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ドタバタ米国留学記 #8 日本への連絡手段

念願叶って24歳でロサンゼルスの語学学校へ留学するものの、出発したその日から「ろくに準備もせず出国してしまったことを大いに後悔する」っていう、先が思いやられる衝撃のはじまりからの、英語まみれの授業、寮での生活、クセのある人々など、たった16週間に起きたおもしろエピソードをたっぷりと綴ります。

はじめてのウェブメール

授業の途中にはブレイクタイムが15分ほどあり、その時間におしゃべりしたりトイレに行ったりします。
放課後どこに行くとか、週末何するとか、そういう話が多かったですが、同じクラスのハンガリー人のメンズが「僕は週末になると空港へ行く」って言うんですね。
「どうして?」と聞くと「飛行機を眺めるため」と。

「飛行機が好きなの?」
「いや。あれに乗れば、ハンガリーに帰れるって思って」

「毎週行ってるの?」
「うん。毎週」

「飛行機を見るだけ?」
「そう。暗くなるまで、ずっと見てるんだ」

マジか。
かなり重症。
これがホームシックってやつか!と、別の意味で感心してしまいましたが、彼にとっては大事おおごとです。
そもそも彼とは普段あまり話をしたことがない間柄なんですけど、この時は珍しく一緒にしゃべったんです。そしたらこんなことを言い出したので驚きました。
お互いカタコトなので意思疎通があまりうまくいかないのがベースにある中で、この辺だけは確実に理解できたんですよね。
たぶん、誰かに言いたかったんだと思います。
毎日、「すげ〜楽しい」「留学最高」と思ってるヤツ (ワタシ) は、ホームシックにかかるわけがありませんから、彼の気持ちに寄り添うやり方がわからないので、ただ「寂しいよね。帰りたいよね」と声をかけることしか出来ませんでしたけど。
彼がなぜ留学したのか等理由は覚えていませんが、ものすごく帰りたがっていたのは印象に残っていて、「電話はお金がかかるから手紙を書いている」と、遠い目をしてポツリと言った姿が目に焼きついています。

当時 (1998年) は、携帯電話がまだ10桁の時代でカメラ付きの機種もまだ出ていません。
携帯電話人口が少なかったですし、海外で携帯が使える環境も構築されていませんでした。インターネット普及率も低く「電子メール」を利用している人も少数だったんですね。
1996年に Hotmail (世界初のウェブメール) が誕生して、それがマイクロソフト社に移行してから世界中で使われるようになります。
手書きして切手を貼って出さなくても、手紙が一瞬で、それも無料で送れるなんて、当時のワタシはビックリしたんですが、ハンガリーの彼はそれを使えていませんでした。

ワタシは、それを絶対使いたいと思っていたんです、留学中に。
それは主に、当時付き合っていた彼とやりとりをするためなんですけどね。
でも、それを使うにはどうしたらいいのかが、さっぱりわからないわけです。
彼には「 Hotmail で連絡できるから」なんて調子のいいことを言っておいて、アカウントを作らないままアメリカに来ちゃったんです。
例の如く、「行きゃ〜なんとかなるだろう」と思っていたので。

日々の生活に慣れるのに精一杯、なんやかんややらないといけないことがあったり、なんともならないまま1ヶ月が経過した頃に少し余裕が出てきた感じで、「大学にあるPCルームに行ってみようか?」とやっと何とかする気になったものの、ここで気づくわけですよ。

「パソコンの表示って、英語じゃね?」

日本語画面でさえも「こっちでいいのかな?」みたいな曖昧さでクリックしているのに、それが英語だらけになるなんて、不安でしかない。
ATM でさえモタモタしてたんですから、パソコンだったら完全にフリーズです。
「行くだけムダじゃね?」
ってことで、結局後回しになるんですけど、6月下旬にアメリカに来た日本人「ナツ」と仲良くなったことで、それは程なく解決することになります。
彼女は、『Hotmail アカウント作成方法<英語バージョン>』を調べてきていたんですよ。

まずはナツがアカウントを作成して無事使えることを確認した後、彼女にいわれるがままにクリックだけして、めでたくワタシもメールサービスを利用できるようになりました。

で早速、彼のアドレス宛に送信してみました。
ちなみに、文字はローマ字です。
genki desuka?  
watashi wa nantoka ikiteimasu.
ってな具合に。
これで頻繁にやりとりするようになるんですけど、ローマ字はアルファベットを使っているので、誰でも読むことは出来るわけです。
書いている最中、ワタシの後ろから画面を覗き見しているアルゼンチン人のパブロが声に出して読むもんで、周辺にいる日本人が反応するわけですね。
パブロは意味なんてわかっていませんけど、音声がガッツリ日本語なので、日本人にはしっかり伝わるんです。
ワタシが「あ゛〜〜〜〜」と声を上げるので、それが楽しいらしく見事に遊ばれてました。
パブロから聞いたのか、他にも何人かワタシがメールを打っている後ろに忍び寄り、読み上げてましたよ。

