WIREDの記事で思う・・
フェイスブック社員たちの改善提案は、ザッカーバーグには届かなかった:内部告発文書から見えた問題の深層と現場の苦悩
「内部告発で揺れているフェイスブックでは、安全より利益を優先するアルゴリズムについて現役社員たちから多くの問題が指摘され、改善提案も出されていたことが内部告発文書から明らかになった。こうした現場の声は組織の壁に阻まれてマーク・ザッカーバーグには届かず、むしろ提案とは真逆の方向に舵が切られてきたことが明確に読み取れる。」
という言葉でこの記事は始まるのだけど・・
その後もその内容に終始していくのだが、これフェイスブック以外の企業が違うかと言われたら十中八九同じじゃないか?と思う。
いや、ただ思うのではなくて、実体験の中でヒシヒシと感じる実感だ。
例えば某企業は兆の単位の売上を叩き出すまあ大企業。この企業は日本社会における重要なパートを日々提供しているが、公共性とか社会全体の利便など1mmも考えていないというか、考えていても優先順位は低く、いくら楽して儲かるかという判断が最優先されている。それが資本主義経済にあって正しくないかと言われれば賛否あろう。が、しかしである。それが過剰であらゆるところで歪が見て取れ、時にはそれが明らかに無駄で間違った争いのネタになって意味のない競争を起こしていたら、それはどうか?
良いわけがない、です。ちょっと物事を考える社員なら溜息が出る話で、そもそも彼らに至ってはその企業にずっと勤めようなどと微塵も考えていないということになるのが実態であると言って大凡間違いない。
相手が使い捨てることを前提としたシステムを組めば、使い捨てられる前に使い倒してお払い箱にして新天地に行けば良いと。どっちもどっちであるがどこでも実際起こっている話。皆さんにも実感としてあるのではないだろうか?
別に大それたことを言うつもりはない。けれど、この過剰な資本主義や偽りだらけの民主主義ってものを根本から作り替える必要があるとは思いませんか?
このまま行ったら矛盾じゃなくて取り返しのつかないことになるのは目に見えていると思うのですが、ね・・
元の話に戻せば、Meta(Facebook)が悪い、マーク・ザッカーバーグが悪いと言う風に言ったり思ったりする前に、そうしなければ企業としての資本側からの評価が得られないことや、矛盾を許容範囲の中に収めコントロールすることなどできるわけもありません。
暴走資本主義を生み出したのは紛れもなくこの社会、我々人間であり、多かれ少なかれ加担もして来たわけです。
各々にとってのプラスは享受し、マイナスは大声で拒絶や叩くのは少しお行儀が悪いのではないかと思います。あらゆるものにプラスとマイナスがあって、我々はそれに気付くことができるなら、勇気を持ってマイナスという血を流すことも厭わない器量が必要です。
そんなことをドトールのホットドックを朝飯に頬張りながら考えていました。
あ、朝飯の外食など月に1回もあるかないか、いつも自炊です😂
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