文明開化と食事とそれから
お題:日本史的なの、できれば幕末~明治
時代考証なんて難しいことは出来ないので、ほんのり調べて書きました。
よくよく思うと木村屋のあんぱん食べてことない気がします。
江戸と呼ばれた場所はいつの間にか東京と呼ばれるようになっていた。いつの間にかお侍さんは刀を持たなくなって、男の人の髷はなくなった。
それでも井戸から水を汲んで振り売りがものを売りに来る生活は変わらず、偉い人達のいう西洋化も良く分からないものだった。
良く分からないまま古い時代は終わったのだと声高にいう人々に流しに流され生きてきました。
庭に見える朝顔の鉢植えは毎年違うものに変わるように、私の人生も意識しないままに変わっていきました。
それが良いことなのか悪いことなのか私には知るすべはありません。良いも悪いも決めるのは後の世の方々なのですから。
裕福ではないけれど貧しくもない家に生まれ、特別華のある人生ではなかったけれど美味しいものは沢山食べられた。そんな人生でした。
顔を庭に向けると、孫とお嫁さんが植えてくれた朝顔の鉢がお行儀よく植わっています。
私に初めて朝顔の鉢を買ってくれたのはおとっつあんでした。まだ三つかそこらの私が露店で売られている鉢を見て欲しいとねだったから買ってくれたのでした。
朝顔は人気でしたから、時期になると色々な場所でよくあるものから変わり種までよく見かけたものでした。
まだ、あの方々は朝顔を売っているかしら? 朝顔を売っていたおじさまには私と同じくらいの子がいたはずだけど、もうお辞めになってしまったかしら。
昔の事を思い出していたら、ふと甘いものが食べたくなりました。
あんぱんが懐かしいわね。初めて食べたときはおっかなびっくりといった感じでしたけど、懐かしいわ。
ああ、また眠くなってしまった。体がもたなくなってしまって悲しいやら、寂しいやら。
「おふみ、今日はかかと一緒にお買い物にいきましょうか」
いつもより少しだけ華やかな着物を来ておかっつあんが言いました。手を引かれて連れていかれたものは銀座という場所。
人が沢山いて、大きな道には馬車が走っています。
なにやらきらびやかな格好をした人があちらこちらと歩いているのだけれど、あまり見慣れた人たちではありませんでした。
お金持ちの人が多いのね、おかっつあんに言うと、そうねぇと言って、いつかあの格好が普通になるわと笑いました。
私はそんな風に思えませんでした。不自然に膨らんだ足元の布に、背中を締め付ける格好が普通になるなんて、私はとてもじゃないけど耐えられません。
あの女性たちは何が楽しくて背中を締め上げているのかしら、苦しくはないのかしら。
つかつかを歩く男の人はみんな似たような格好をしています。本当にここは同じ東京なのかしら。不思議なものです。まるで同じ場所に違う時代があるみたい。
「今日は、珍しいものを食べましょうか。きっとおとっつあんは食わず嫌いをするから、かかとの秘密にしましょうね」
そういって、手を引かれて街の中を歩きます。同じように手を引かれている子もいて、なんだか安心してしまいました。
しばらく歩くと、何やら人が集まっている場所があります。列を作って、洋装の人も和装の人も入り混じって並んでいます。
その列に近づくと何やら甘い匂いがします。あんこの匂いとなんだろう、何か別の匂い。
「あんぱんというのだそうよ、天皇様も食べられたものよ。しばらく待つことになるでしょうけど、辛抱してね」
列の最後尾に立つと、後ろに1人、2人と並ぶ人が増えて行きます。気付けば列の最後尾ではなくなっていきました。
列が伸びのとお店に入るのでは一体どちらが早いのでしょう。そんな話をおかっつあんとしながら待ちました。学校の話をしたり、友達の話をしたり、おかっつあん私の話を沢山聞いてくれます。
その間も列は動いて行ってついには私達の番になりました。甘い香りが店内に立ち込めています。
パンと呼ばれる円形の食べ物は、なんだか柔らかくて甘い匂いがしました。
買えて良かった、とおかっつあんが笑います。お家でゆっくり食べましょうねと手を引かれました。
ぴぃぴぃとなく鳥の声で目が覚めました。また眠っていたようね。
この頃はすぐに眠くなってしまって、裁縫もろくにできなくなってしまった。一昨年くらいまではお嫁さんに変わって孫のための裁縫位はしてあげられたのに、最近は苦労ばかり掛けてしまうわね。
首を少し傾けて庭を見る。穏やかな午後の日差しの様です。小鳥の声がするのに姿なんて見えません。もう随分と見えなくなってしまって、寂しいものね。
