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誰にでも「聴くこと」の物語がある

 先ごろ出版され反響を呼んでいる「LISTEN-知性豊かで創造力がある人になれる」を読んだ。著者はニューヨーク・タイムスやウォール・ストリート・ジャーナルなどで活動しているジャーナリストのケイト・マーフィ。カウンセラーなどの聴くことを職業とする人たちだけでなく、人質交渉人やコメディアンといった、意外な職業にとってもいかに聴くことが大事なのかを解き明かし、私たちの日常のコミュニケーションに、いかに聴くことが置き去りにされているのかに気づかせてくれる。それを生み出しているのが、篠田真貴子さんの素晴らしい監訳だ(以前監訳された「アライアンス」の文章に感銘を受けたのが、今回、この本を手に取った理由のひとつでもある)。

  内容の面白さ以上に、この本には不思議な力がある。読み進むに従い、自分にとっての「きく(聞く、聴く)こと」の記憶が呼び覚まされるのだ。

「あなたは、全然、話を聞いてくれないね」

 10年ほど前、介護していた母がふと私に言った言葉だ。聞いているじゃない、と反射的に私は答えた。聞かれたことには答えるし日常の受け答えはちゃんとしている。だが、母が言わんとしたのは、そういうことではなかったのだ。

 母は亡くなり、3年前に私は伴侶を得た。それからしばらくして、妻の実家で過ごすことになった。夕方になって妻と義母はキッチンで夕食の準備を始め、リビングに義父と私の2人きりになった。気を遣われたのだろう、義父が訥々(とつとつ)と話し始めた。学校の教師をしていた時の思い出、卒業生との今も続く交流、授業の工夫など。私は慣れない家での時間で緊張しっぱなしだったせいか、疲れが溜まり睡魔が襲って来た。ここで寝てはマズイ!必死に義父の話に耳を傾けた。そのうち、純粋にその話に引き込まれ、義父という「人」への興味が湧きあがって来るのを感じた。

 その後、妻と義母に義父から聴いた話を伝えたところ「そんな話は初めて聞いた!」と言われた。夕食の時、義父は「章さんは聴き上手だねえ」と笑った。カウンセラーとしての傾聴の訓練は受けてはいたものの、その時の私は、ともかく睡魔と闘いながら必死に相手の話を聴こうとしていた。そして生まれた相手への興味。

 この経験をして、母の言葉の意味を悟った。煩わしい介護生活の中で、知らず知らずのうちに、私は母の心の声に耳を傾けることを避けていたのだ。単に耳に入れる(聞く)ことはしていても、耳を傾ける(聴く)ことはしていなかった。そこに、人と人との本質的な交流は失われていた。やがて、母は心の中にあるものを口にするのを諦めたのだろう。

 仕事の現場で、同僚であれ上司部下であれクライアントであれ、相手に人間としての好奇心を持って接することがどれほどあるだろうか?コミュニケーションは「キャッチボール」だと言われるが、ほとんどのコミュニケーションは相手に玉を投げる、つまりいかに伝えたいかを意味する。一方、相手の球をキャッチすることは置き去りにされがちだ。事実、私はカウンセラーの講座の中で3分間相手の話をひたすら聴くロールプレイの後、頭痛がして来た!

 いま、仕事の現場でも1on1という形式でフラットな対話の機会が広がっている。それ自体は素晴らしいことだが、そこに本質的な相手への興味や好奇心が無ければ本末転倒になる。優秀だと言われるカウンセラーの方々と話していても、なぜか聴く姿勢に一種のパターンを感じ、本当に聴いてもらっていないと感じることがある。

 聴くこと(傾聴)が、限られた専門職やスキルではなく、家庭や職場の中で今より少しだけ人間としての相手への好奇心や興味に支えられるとしたら、コロナによって分断や断絶が広まった社会は、より良いものに回復して行くはずだ。誰でも誰かの話を聞いて生きて来たのだから、そこに物語があるし、これから物語をつくることもできる。私は、母の話を聴くことが出来なかった後悔は大きいが、だからこそいま、聴くことによって2回目の親孝行という新しい物語が始まった。「LISTEN」は、一人ひとりの「聴くことの物語」を呼び覚まさせてくれる。

#LISTEN #傾聴 #カウンセラー #キャリアカウンセラー



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