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ドタバタ米国留学記 #10 異文化交流

念願叶って24歳でロサンゼルスの語学学校へ留学するものの、出発したその日から「ろくに準備もせず出国してしまったことを大いに後悔する」っていう、先が思いやられる衝撃のはじまりからの、英語まみれの授業、寮での生活、クセのある人々など、たった16週間に起きたおもしろエピソードをたっぷりと綴ります。

南米のイケメン

過去記事で既に、南米の男衆数名は紹介済みですが、エピソードはまだまだあり、他にもたくさんの留学生との楽しい交流がありました。

仲が良かったアルゼンチン人のパブロは、毎朝ワタシにコレ ↓ を言いながら
「Good morning, Ayumi. I really like you. It's not love.」
思いっきりハグをしてきます。
毎度 "not love (愛じゃない)" をメチャメチャ強調してくるので、「わかったから、もう言わなくていいよ」って返すんですけど、必ず言ってくるんですね。
彼女がいるから、っていう理由は聞いているのでわざわざ言わなくてもいいし、そもそも「Good morning」だけでいいと思うんですけど。
ボケとツッコミみたいな、遊びを上手に入れてくるところがコミニュケーション力が高いというか、南米人全般がそんな感じの印象があります。

もうひとり仲良くなったのが、ブラジル人の「クラウディオ」。
彼は、背の高いイケメンで、年齢は17歳。20代後半くらいに見えたので「本当に17か?」と聞き返したのを覚えています。
彼は「本当だ」と言ってパスポートを見せてくれたんですけど、逆に「アユミはいくつだ?」と聞いてきたんですね。
「24」と答えると「ウソだね。はい、パスポート」と手を出してきて、ワタシも見せる羽目になりました。
すると「コレはニセモノだ」って言うんですよ。
たしかに顔が超童顔なので、年齢を言っても信じてもらえないことが多いのも認めますけど、ニセモノのワケないじゃん。
年上だと言っているのになぜかお兄ちゃんヅラをする彼は、ワタシの部屋にちょいちょい遊びに来るようになります。
何をするんでもない、ただ、喋りに来るだけなんですけどね。

「俺、彼女がいるんだ」と言って見せてくれた写真にはとてもかわいい女の子が写っていたんですが、その写真っていうのが「白黒の証明写真」で、違和感しかありません。
「なんでこんな写真なの?」と聞くと「コレしかない」と。
「彼女じゃないんじゃね?」と言うと「彼女だ」と。

「なんで一緒に写ってないの?」
「だって、一緒には撮ってないから」

「いやいや、彼女だったら撮るでしょ?」
「違う違う、撮らなかっただけ」

「ウソだね〜〜〜〜」
「本当だって」

「クラウディオのママの、昔の写真でしょ?」
「違うわ!」

みたいな、会話です。

クラウディオが話す英語は文法がグチャグチャなんですけど、彼は気にせず喋りまくり、ワタシには「間違えてもいいから、どんどん話してごらん。練習練習」と言ってとにかく喋らせようとします。
「用もないのに何でいつも来るんだろう?」と思っていたんですけど、ワタシがもっと会話が上達するように相手をしに来てくれていたんだと後々になって気づきました。
クラウディオが帰る最後の日まで、ワタシを年上とは認めませんでしたけどね。

彼はいつも「もっと君の話を聞かせてよ」とワタシに色々聞いてくるので、ある日「絵を描くのが得意」と話したことがありました。
すると「俺の絵を描いてくれ」と、いきなり目の前でポーズをとりはじめましてね。
「紙とペンがないから描けない」と断ると、「そこにあるじゃん」とワタシの机の上にあるレポート用紙とボールペンを指差しましたが、ワタシとしてはどうしても気が進みません。
どうせなら、ちゃんとした道具で描きたいわけですね。
でも、クラウディオにとっては画材とかクオリティなんてどうでもよく「ワタシに絵を描いて欲しい」「ワタシが描いた絵を見たい」ってことなんだと理解したので、手元にあるもので描くことにしました。

『頬杖をついて遠くを見つめる、イケメンブラジル人』

はじめてナマの外国人を描いたんですけど、ものすごく難しかったです。
骨格が全然違うので描き慣れていない、っていうのもそうですけど、イケメンっていうのが最大の理由ですかね。
ブラジル人は、彫りが深く眉や髭が濃い (ラテン系) っていう印象だと思いますが、クラウディオはスッキリ顔で俳優みたいな整った顔立ちだったんです。

