。
 あの日以降、彩花のいる夢は見ていない。会って話したいことはあるけれど、少し我慢している。きっと80年後かそこらには会いに行くことができるだろうから。
 気の長い話でしょうと友達に言ってみたら、良いと思うよ、きっとこっちを面白がりながら見ているよ、と言ってくれた。
 パソコンを借りて、観光地を調べる。彩花だったらどこに行こうとするかな? 彩花とだったらどこに行くかな? なんて考えて笑う。
 今この瞬間も彩花の所で花やそれ以外が降ってるんだろう。次会った時に言われる文句とその弁明を考えておこう。
 怒ってるかな、笑ってるかな、呆れてるかな、どれでも良いけど私は今を楽しんでるよ。土産話を楽しみに待っていて。

(2021.3.31)


亡くなった人の事を思い出すと、亡くなった人の周りに花が降るという内容のツイートを見て素敵だなぁと思った事を覚えています。

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