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わたしの身体は誰のもの? 〜ジェンダー、セクシャリティとメンタルヘルス〜

6月末、49年前に女性たちが勝ち取った中絶の権利が覆されたという、非常にショッキングなニュースが舞い込んできました。このニュースを知った私は、マーガレット・アウトウッドの原作「侍女の物語」で、2017年から始まったHuluドラマ「ハンドメイズテイル」のシーズン1のあるエピソードが思い浮かびました。

主人公のジューンが過去を振り返りながら、社会が徐々に変わってゆく様子、それでも人々は目覚めなかったというシーンです。ネットフリックス・オリジナルドキュメンタリー映画「彼女の権利、彼らの決断」(2018年公開)によれば、今回の判決に至るまで、中絶反対派(プロ・ライフ)と中絶支持派(プロ・チョイス)のせめぎ合いは長い間続いていたことが理解できます。

今回のショッキングな判決を目の当たりにし、この問題は何も遠い国で起こっていること、日本社会には関係ないことだとは言えないなと思いました。というのも、この判決から思い出されたのは、日本社会において、女性の身体が、今までどのような扱いを受けてきたかを思い出したからです。

今回はまず、この女性の中絶をめぐるアメリカ社会の問題を考察し、それがどのように私たちの人生に影響を及ぼす可能性があるのかを明らかにしながら、日本における中絶含めた家父長制の社会構造について考えてゆきたいと思います。これは個人のメンタルヘルスにも大きな影響を与えるものです。

ロー対ウェイド事件まで

アメリカでは、1973年の「ロー対ウェイド事件」において、連邦最高裁判所が、妊娠中絶が認める判決を下すまで、女性たちは中絶をする権利がありませんでした。その頃、どうしても中絶をしたい場合、お金がある場合はクリニックで女性の母体を保護する名目で(Therapeutic Abortionと呼ばれていた)手術をしてもらうか、他の国に行って中絶手術を受けるか、また貧困層においては闇のクリニックで危険な方法で処置するか(ハンガーなどが使われた)、自ら処置するしかなかったのです。そのような危険な方法でしか中絶ができないということに疑問もちはじめ、国が女性の身体を制限していることから、多くの女性が、この問題はとても政治的なものであると気がつき始めました。こうしてこの中絶問題は、60〜70年代のフェミニズム運動の中心となったのです。

なぜ中絶に反対するのか? 家父長制と中絶禁止

家父長制による社会構造とは、男性が優位におかれ、女性が従属するという関係性で成り立っている社会です。簡単にいうと、特権を多く持つのは(社会的優位に立つ)男性。男性は、社会の中で多くのことが許され、女性は許されないことが多くあるという構造です。例えば女性の参政権、政治的な集会に参加する権利などなかった時代が長くありました。ルールや法律までもがこの男女の従属関係を反映するように作られています。その中に、国家が女性の身体を制限できるというのが、この中絶を違法とする法律でした。
このような構造は、日本においても長い間、男性が政治の中心をになってきた来たという歴史的背景があり(その権力者の母や妻は大きな力があった時代もありますが、それでも女性は男性に従属する構造の方が長いです)、それが明治維新によって、西洋をお手本に、天皇を中心とした日本的な「イエ中心主義」(※「自民党の女性認識」安藤優子著より)として新たなシステムを構築しました。その過程で日本には、1907年にできた刑法・「堕胎罪」があります(詳しくは後ほど)。

家父長制の根強く残る社会では、女性の性役割の中に、産み・育てるという役割を支配・コントロールする、という構造があります。その役割を担う女性の性の活動と出産を、国家が(すなわち男性が)制限し、コントロールできるという表れの一つに、この中絶問題があります。中絶ができないということは、女性には自分の身体に関しての決定権がないという意味でもあり、言い換えるならば、女性の身体は男性の「所有」という扱いにもつながるということです。そのような考え方や社会的事象は、今でも世界中に、また日本社会においても見ることができます。

アメリカにおける中絶反対派

もともと70年代初頭、カリフォルニアやニューヨーク州において中絶が支持されクリニックができたことが、まずカトリック教会の怒りを買いました。またアメリカにおけるキリスト教福音派(プロテスタントの保守派)は、人種分離や人種差別に従事する組織だと国から判断されたことにより、免税を受けることができなくなります。(福音派の人たちが支持していたキリスト教の解釈が人種分離を支持するものだったため、そのような事を教えていた。結果的にそれは差別を助長する教えになっていた)それをどうにか変えるために、このことをキッカケにして、政治運動へと介入してゆきました。ただし、「人種差別」を政治問題として取り上げても、一般的な票を得るのは難しいと判断したことから、多くの人に訴えることができ、票集めに最適な「中絶」を政治問題として扱うことにしたのです。

