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ヴィーガンの人はコオロギを食べる?七十二候再探訪


七十二候が農民の暦として活用されていた時代から、現代の気候とのズレや残された文化を再発見+深掘りしています。

七十二候ってなんぞ?となった方は、こちらの記事『二十四節気・七十二候とは?-古代の科学を今も引き継ぐ-』を参照にしてください。


10月18日からは、蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)。昔からコオロギのことをキリギリスと呼んでいたので、この場合のキリギリスもコオロギなど鳴く虫のことをいいます。

七十二候というのは日本に伝わってから何度か変更されていますが、この候は古代中国で成立して以来変わっていないもののひとつだそうです。そのころからコオロギの存在は身近で、かつ季節を知る目安の一つとして変わらず存在だったことがわかります。その身近っぷりをいくつか紹介します。

1.生態

・日本にいる代表的な種類:「エンマコオロギ」「オカメコオロギ」「ミツカドコオロギ」

・家の近くなどどこにでもいる

・成虫の大きさは平均で10~40mmほど

・脚の付け根が太く、ジャンプ力に優れてる

・鳴き声を出すのはオスだけ

・20~30度の、一定の気温がないと鳴くことができない
 =寒くなってくると昼間にしか鳴かない

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2.歌

そもそもこの候の元となったのは歌で、中国最古の詩集とされる『詩経』(紀元前12〜6世紀)の中に出てきます。他にも中国の詩聖である杜甫や白居易が詠んだり、それが日本に伝えられたあと中世の歌人たちにも多く詠まれています。季節を表す存在としてとてもアイコニックなのです。

たくさんあるのですが、百人一首に登場するものだけご紹介。

後京極摂政前太政大臣
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む

そのほか『万葉集』にはキリギリスが登場する句が7首もあり、秋の虫の総称として詠まれていました。

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3.文化

ヨーロッパでは、家の中にコオロギがいることは幸運を意味し、殺してしまうと不吉なことが起こるという迷信があるそうです。

なにかお守り的なチャームになっていたりしないかな?と思って「cricket in the house」で検索したところ「家の中のコオロギの撃退方法」」「どうしてコオロギは家の中に侵入するのか?」「コオロギの殺し方 」というような見出しばかり出てきてページを押す勇気が出ませんでした。私も家の中にコオロギがいるのは正直いやです。

中国では、オスを戦わせて楽しむ「昆虫相撲」の伝統があるそうです。1200年以上の歴史があり、唐の時代から始まったそうで、「賭博競技」として大人が楽しんでいるとか。

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4.食糧

中国を含め東南アジアでは、食用や漢方薬としても使用されています。昆虫食の文化のなかではポピュラーなもの。最近よく見かけますが、無印良品でもコオロギチップスが売っています(原料は国内で養殖したコオロギ)。

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さて、そこでこんなことを考えました。

ヴィーガンの人は、コオロギを食べるのか?

最近、本当に少しずつですが日本でも市民権を得てきたヴィーガニズム。このスタイルを選ぶ色々な理由の中に「肉食のための畜産業は地球温暖化の大きな要因となっている」ことと「残酷な産業になっているから」ということがあると思います。

こういう話題のとき、必ず「我々の中の色々な矛盾」が取り上げられます。

蚊はすぐ潰せるけど四足歩行の動物は潰せない。ネズミはネズミ取りで捕獲して捨てられるけど(ギリ)うさぎはかわいい。肉食はするけどペットはかわいい、犬を食べる文化は信じられない。

ではコオロギを食べることについてどうでしょう?

食糧不足の時代に向けて昆虫食が注目され始めたのはもう最近のことではありません。無印良品でもコオロギせんべいが売っています。

食べることに抵抗は…どうですか?ありますか?
もちろん虫の見た目がもともと苦手な人は、その姿形は無くなってもイメージ的にちょっと…ということもあるでしょう。声を愛でるけど食べることはできるという矛盾があるかもしれません。そもそも見た目が無理だけど声は素敵…という矛盾もありますね(私もそれです)。

どんな生命体にせよ、かわいがるのも食べるのも、毛嫌いして駆除するのも、需要があるから森林を壊して動物を生産するのも、わたしたち側の一方的な反応と行動です。その結果が環境を破壊することにつながるのであれば今一度考え直したいことだと思います。

かつて秋の訪れをコオロギと共に詠み、籠にいれて鳴き声を楽しむ文化を生み、秋といえば虫、「あれマツムシが…」と、とにかく秋の虫そのものを愛しんできた私たちのご先祖たち…。今はその虫たちとの関係もだいぶかわりました。

近い将来昆虫食がデイリーな惣菜として食卓に並ぶ日がくるかはわかりませんが、そうなった頃にはヴィーガニズムの中にも議論が出てくるかもしれません。昆虫は残酷な環境で飼育して処理して食養にされていないか?養殖のために環境を破壊していないか?

幸いなことに、バイパス沿いの我が家の周りでは、車の通る音に負けず劣らず虫たちの声は聞こえてきます。私は個人的に、秋の夜の帰り道、虫がないているのを聞くのは好きです。

食用にするためにコオロギを取り尽くしてしまい、秋にコオロギの鳴き声が聞こえなくなった…コオロギの養殖のために森林が消えた…人間がこの150年間と同じ道を辿るのならば、そんな日がくるのかもしれません。現にわたしたちは、農民たちが自然の法則を暦に生かした72候と現在の気候とのズレを毎日感じています。




ところで、無印良品のコオロギチップスの販売ページを見ていたら、コオロギの生産は畜産よりよっぽど環境負荷が少ないと記されていました。使う肥料や水の量、温室効果ガスの排出量も圧倒的に少ないみたいです。肉よりコオロギを選ぶ人が増えれば、気候変動への歯止めになるかもしれません…。


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