なので、描くのがすご〜く難しい。
とても上出来とはいえない仕上がりだったんですが、「Wow, so good!」と彼はとても喜んでくれました。

明くる日のこと。
挨拶を交わすくらいであまり話したことのない人から突然声をかけられ、こう言われました。
「僕の絵も描いてよ!」

マジか。

面倒なことになった、というのが本音でしたが、彼は「いくらで描いてもらえる?」って言ってきたんですね。
「アユミはすごく絵がうまい。彼女に絵を描いてもらいたかったらちゃんと金を払え、ってクラウディオが」と。

実は、クラウディオに絵を渡した時「コレはお金を払わないと」と言われたんです。
「お金なんていらない」と答えると、「この絵はお金をもらうべきものだよ」「いくらだい?」って聞いてきたんですね。
ワタシは「友達からお金をもらう人はいないでしょ」と言って断ったんですけど、彼は納得しなかったんです。
で、たぶん、ワタシのことを思って行動したんだと思います。

ちょうど同じ頃、日本人の友達「ケン」はヘンプでブレスレットを作っていました。なんとなく作りはじめたらしいんですが、ハマって次から次へと作るので数だけ増えていくため、出来上がったのをくれるんですね。
日本人は普通に「ありがとう」ってもらうんですけど、編み上がりがとても綺麗で完成度が高いからか、日本人以外 (特に欧州人) は大体「買う」って言うんです。
ケンは勿論「いらない。簡単な編み方だからあげる」って断るんですけど、「コレは売り物だ」みたいなことを言うので、結局ケンは「じゃ〜、1ドル」と、仕方なく受け取る感じでしたね。

日本にはチップ文化(サービスの対価としてチップを支払う)がないので、チップを払うことに慣れていません。
そもそもサービスに対してお金を払うとか受け取るという概念がないので、"親切心でやったことだからお金なんていらない" というのが根本にありますし、「そんなこと言わずに受け取って」とお金をもらってしまうと罪悪感をおぼえる、っていう人の方が多いんじゃないかと思います。

この感覚の大きなズレには、驚きを感じました。
一言でいえば『文化の違い』ですけど、こういう感覚のズレって、国際経済なんかに大きく影響するんじゃないかと思いましたよ、この時。

欧州の優しい人々

スイス人の「サシャ」は、日本の時代劇が好きらしく「スイスの家には刀がある」と言って、よくサムライのマネをしていました。
彼は、誰にでも分け隔てなく接する、優しく親切なナイスガイです。
わからないことがあったりすると丁寧に教えてくれますし、気配りが出来る人だったので、女子はほぼ皆サシャをリスペクトしていたんじゃないかと思います。
色が白く、頬はいつも桜色をしていました。体が大きいわりに、声がやや高めで口調が穏やか、すごく安心感があったので相談や悩みなんかを抱える人は、サシャに聞いてもらってる人が多かったんじゃないでしょうか。
人を安心させる力があるというか、温かい心の持ち主で、みんなの人気者でしたね。
記憶が正しければ、スイスではフランス語とドイツ語を話すと言ってたと思います。これで更に英語が喋れるようになったらすごいじゃん、と話した覚えがあるので。

トルコ人の「イティア」は超美人のモデルさん。
彼女の名前は、トルコ語では「イターシュ」だったかな?
「英語読みだと全然違う名前になっちゃう」と嘆いていましたね。( 授業では先生が英語読みで「イティア」と呼ぶので。)
彼女が来た時は、ちょっとザワついたんですよ。
ヘアスタイルが坊主だったんです。
顔よし。スタイルよし。で、坊主だなんて、カッコ良すぎ。
そんな彼女は、よく「大きな栗の木の下で」を歌ってました。
フリ付きで、大声で、元気よく、ご機嫌に。
『 O〜KINA  KURINO〜 KINOSITADE〜〜〜』と。

この辺りでまた日本語がブームになり、ちらほら童謡が聞こえてくるようになります。
そこはやっぱり、南米の男衆です。
『 SUIKANO  MEISANCHI〜』
『DONGURIKOROKORO DONBURIKO〜』
誰が教えたんだか、最初「どんぐりころころ どんぐりこ〜」と間違えて歌ってたので、正しい歌詞を教えましたよ。

スペインから来た「ジェンマ」は高校生のかわいい女の子。
日本のアニメが大好きらしく『らんま1/2』の主題歌を日本語で歌っていました。
ワタシもアニメが好きでその歌を知っていたので、一緒に口ずさんだことで仲良くなったんです。アニメの話題でだいぶ盛り上がりました。
彼女が大好きな『セーラームーン』はあまり詳しくなかったので、コアな話が出来ず申し訳なかったですけど、日本アニメが好きすぎて「いつか日本に行きたい」って言っていたので、その夢を叶えているとうれしいですね。
彼女の滞在はショートだったので話した時間は長くありませんでしたが、とても印象に残っています。