中絶反対派と共和党

福音派の主張は、子宮の中に存在する子供を”殺す”という道徳的視点を反対議論の中心において運動を進めてきました。その思想の中には、一見、あたかも女性の役割である母性や生み・育てを讃え、尊重するようにも聞こえるのですが、現実的には女性の選択肢を狭めていますし、皮肉なことに、子供を殺すなと言いながら90年代から2000年にかけては、中絶支持派の医師の殺害事件やクリニック爆破事件などが多くなります。

そのような福音派ですが、彼らの票というのは、選挙を左右させることができるぐらいの大きなものだったため、元々共和党は中絶支持派でしたが、福音派による「中絶」の政治化で、共和党は中絶反対派へ転じることになります。80年代には、社会問題と宗教、そして政治の連立が達成し、レーガン元大統領から、この中絶問題が、大統領選の争点として外せないものとなるのです。

宗教と政治の関係は、アメリカだけではなく、日本でも強い結びつきが見られます。安倍元首相の暗殺事件からより表面化した、旧統一教会と自民党の関係性はそこに近いのではないでしょうか。日本では中絶は政治化された問題ではありませんが、夫婦別姓、同性婚などはいまだに議論されていることです。

中絶支持派

個人の出産の時期、また出産の人数を国家が統制することは家父長制の現れだと言われています。国が中絶を違法とすることは、個人の権利がなく、国が女性の出産を決めていることになります。中絶支持派は、70年代から一貫して、「中絶」に関しては、医師と患者である女性が決めることであって、国家が介入するべきではなく、最終的には女性の身体は女性に決定権がある、すなわち人生の決定権は個人だということを焦点においた議論を展開しています。その根底には、フェミニズムの運動があり、家父長制の支配から解放される事柄の一つとして、中絶の決定権は女性にとっては大事な問題となっていました。

これからどうなるのか?

今回の判決には、キリスト教福音派の影響と密接に繋がる共和党・保守派の影響があります。今回の判決には、福音派の、アメリカ初の黒人の大統領であるオバマ政権下で進められた中絶や同性婚などへの強い反感と、リベラル派が推し進めてきた新自由主義による格差から苦しい状況に追いやられた人たちの怒りと、左派エリートに対する不信感とが、トランプ政権支持となり、アメリカ社会はかなりの保守へ傾きました。

そのトランプ政権下で任命された最高裁判事によって、連邦裁判所のバランスが変わったのです。それが今回の判決を一気に進めてしまいました。今までも、覆される危機は何度かあったのですが、今回ばかりは阻止できなかったようです。

今回の判決により、全米で21州は中絶が違法となる可能性があり、これが推し進められることによって、避妊に関して、また同性婚など婚姻に関する法律にも影響するのではないかとかなり懸念されています。案の定、フロリダ州では、幼稚園から小学校3年生まで、『ゲイと言ってはいけない』という法案が通ってしまいました。

このような出来事が個人のメンタルヘルスにいかに影響するかです。中絶に関して言えば、望まない出産をやめることができないことで、受けられる教育が受けられなくなったり、またキャリアなどにも影響し、女性の人生を左右する可能性が大きいのです。特に性犯罪によって妊娠した場合において中絶ができなくなってしまうケースは、女性の心にどんな影響を与えるのか・・(性犯罪による堕胎も禁止の州が出てきています)。

国家が女性の身体の統制をすることは、望まない妊娠をした女性に対して恥を植え付け、スティグマを強めることにもなります。それが自己嫌悪(自己肯定感の著しい低下)を作ってゆくし、それは次世代にも伝播する可能性の大きいトラウマにもなります。子供ができる、ということは、女性一人だけで成り立つわけではありません。にもかかわらず、そこに関する全てのリスク、責任全てが女性だけにのしかかる、というものなのです。

日本の中絶について

日本はどうでしょうか?アメリカで起きていることは、よそごとでもありません。日本の場合は、法律で中絶が禁止、となってはいません。しかし、1907年にできた堕胎罪というものはいまだに存在します。ただ1996年にできた、母体保護法によって、理由のある場合は、妊娠22週までであれば中絶が許可されています。現在はそのような法的仕組みになっています。(母体保護法は、1948年にできた旧優生保護法の改訂版です。70年前から中絶は可能となった日本ですが、中絶方法はいまだに変わっていません)

日本の中絶の条件とは?