唯一の救いはまだ味が分かることかしら。それもいつまで持つか分からないけれど。
「お母さん」と襖の向こうで声がして、ゆっくりと開きました。
「ああ、起きてらっしゃったのね。丁度良かった」
顔を覗かせたのは、働き者で優しいお嫁さん。買い物に行ってきたのか、外行の格好をしています。
「じゃむぱんとあんぱんを買ってきたのです。偶の事ですから、一緒に食べましょう」
そういって、パンの入った包みを二つ見せてくれます。嬉しくなりました。今日はなんて素敵な日なのでしょう。
洋食というものは、お金のある人しか食べられないものでした。それがいつしか、庶民である私達が行けるようなお店が出来て、ついには料理本まで発行されました。
それを店頭で見たときには手を取って、パラりパラりと頁をめくっていました。
日々の食事はおかっつあんが作ってくれていた時とあまり変わりません。それで良いのだと私は思っていました。
しかし、洋食というものに憧れがなかったかと言えば嘘になります。食べたことのない料理、美しく盛られた器、普段見ることの出来ない光景を想像してしまうのです。
そんな私にとって、その料理本との出会いは運命的なものでした。
お買い物の帰り道、またまた立ち寄った本屋さんで見つけてしまった料理本、夫はお金の使い方について厳しく言うような人ではなかったものですから、つい買ってしまいました。
料理本を開けば色々な料理が紹介されます。以前はお店でしか食べられなかったものが自宅でも作れるというのです。
家に帰って、なんどもその料理本を読みました。料理本に載っている材料が全て手に入るわけではありませんでしたから、何度も読んで味を想像して、代替になるものを探す。そんなことをして、楽しんでいたものです。
日の暮れた外を見つめました。また、眠っていたようです。年を取るといけませんね。あまりに一日が短すぎます。
あの好きだった料理本はどうしたのだったかしら? お醤油を溢したり、みりんがかかったりしたからもう捨ててしまったのかもしれないわね。
襖の向こうからはお嫁さんと孫たちのおしゃべりが途切れ途切れに聞こえます。学校で習った曲なのかしら、子どもらしい高い声で楽しそうに歌っています。
そのうちパタパタと部屋の中を走り始めた様です。お嫁さんが注意する声が聞こえます。
もしかしたら今日は揚げ物なのかもしれません。私も揚げ物をするときは子どもを近寄らせないように必死でしたから。
声を出して何とか立ち上がる。もう足腰も悪くなってしまったけれど、孫たちの話し相手位は務まるでしょう。少しでも、私の方に興味が向けば、お嫁さんも少しは料理がしやすいかしらね。
「おふみさん、明日はお外で食事をしませんか」
仕事から帰ってみた夫が嬉し気に言いました。食べることが大好きですから、とても嬉しくなってしまって、興奮気味に返事をします。
夫は目尻を緩ませて、昇進が決まったことを教えてくれました。明日はそのお祝いにちょっと良い洋食屋に行こうと言います。
「これで、お金が理由で苦しいことは減るでしょう。やっと貴方のお父上とお母上に顔向けできますね」
ずっと変わらない膳を前にして、きっとこれから庶民の生活がどんどん変わっていくのだと、ふとそんなことを思いました。
それから幾年か経って、息子を二人授かりました。夫は元々出世欲が薄く、暮らしに困らない程度で良いと言っていて、取り立てた出世はありませんでした。それでも、部下の皆さんからは慕われ、夫の元で働きたいと人が集まってくるようになりました。
その結果、夫は出世するつもりもないのに忙しく日々を過ごし、その姿を見ながら息子たちもすくすくと育っていきます。
嬉しいやら、寂しいやらです。他のお家では、旦那さんが帰ってくるまで奥さんは起きてなきゃいけないだとか、お姑さんやお舅さんの面倒を全て見なければいけないだとかがあるようですが、夫の父母は私が嫁ぐと息子の面倒を見なくて良くなったと笑って少し田舎の方へ引っ越されてしまいました。
当時はそんなものなのかと思いましたが、今となっては私の負担にならないように気を使って家を明け渡してくれたのだと分かります。
私は本当に恵まれています。
日々に感謝していたある日、お買い物に出ていると洋食屋さんが以前にもまして増えているような気がしました。
以前は格式ばった高級店が多かったのですが、洋食屋さんの主流が庶民向けに変わったようです。
お店の前を通ると、子ども達が喜びそうなメニューも色々とありました。