アラブと台湾のおぼっちゃま

一際目立つ白いオープンカーに乗っていた「ジャシア」は、サウジアラビア人。
彼は滞在中、レンタカーで一番高い車を借りて乗っていました。
日本人の間でのあだ名は「ペプシの息子」。どうやら、父ちゃんが、ペプシの社長らしんです。
たしか、お母さんが3人、兄弟は15人いる、って言ってましたね。
そんなジャシアはとっても気さくでノリが良く、どんな家に住んでるの?と聞くと「蛇口をひねるとペプシが出てくる」とか「ペプシのシャワーを浴びる」とか、ペプシネタをかましてきます。
「じゃあ、洗濯もペプシか?」と尋ねると
「当たり前」と返し、
「洗濯物、ペプシの匂いじゃん」と言うと
「そう、すごく甘い匂い」とのってくれる、とても面白いヤツでしたよ。

当時使っていたノートに、こんなページが残っていました。

ジャシアに「僕の名前を日本語で書いて」と頼まれた時、「アラビア文字で "アユミ" ってどう書くの?」って聞いたんです。
「アラビア語は右から書くんだよ」と言って、ローマ字をアラビア文字に変換して書いてくれました。
ワタシは何かの紙に「ジャシア」と書いて渡したと思うんですけど、彼はそれをどうしたんでしょうね。


同じクラスに台湾人の男性がいて、名前が全く思い出せないんですが、彼のことはよく覚えています。
英語が、全く喋れないんですね、彼。
寮も一緒だったんですけど、英語が話せないので誰とも交流できないというか、コミニュケーションがあまり取れていませんでした。
「Good morning」とか「Hello〜」の挨拶を交わすくらいで、彼がどこの誰でどんな人なのかを知る人はほとんどいません。

それが、丘の上のリッチな寮に引っ越しをしたことで、彼の存在が明るみになります。
彼、ビリヤードがメチャクチャうまいんです。
ロビーにあるビリヤードで遊んでいるヤロウたちをなんとなく見ていた時のこと。
一人、ずば抜けてうまい人がいるわけですよ。
スルスルと、気持ち良くポケットにボールが吸い込まれていくのを見て、彼に「教えて」と声をかけました。
それがキッカケで交流がはじまり、そこからワタシはビリヤードにハマります。
で、いろんな人に「台湾の彼、ビリヤード超うまいよ」と流布るふしたんですね。
そしたら、ビリヤードをやりたいメンツがワラワラと集まるようになり、ちょっとしたゲーム大会が始まるわけですよ。
ビリヤード初心者のワタシは、キュー (ボールをつく棒) の持ち方もろくに知らない状態で、ボールの打ち方もルールもほとんど知らないままゲームに参加して、実戦で教えてもらいました。
「ここを狙ってごらん」と、彼が指を置く場所めがけて打つと、入るんだ。
クッションを使う場合、原理も何もわからない、とにかく感覚でやる感じなんですけど、回を重ねるごとに不思議となんとなくわかってくるんです。
教えてもらう時はほぼジェスチャーなんですけど、ワタシは知っている英単語で反応するので彼はそれを少しずつ覚えるようになっていて、ほんの少しだけ言葉のやり取りは出来るようになりました。
ビリヤードに関してだけ、ですけどね。

彼は、台湾の家にビリヤードがある、と言ってました。
「お金持ちじゃん」と言うと「No〜」って首を振ってましたけど、話を聞くとメイドさんはいるし、イイとこのおぼっちゃまであることに間違いない、というのはわかりました。
当時、台湾の留学生は、医者や社長の娘とかしかいなかったので、たぶん彼もそんな感じだと思います。
笑顔が優しくて、なんとなく品のある感じの、とってもいい人でした。

この他にも
『僕のここには弾が入ってる』と自分のボディを指差して自国の話をしてくれる韓国人の「トニー」
スプラッシュマウンテンで浴びた水で『もうシャワーはOK』と言ってしまうシャワー嫌いなドイツ人「バーバラ」
YOSHINOYA (吉野家) の牛丼を食べながら『アキタコマチジャナイネ〜』と日本で過ごした日々を恋しがる先生「チャック」
といった、たくさんの人との交流がありました。
いろんな価値観に触れることができる、っていうのがまさに、留学の醍醐味ですね。

まだまだここに書ききれないエピソードは、また別の機会に。


つづく・・・


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