見出し画像

私のスキな戦国武将 〜小早川秀秋〜

画像:猩々緋羅紗地違い鎌模様陣羽織
(文化遺産オンラインより)
↑あとで説明します。

私は戦国時代、戦国武将がスキです。

ネット上のあやふやな情報と
おぼろげな自己流解釈で、
私のスキな武将について語ります。

内容に関しては正確性を欠くことを、
あらかじめご了承ください。

今回は、
戦国トップクラスのオサレ武将、
小早川秀秋さんの紹介です。

秀秋さんは、関ヶ原の戦いで、
西軍を裏切り(オイ)、
西軍総崩れの原因を作った、
とも言われています。

しかも、その約1年後に、20歳という
若さでナゾの死を遂げるという、
裏切り&自業自得感の強い武将です。

あまりこの人をスキな人も
少ないかな、と思います。

私も正直、あまりスキでは
無かったのですが。

私のスキな『へうげもの』という、
古田織部さんが主人公のマンガで
出てきたときのインパクトがすごくて、
一挙に魅了されてしまいました。

なんといっても、その羽織です。
めっちゃロックで、オサレ。
それが、冒頭の陣羽織。

マンガに出演してきたとき、
え??こんな羽織、、、
いくら脚色とはいえ、書いていいの??
って思ったんですね。

知らなかったから。

そのシーンは、秀秋さんが、
ブチ切れて、西軍を裏切るって
決めたシーンです。

赤くてオサレで上品な陣羽織を着ていて、
背中に、クロスした二本の鎌が、
ドデカくあしらわれている。

ド派手で、パンクな陣羽織。

さすがに、これは、ウソでしょ、
脚色でしょう、、と思って。

でも、ちゃんと調べてみたら。
実際、ほんとに、マンガみたいな羽織を
着用していたらしく、しかも、
現存してるんです!

それがコチラ↓ 

文化庁の公式サイトみたいです。

猩々緋羅紗地違い鎌模様陣羽織 

なんかの呪文みたいですね。

少しずつ分けて考えたら、
わかりやすいですよ。

猩々緋(しょうじょうひ)は、
ちょっとくすんだ赤色。 

羅紗(らしゃ)は、
厚手の毛織物。 

違い鎌ってのは、この重なった鎌。

ぱっと見、マジっすか。。。
って感じの、陣羽織。

へうげものっていうマンガでは、
史実に基づき、
おもしろおかしく描いてくれていて。

ホントみたいなウソもあり、
ウソみたいなホントも、
織り交ぜてあるんですね。
それもまた、面白い。

そんで、この、秀秋さんですよ。

こんな、カッコイイ陣羽織を
チョイスする人は。
ロックな人に違いない、と思って。
ちょっと詳しく調べてみたんですね。

そしたら、結構、なんと言うか、
かわいそうなんですよね。

もともとは、
秀吉の正妻(ねね:高台院)の甥っ子。

秀吉さんは血縁が少なかったから、
そもそも、全く血が繋がっていない、
奥さんの甥っ子まで使わないと、
日本を掌握できなかったみたい。

ねねさんも、秀吉同様、
もとはそんなに身分は高くなかった、
みたいです。

なので、秀秋さんも、
もともとは、そのへんの庶民の子供、
みたいなもんですよ。

それが、義理のおじさんが急に、
めっちゃ偉くなってしまって。

おまけに子供が居ないからって、
義理の息子にまでさせられて、
しかも跡継ぎ候補にまで、
いっとき、担ぎ上げられて。

いや、、キツイでしょ?
これ。。。
日本を背負わないかんのですよ。
急に。

まさに、身分不相応、といって、
いいかもしれません。

そういった、大人の事情で、
7歳(!!)のときから接待漬で、
酒を呑まされ続けて。

当時は、7歳で大人の仲間入り、
だったみたいですね。。。

12歳のころには、完全なアル中、
になってたみたいです。

かわいそう、過ぎやしませんか?

秀吉さんに子供が居なかったから、
秀次さんと同じく、跡継ぎ候補に、
とされていた。

それだけでも、プレッシャーとかは、
さぞ大変なことだったでしょう。

しかもその後、秀吉に実子の秀頼が
生まれ、今まで跡継ぎ候補で
ちやほやされてたのが一転。

一挙に不要になり、それどころか、
うとましくなってきた。

なので、秀秋は、秀吉の工作で、
毛利家の跡継ぎにすえて、
毛利家を牛耳ることに、
利用しようとします。。。

そういう、使い方を、
しようとしたんですね。

なかなかですよね。
要らなくなったとたん、ですね。

しかし、毛利元就の三男の、
名将・小早川隆景の機転により。

毛利宗家ではなく、
自分の小早川家を継いでもらうことで、
落ち着きました。

小早川家でも、
その当時は大大名クラスですから、
まぁ、秀秋にとっては過分な扱いです。

そうして、小早川秀秋となります。

そんなこんなで。
運命に振り回され続けます。

そうこうしてる間に。
小早川隆景も死に、
豊臣秀吉も死に、
なんだかんだ、してるまに。

あれあれ、
関ヶ原の戦いになっちゃった、
みたいな感覚じゃないでしょうか。

史実では、裏切り者扱いされますが、
秀秋さんにとっては、
どうなんでしょう。

もはや、秀吉も、小早川も、家康も、
どっちもどっち、だったんじゃ、
ないでしょうかね。

秀秋さん自身からしてみれば、
裏切られ続け、不相応な身分や役職、
家柄をおしつけられ、いろいろ、
もう、なんだかんだ言われて。

裏切ったというより、
どうしていいかわからなかった、
どう世渡りしていいか分からない、
というところ、じゃないですかね。

家康も、この秀秋に対しても、
相応の工作はしたでしょうから。
意外に家康も、いい人にみえたかも。

秀秋自身にとって、もはや、
誰を信じていいのか、
どこに向かえばいいのかわからない。

となると、もう、
お酒に逃げるしかなかったのも、
うなずけます。

実際、酒癖も素行も悪く、
金使いも荒く、お世辞にも、
できた人ではなかったようです。

でも、こういった大舞台、
生死を分けるような、
関ヶ原の戦いの状況で。

こういったオサレな陣羽織を
チョイスする、洒脱な心意気は、
あったみたいです。

そういうところに、
私は興味を持ちました。

そうして、あっけなく、
20歳でアル中で逝ってしまう。

あれだけ、世間を騒がせて、
世の中を変えてしまった、
原因にすらなったのに。

アッというまに、逝ってしまう。

ロックですよねぇ?

憧れでも、
そう、なりたくもないですが。

ある意味、魅力的な人、
だとは思います。

お酒は、、、控えめに🍶🍶

うひょ~🤤✨


※関連記事はコチラ↓※


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?