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なぜ、時間をかけた記事が読まれないのか

このnoteで。

自分が時間をかけて書いて、
これは読んで欲しい!!
って記事ほど、読まれない。
思ったような反応がない。

そんなことって、ないですか?
私も、そういうの、あります。

なぜなんでしょう。
考えてみました。
って、だけな話です。

おそらく、私が思うに、
読むのがめんどくさいから。
これに尽きるかな。

手の込んだ記事は、
よほどうまくできてないと、
完読してもらえない。

興味あるなしは、もはや関係ない。

いや、よっぽど興味があるなら、
がんばって読み続ける、
でしょうけど。

noteをたしなんでる人は、
TwitterやInstagramよりは、
文字慣れしてる人が多い、
とはおもうんですが。

それでも、
長くて、手の込んだものは、
読まれない傾向じゃないかな。

少なくとも、私はそうです。

あんまりにも、手の込んだ記事は、
ゲップがでちゃう。
(個人の感想です)

いまごろは、なんでも、
サクサク進むのが、
あたりまえの時代。

めんどくさいってのは、
もはやご法度。
人間関係でも、見るものでも。
(個人の感想です)

You Tubeや、ネットでも、
広告動画を見せられる。
特に自分の興味のないものは、
10秒でもクソ長く感じる。

10秒ですよ!?

ってことは、厳しい読者なら、
10秒もガマンしてくれない。

noteの読者はまだ、
少しは読む傾向にありそうですが。
それでも、ガマンできないってのは、
最近の傾向やと思います。

めんどいのは、あかん。

となると、何が大事か。

まずはサクサク読めること。
コレに尽きますかね。

もし手の込んだ記事を、
このnoteで書きたいなら、
サクサク読めるということ、
それに注力したほうがいいかも。
(個人の感想です)

ひとつ、作戦としては。

サクサク書けば、サクサク読める。
んじゃぁ、ないでしょうか。

なんなら、あえて内容が薄い記事、
書いたほうがいいかも。

濃い内容や、深い内容を、
思いついたり書きたいとしても。
あえて、薄く表現してみる。

その表現のしかた、
さらっとした表現のしかたで、
なるべく深い内容を表現する。

最近、たくさん書いてて、
感じるようになってきました。

長く書いて表現するより、
短く書くほうが、よほど難しい。

そのように、感じるんですね。

短く書いてるのに、
長くたくさん書いてある表現と、
同じ内容が伝わってくる。

そういう、
シンプルで分かりやすい記事のほうが、
好まれるんではないでしょうか。

時間をかけるのは、いい。

でも、その時間は、
たくさん書くことじゃなくて、
いかに、相手が簡単に読めるか。
そこに、時間をかけたほうがいい。

もう少し簡単な言い回しはないか。

もっと分かりやすい言葉はないか。

思い切ってここは削れないか。

そういう考察をしっかり練って、
出てくる文章はシンプルにする。

もちろん、誤字脱字は無くす。
読みやすさの基本ですから。

シンプルに書く。
内容を削る方が、よっぽど難しい。

ただ削るんじゃなくて、
必要な内容の担保をしながら。

これが、めちゃ難しい。

時間をかけて、一生懸命書いてる、
その努力、実はいらないかも。
間違った努力をしてるのかも。
簡単に、はしょってもいいかも。

自己満足で書いてもいいですが、
やはり、読んでくれる人のことも、
考えないといけません。

読まれなくていい、
なら、それでいいですが。

なぜ、読まれないのか?

なぜ、
時間をかけた記事なのに、
時間をかけた記事ほど、
読まれないのか。

そう思うってことは、
読んで欲しいってことでしょ?

わざわざnoteに書くってことは、
読んで欲しいから、でしょ?
(なんかうっといな)

読んでほしいなら、
読んでもらうなりに、
読んでもらえるように書くべき。

シンプルに、分かりやすく。

いかにしたら、
どうかいたら、どう表現したら、
分かりやすく簡単に伝わるか。

そこに、時間をかけましょう!

書くことに時間をかけちゃダメ。
いや、ダメではないけど。
伝えることに、時間をかけましょ。
そっちのほうが、たぶん大事。

そしたら、あなたが一生懸命、
時間をかけた記事が、、、

もっと、読まれるかも、、、

しれませんねぇ〜。。
(ふわっと終わりが流行中)



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