今日は、子ども達は学校でいませんが、次のお休みの時に子ども達を連れて行こうと決めました。
子ども達を食事に連れていける位のお金は貯めています。それに、いつもご飯を美味しそうに食べてくれる子ども達の喜ぶ顔が見たくなりました。
明くるお休みの日、子ども達を連れて洋食屋さんに行きました。お父様には内緒よ、というと息子二人は声を揃えて返事をしました。
運ばれてきたコロッケやオムレツを子ども達は仲良く食べています。長男がコロッケを、次男がオムレツを頼みましたが、私が何かを言う前に長男がコロッケを半分に切り分けて弟にあげました。そして、次男もオムレツを半分長男にあげました。
マナーとしては良くないのでしょう。でも、私はとても嬉しいのです。
そして、二人が美味しそうに食べている姿を見て、満たされていきました。
ああ、おかっつあん。おかっつあんが私を良くお店に連れて行ってくれた時、きっとこんな気持ちだったのですね。
親になり、気づくまでとても時間がかかってしまいました。
なんて幸せな時間でしょう。なんて嬉しい時間でしょう。
孫たちのお話を聞いている内に、お嫁さんのお料理が出来た様です。
今日の夕食はコロッケでした。クリームコロッケと牛肉を使ったコロッケだそうです。子ども達の好きなものはどんな時代になっても変わらないのかもしれません。
「お義母さん、ありがとうございました。油を使う時はどうしても手が足りなくなってしまって」
「分かるわ、揚げ物をしている時に限って寄ってくるでしょう。ばあばで良ければ、話し相手位は出来るからね。いつもありがとうね」
ご飯をお椀に盛り終わったお嫁さんが私の様子を見に来てくれました。もう年ですから、いつ何時食べられなくなるか分かりません。
食べられそうかと確認して貰っているのです。たまに情けなくって悲しくなります。
「お義母さん、今日からご飯を食べる台を変えようと思います。大丈夫そうかしら? 」
あら、お膳を変えるのね。まぁ、あれも大分古いものだし、傷も入っていたから買い替えには丁度良かったかしら。
「なにも困ることはありませんよ。大分古いものだし、小さいからあまりお皿も乗らなかったでしょう」
ずっと使ってきたけれど品数が乗らないから、あまり使い勝手が良くなかったのです。何事もお嫁さんや孫たちが使い易いものである方がよろしいものです。
「とても大切にされていたのに、すいません。今日からとっても新しくなりますよ」
あらあらそうなのと微笑ましく思っていると、孫たちがお嫁さんを呼んでどうしたら良いのかを聞いています。
5年位まえであれば、お嫁さんが孫たちを構っている間にお鍋の一つも見れたのだけれど。不甲斐ない、子ども達の面倒を見ていた自分が面倒を掛ける側になるなんて。
そんなことを思っている内に、文机のようなものを広げました。少し小さめですが、丸く木目が綺麗な机です。
それを広げると、孫たちは笑いながら机に上半身を載せたり、手で叩いたりしています。それを諫めながら布巾でその机を拭くと、お皿をその机に乗せ始めました。
「ばぁば、これね、ちゃぶだいっていうんだって」
「へー、ちゃぶだいっていうの。綺麗な机だねぇ、何に使う机なの? 」
「これでね、ごはんたべるんだって」
舌っ足らずな言葉で一生懸命説明してくれます。
「ほら、ご飯食べるよ」
お嫁さんが声を掛けると、元気のいい返事をします。
「お義母さん、今ね家族全員で一つの机を囲ってご飯を食べることがあるんですって。お膳も良いけれど、こんな風に身を寄せ合って食べることも良いものね」
お嫁さんが笑います。つられて私も笑いました。
いつの間にか江戸が東京と呼ばれて、いつの間にか洋食が当たり前になって、それが普段の生活の中にも溶け込みました。
とても遠い世界の事だと思っていた文明開化、変わりゆく食事。
新しいこと、古いこと一概にどちらがいいなんて言えないけれど、ああ、私は幸せです。
私の人生は文明開化と食事に彩られてきました。そして、今も愛すべき家族に見守られています。
私は人生で何かをなすことはありませんでした。しかし、私も確かに文明開化の中を生きた人間なのです。
私を形作ったのは、文明開化と食事とそれから、それから……
(2021.11.1)
時代考証などを考えると分からないことが多すぎて書けなくなってしまったので、ある程度辻褄が合うように当時の食文化を絡めました。
調べ方が下手だったのだろうなと思いますが、楽しく書くことが出来ました。
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