中絶の条件には、未成年の場合、保護者の許可が必要ですが、相手(男性)の同意書も必要です(レイプなどの場合は必要ありません)。また中絶方法ですが、WHOは2012年発表のガイドラインで、搔爬法ではなく、吸引法か中絶薬に切り替えるべきだと指摘しているにも関わらず、日本での中絶手術の多くが搔爬法によるもの。そして中絶薬は禁止となっています。
中絶の条件はいくつかあるのですが、それをクリアすれば日本国内では中絶可能となっています。ただ、この構造には問題点がいくつかあります。

日本での中絶をめぐる問題点

問題点をまとめると
・相手の同意が必要だということ
・中絶方法の選択肢が狭いこと(中絶薬は禁止)
・いまだにリスクの高い搔爬法が多いこと
・手術の値段が高いということです(吸引法はさらに高い)

中絶をする方法の選択肢が狭く、また女性の身体のことだけれど、男性の同意書が必要でもあり、また中絶ができたとしても、手術のリスクも値段も高いという現状です。中絶することは簡単ではありません。

NHKの「”戦後まもなくから変わらない”日本の中絶」によると、日本では中絶が許可されているとはいえ、男性の同意が得られない場合、医師からも中絶手術を断られるという事態が起こっています。また中絶手術により命の危険にさらされた女性も存在するのです。

中絶を難しくしている背景には何があるのでしょうか? 

そもそも、日本では昔は中絶は法律で禁止されていました。その根底には、このアメリカで起こった家父長制に通じる考え方が、日本社会の根底にも流れています。

日本社会におけるジェンダーとセクシャリティ

日本では、性教育はじめ、性病や中絶に関しての情報があまり広く知れ渡っていない、そんな状況でもあります。性教育の話になると、「寝ている子を起こすな」という声をよく聞きますが、子供達は寝ている子なのか? 実際には寝てはいないし、思春期のセクシャリティへの関心は健康なことでもあり、正しい情報を得ることが、性病や希望しない妊娠防止には役立ちます。けれど話すことができる場がない、もしくは限りなく少ないのが現状です。

このように、セクシャリティに関することがタブー視される一方で、日本ではラブホテルはじめ性産業が盛んです。世界的にも安全な国とされている日本ですが、性犯罪に関しては、特に痴漢となると実に多発している社会なのです。男性よりも女性の被害の方が多いので、女性であれば危険だと感じるのですが、男性にとっては安全な国のままなのかもしれません(すでにここで男性目線での日本社会のイメージが先行しているのではないか?)。

この矛盾は何なのか?

その矛盾を生み出す要因に、この家父長制、男性優位という意識が、おもいのほか、多くの人々の意識に浸透しているのではないかと思います。そこに、この女性の中絶への見方、法律があるのだと思います。

誰がパワー(特権)を持っているのか?

長い間、男性のセクシャリティは許され、女性のセクシャリティは禁止、もしくはタブー視されてきました。その特権を持つ男性に従属する形で、女性のセクシャリティ、女性の身体は支配されてきた結果、女性には自分で決定する選択肢が与えられなかったのです。

現在、日本では中絶ができます。もちろん、女性が決定できるのですが、その決定することへのハードルの高さはまだ日本にもある、というのは現実です。また、女性が決定できたとしても、安全な中絶方法の選択肢が少ないということは、まだまだ女性の決定権が尊重されていない、また100%受け入れをされていない現れではないかと思います。受け入れられていないということは、そこに女性の中絶への偏見はまだまだ存在するということだと思います。中絶しなければいけない状況を作ったのは、女性だけではありません。にもかかわらず、女性だけに偏見の目が向けられてしまうのは、やはり誰が社会の中で優遇されているのか、というジェンダーに置いてのパワー・特権とも結びついているのです。

最後に

アメリカで起きたロー対ウェイド事件は、本当に大きな出来事です。日本にいれば、遠いアメリカの国で起こっていることですが、それを取り上げながら、日本の社会ではどうなのか?と思い、今回は日本社会の中絶について考えてみました。一見、中絶OKのように見える日本ですが、実際は様々な形で女性への抑圧はまだまだ静かに続いています。そして、この静かに続いている現状は、日本のジェンダーギャップにも繋がる一つの事象ではないでしょうか。

参考
・Netflix オリジナルドキュメンタリー映画「彼女の権利、彼らの決断」
Safe Abortion (中絶について)
日本が人工妊娠中絶の「後進国」であるという悲しい事実 Session-22✖️現代ビジネス
・NHK「”戦後まもなくから変わらない”日本の中絶」
・自民党の女性認識 〜イエ中心主義の政治指向〜」安藤優子 明石書店
Photo by Daria Gordova on Unsplash (タイトル上写真)


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