電話をかける

ワタシの母は、こういった近代的なものは絶対に無理なので、電話で連絡していました。
はじめは学校や生活の話題でしたが、そのうち、金の話になります。
「クレジット会社から明細が届いたんだけど、〇〇って何?」「何に使ってるの?」みたいなことです。
こちらからは送って欲しいものを伝える程度で、2ヶ月も経つとほぼ事務連絡のみの内容になってましたが、安否確認のため1週間に1回は必ず電話するようにしていましたね。

電話は日本時間に合わせてかけるんですけど、母は会社勤めで平日昼間はいないので、平日の夜か週末にかけないといけません。
日本とロスの時差は16時間(サマータイム中)。日本の方が早く進んでいるので、日本時間の18時に電話したいとなると、ロスでは夜中の2時にかけることになります。
早起きして6時にかけるとすると、日本は22時。15時にかければ日本は朝の7時なので、このどちらかで電話する感じでした。

電話は、公衆電話を使います。

アメリカの公衆電話は、お金を入れないでまず番号を押します。料金のメッセージが流れるのでその金額を入れれば相手にかかる、というシステムです。
ワタシはクレジットカード払い経由の国際電話を利用していたので、公衆電話でお金を払ったことはありません。ただただ番号を押せば、相手に繋がるので。
電話会社の専用アクセス番号 (11桁) → 日本への専用番号 (2桁) →クレジットカード番号 (16桁) → # → 暗証番号 (4桁) → # → 相手の電話番号 (9桁) → # の順に押すだけ。
合計45プッシュしないといけないんですけど、かける度にいちいち見るのが面倒なので45桁を暗記しました。

とあるブレイクタイム中、大学の敷地内にある公衆電話で受話器を上げて45プッシュ後、母と2〜3分会話。電話を切って振り返ると、クラスの先生「リカルド」が口をアングリと開けて立っていて、ワタシにこう言いました。
「君は今、一体何をしたんだ?」と。
「母に電話をかけた」と言うと、
「何であんなにプッシュする必要があるんだ?」と聞いてきたので
「必要な番号を全て暗記した」と答えました。

「Amazing…」

「アメリカ人は書いてある番号を見ながらでも押し間違えるのに。君の頭の中は一体どうなってるんだ?」(ワタシでもわかる英語で言っている)
目を見開いてものすごく驚いていましたね。

授業でよく行うワークで「クロスワードパズル」があったんですけど、ワタシはいつもそれを誰よりも先に解き終わり、しかも全問正解でした。
解けない生徒にリカルドは「わからなかったら、彼女に聞いてごらん」と、ワタシを指差して「She's a genius, you know.」と言っていて、頭の回転の速さをよく褒められてはいたんですけど、この「45桁暗記」は彼にとって更に上をいく Incredible な出来事だったようです。


他国の留学生が自国に電話する時使用するのはほぼテレホンカードで、カードをいくつも購入して持っている人が多かったですね。
カードの裏に書かれている番号に電話をかけ指示に従って数字をプッシュした後、相手の電話番号を押せばかかるらしいので、それはそれで便利かもしれないと思いましたけど、ワタシはテレホンカードを使う機会はありませんでした。

当時、アメリカから日本へ電話をかけた時の利用料は、3分間で350〜450円。
コインパーキングの料金設定のように、夜間は安くなるって感じで、日本時間8〜19時で450円、19〜23時で370円、23〜8時で350円でした。
6秒刻みで課金、だったと思います。
だから、3分以内に話を終わらせるために腕時計をストップウォッチ画面にして、相手が出たらスタートボタンを押し、時間を計測しながら電話してましたね。


母から荷物を送ってもらったのは、2回くらいだったでしょうか。
調味料やお菓子なんかを頼んだ記憶がありますが、日本から荷物を送ってもらう際「適当に見繕って送って」とお願いするのはオススメしません。
とある日本人の友達が受け取った実家からの荷物、というのがまさにその結果で、入っていたお菓子がキットカット、プリングルス、m&m's といったアメリカで買えるお菓子ばかりだったんですよ。
「おかん、アホちゃう?」って言ってましたけど、他人事なのでワタシは大爆笑でした。
「何でもいい」とかだとこうなる可能性もある、ってことです。
特に、親御さんが「天然」という方は注意しましょう。

ワタシは、親から荷物を送ってもらうこと自体がはじめてだったので、すごく新鮮でしたし、届いた時はうれしかったですね。
『郵便局へ行って国際便の出し方を教えてもらい、箱詰めをして、宛名を書いて送ってくれた』と思うと、ものすごく有り難かったです。
寮に住んでいる人は、宛先は学校になり、荷物は事務局へ届くことになります。
ものすごく重たい荷物が届いた子が苦労して部屋まで運んでいるのを目にして、「軽い物を送ってもらうことにしよう」と学んだわけです。

日本のお菓子は人気で、ポッキーとかコアラのマーチとか、一人にあげると「オレもオレも」と、あっという間になくなりましたけど、みんなの 「Wow !」 とか 「so good !」 っていう反応が楽しかったですね。
お返しに、と今度はもらう側になったりして。

こんな感じの、こじんまりと賑やかな寮生活が、ある日一変することになります。


つづく・・・


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